屈こごめ氏し(くつし、クルシ、朝鮮ちょうせん語ご: 굴씨)は、李り氏し朝鮮ちょうせん仁じん祖そ時代じだいに中国ちゅうごくから帰化きかした宮人みやびと。明あきらの第だい17代だい皇帝こうてい崇たかし禎ただし帝みかどの宮人みやびとだったが、明あかり滅亡めつぼう後ご、清きよしの巴ともえ布ぬの泰やすし(中国語ちゅうごくご版ばん)に捕とらえられ、人質ひとじちである李り氏し朝鮮ちょうせんの王おう世子せいし昭あきら顕あきら世子せいしの師傅しふとなる。帰国きこくする昭あきら顕あきら世子せいしにしたがい、李り氏し朝鮮ちょうせんへ移住いじゅうして、優すぐれた琵琶びわをもたらす。また李り氏し朝鮮ちょうせんでは、荘そう烈れつ王おう后きさきの師傅しふとなる[1]。