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山下やましたまゆみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得かくとくメダル
日本の旗 日本にっぽん
柔道じゅうどう
オリンピック
どう 2000 シドニー 78kgちょうきゅう
アジア選手権せんしゅけん
どう 2000 東京とうきょう 78kgちょうきゅう

山下やました まゆみ(やました まゆみ、1975ねん11月22にち - )は、岐阜ぎふけん高山市たかやまし出身しゅっしん日本にっぽんもと柔道じゅうどう選手せんしゅ身長しんちょう170cm、体重たいじゅう100kg。得意とくいわざだいそと[1]

経歴けいれき

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叔父おじさそわれたのがきっかけで小学校しょうがっこう2ねんより地元じもと道場どうじょう柔道じゅうどうはじめ、高山たかやま市立しりつ中山なかやま中学ちゅうがく時代じだい岐阜ぎふけん体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうした[1]

中学ちゅうがく卒業そつぎょう父親ちちおやの「岐阜ぎふけんがい柔道じゅうどうをやりなさい」という指導しどう方針ほうしんもあり、当時とうじ全国ぜんこくてきにもれた兵庫ひょうごけん夙川しゅくがわ学院がくいん高校こうこう進学しんがく。3ねんつぎ全国ぜんこく高校こうこう選手権せんしゅけんじゅん優勝ゆうしょうしたほか、ドイツジュニア国際こくさい大会たいかいで3入賞にゅうしょうたす。この高校こうこう時代じだいこと山下やましたは「一番いちばん頑張がんばったですし、一番いちばんいかめしかった時代じだい」と述懐じゅっかいしている[1]

1994ねん高校こうこう卒業そつぎょうすると、福岡ふくおか純真女子短期大学じゅんしんじょしたんきだいがくげん純真じゅんしん短期大学たんきだいがく)に進学しんがくする。しかし入学にゅうがく山下やましたず、自身じしん周囲しゅうい期待きたいとは裏腹うらはらにタイトルにもめぐまれなかったため、柔道じゅうどうをきっぱりやめて就職しゅうしょくすることかんがえていたという[1]一方いっぽうで「このままわりたくない」という気持きもちもあり、3ねんから系列けいれつこう東和大学とうわだいがく編入へんにゅうした[1]

東和大学とうわだいがくでは筑波大つくばだい出身しゅっしん全日本ぜんにほん体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう経験けいけんもある阿部あべ由記子ゆきこ徹底てってい指導しどうけ、4ねん1997ねんには全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん学生がくせい体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけんで3学生がくせい選手権せんしゅけんじゅん優勝ゆうしょうたした。よく1998ねんはる卒業そつぎょう[1]

大阪おおさか府警ふけいいれちょう1998ねん全日本ぜんにほん体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけんじゅん優勝ゆうしょうドイツ国際こくさい全国ぜんこく女子じょし体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけんで3となった。 一方いっぽうで、1999ねん全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんけいちゅうりょうきゅう前田まえだ桂子けいこやぶれ、選抜せんばつ体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん敗者はいしゃ復活ふっかつせんやぶれるなど成績せいせきなみはじめ、山下やましたおな女子じょしさい重量じゅうりょうきゅう第一人者だいいちにんしゃである二宮にのみや美穂みほかべおびやかすにはいたらなかった[1]。 しかし、スランプを払拭ふっしょくすべく柔道じゅうどうスタイルをめの柔道じゅうどう変更へんこうしてからは同年どうねん7がつユニバーシアードと11月の全国ぜんこく女子じょし体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけんじゅん優勝ゆうしょうし、12月の福岡ふくおか国際こくさいでシニア大会たいかいはつタイトルをにした[1]

2000ねんには2がつフランス国際こくさいどうメダルを獲得かくとくしたのを皮切かわきりに、4がつ全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん選抜せんばつ体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう、5月のアジア選手権せんしゅけん3など国内外こくないがい安定あんていした成績せいせきのこし、過去かこ実績じっせき山下やました上回うわまわ二宮にのみややその対抗たいこうされていたたきぎたにみどりおさえ、9月のシドニーオリンピック代表だいひょう射止いとめた。なお山下やましたは、「オリンピックは他人事たにんごとでした」と雑誌ざっしのインタビューでかたっている[1]

そしてむかえたシドニーオリンピックでは準決勝じゅんけっしょうキューバダイマ・ベルトランごうわざやぶれはしたものの、3決定けっていせんで1997ねん世界せかい選手権せんしゅけん(72kgちょうきゅう覇者はしゃクリスティーヌ・シコフランス)と対戦たいせんのこ時間じかん0びょうだいそとりでやぶって一本いっぽんちをおさめ、どうメダルを獲得かくとくした。山下やましたはこの功績こうせきみとめられ、巡査じゅんさちょうから巡査じゅんさ部長ぶちょうに1かいきゅう特進とくしんした[2]

オリンピック以降いこう山下やましたよく2001ねんひがしアジア大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうなどの成績せいせきのこすが、たきぎたに塚田つかだ真希まきなど新鋭しんえい台頭たいとうもあり2003ねん講道館こうどうかんはい最後さいご現役げんえき引退いんたいした[3]

人物じんぶつ

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山下やました高山市たかやましという雪国ゆきぐにまれのため、幼少ようしょうよりウィンタースポーツをたしなスキーは1きゅう腕前うでまえであった。また、スノーボード得意とくいとのことである[1]

おも戦績せんせき

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(階級かいきゅう表記ひょうきのない大会たいかいすべて72kgちょうきゅうおよび78kgちょうきゅうでの成績せいせき)

(出典しゅってん[1]JudoInside.com)。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 解体かいたい新書しんしょ 山下やましたまゆみ”. 近代きんだい柔道じゅうどう(2000ねん7がつごう (ベースボールマガジンしゃ). (2000ねん7がつ20日はつか)  91-95ぺーじ
  2. ^ 「シドニーオリンピック柔道じゅうどう競技きょうぎ近代きんだい柔道じゅうどう ベースボールマガジンしゃ、2000ねん11がつごう 113ぺーじ
  3. ^ 講道館こうどうかんはい全日本ぜんにほん柔道じゅうどう体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん大会たいかい近代きんだい柔道じゅうどう ベースボールマガジンしゃ、2004ねん1がつごう 29ぺーじ

外部がいぶリンク

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