山名やまな 義方よしえ(やまな よしかた)は、江戸えど時代じだい中期ちゅうきから後期こうきにかけての交代こうたい寄合よりあい。但馬たじま国こく村岡むらおか領主りょうしゅ。
山名やまな義徳よしのりの子こ。寛政かんせい6年ねん(1794年ねん)、家督かとくを継ついだ。
文化ぶんか3年ねん(1806年ねん)、尾白おじろ山さんの中腹ちゅうふくに陣屋じんや政庁せいちょうを移転いてんし、大手門おおてもん、中門ちゅうもん、長屋ながや、鎮守ちんじゅ社しゃ、煙硝えんしょう櫓ろ、練兵れんぺい場じょうなどを設もうけ、家格かかく相応そうおうの体裁ていさいを整ととのえた。男子だんしが早世そうせいしていた為ため、越前えちぜん鯖江さばえ藩はん主あるじ間部まべ詮かい茂しげるの四よん男なん・詮かい量りょうを婿養子むこようしとし、義よし蕃しげる(よしあきら)と名乗なのらせ、文政ぶんせい4年ねん(1821年ねん)に家督かとくを譲ゆずった。