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従如(じゅうにょ、從如[1])は、江戸時代中期の浄土真宗の僧。東本願寺第十八代法主[2] 。東本願寺第十六代 一如の孫。
本ページでは、年齢は、数え年。日付は、暦の正確性、著作との整合を保つため、宝暦4年12月30日(1755年2月10日[3])までは、貞享暦表示。 宝暦5年1月1日(1755年2月11日)からは、宝暦暦表示とする(生歿年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
- ^ a b 從如…新字体が用いられる以前の文献に用いられた旧字体。
- ^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第十八代法主」と表記。
- ^ 宝暦4年12月30日は、グレゴリオ暦では年が明けて、1755年2月10日。
- ^ 『日本仏家人名辞書』(光融館、1903年)357頁
- ^ 法嗣とは、法主後継者のこと。
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本願寺寺基の移転と分立
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東西分立前 (本願寺の歴史) | |
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東西分立後 |
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東西分立後も、1987年に真宗大谷派が「宗教法人 本願寺」の解散の登記を行うまでは、共に「本願寺」が正式名称である。真宗大谷派は、1987年以降も「真宗本廟」の別称として「本願寺」を用いている『宗憲』第十三条。 記号 - 「⇒」は寺基移転を表し、「→」は寺基移転を伴わない名称変更などを表す。
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東西分立前 | |
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東西分立後 |
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略称 - 「西」=本願寺派、「東」=大谷派、「東本」=東本願寺派、「東山」=(東山上花山)本願寺、「嵯峨」=(嵯峨)本願寺 |