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得能とくのう通言つうげん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
得能とくのう通言つうげん
時代じだい 南北なんぼくあさ時代じだい
生誕せいたん 不明ふめい
死没しぼつ 不明ふめい
別名べつめい 弥三郎やさぶろう[1]
氏族しぞく 得能とくのう
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得能とくのう 通言つうげん(とくのう みちとき)は、南北なんぼくあさ時代じだい武将ぶしょう

経歴けいれき人物じんぶつ

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得能とくのう河野こうの同族どうぞくで、桑村くわむらぐん得能とくのうそう領主りょうしゅ[1]せいけい2ねん/元弘もとひろ3ねん1333ねん)2がつ後醍醐天皇ごだいごてんのう隠岐おき脱出だっしゅつさい土居どいとおるぞうとも挙兵きょへい長門ながと探題たんだい北条ほうじょうただしやぶ四国しこく制圧せいあつする[1][2]。のち上洛じょうらくして後醍醐天皇ごだいごてんのう還幸かんこうつかえる[1]たてたけし3ねん/のべもと元年がんねん1336ねん)5がつ湊川みなとがわたたかでは新田にった義貞よしさだぞく足利尊氏あしかがたかうじ迎撃げいげきするがやぶれて帰洛きらくする[1][2]天皇てんのう東坂本ひがしさかもとのがれたさいもこれにしたがい、たかし攻撃こうげきふせ[1]同年どうねん10がつ義貞よしさだ北陸ほくりくしたがうがその途上とじょう討死うちじにした[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g 安田やすだ元久もとひさへん鎌倉かまくら室町むろまち人名じんめい事典じてん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、p.426(1985)
  2. ^ a b デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus(講談社こうだんしゃ)『得能とくのう通言つうげん』 - コトバンク