愼まき 安之やすゆき(シン・アンジ、朝鮮ちょうせん語ご: 신안지、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう)は、高こう麗うららの文ぶん臣しん。高こう麗うらら文ぶん宗むね代だいに中国ちゅうごく宋そうの開封かいふうから高こう麗うららに帰化きかした愼まき修おさむの息子むすこ[1]。本ほん貫ぬきは居きょ昌あきら愼まき氏し[1]。
知ち水すい州しゅう事ごと、兵部ひょうぶ尚書しょうしょ、三さん司つかさ使し、判はん閤ごう門もん事ごとを歴任れきにん。中国ちゅうごく語ごに堪能かんのうだったことから、中国ちゅうごくに送おくる公文書こうぶんしょのほとんどを執筆しっぴつする[1]。医学いがくにも造詣ぞうけいが深ふかく、温柔おんじゅうな性格せいかくで尊敬そんけいを受うける[1]。