戸田とだ 光正みつまさ(とだ みつまさ)は、安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきの武将ぶしょう、旗本はたもと。徳川とくがわ氏しの家臣かしん。上田うえだ七なな本ほん槍やりのひとり。
徳川とくがわ家康いえやす、秀忠ひでただの2代だいに仕つかえる。慶長けいちょう5年ねん(1600年ねん)秀忠ひでただに従したがって第だい二に次じ上田うえだ合戦かっせんに従軍じゅうぐん。刈田かりたの最中さいちゅうに起おきた合戦かっせんで敵てきを撃退げきたいする武功ぶこうを上あげたが、抜ぬけ駆がけの軍令ぐんれい違反いはんだったために上野うえの吾妻あづまに逼塞ひっそくとなった。慶長けいちょう8年ねん(1603年ねん)に許ゆるされて大だい番頭ばんがしらとなっている。