押領使

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押領使(おうりょうし)とは、日本にっぽん律令制りつりょうせいしたれいそとかんひとつ。警察けいさつ軍事ぐんじてき官職かんしょく

概要がいよう[編集へんしゅう]

のべれき14ねん795ねん)、防人さきもり移動いどうたずさわっていた任務にんむ文献ぶんけんはじめて登場とうじょうしている。このときの職務しょくむへいひきいたのみで、実際じっさい戦闘せんとうには服役ふくえきしていないが、やがて押領使職務しょくむ内容ないようは、移動いどうさせるへい戦闘せんとうとう指揮しきかんへと変化へんかしていく。

押領使は、基本きほんてきには国司こくし郡司ぐんじなかでも武芸ぶげいけたもの兼任けんにんし、しゅとして現代げんだいでいう地方ちほう警察けいさつのようないち国内こくない治安ちあん維持いじにあたった。なかには、いちこくかぎらずいちぐん兼務けんむしていたものや、一時いちじ東海道とうかいどう東山ひがしやまみちといったみちという広範囲こうはんいわたっての軍事ぐんじ担当たんとうしたものもある。 いずれにしても、地元じもと密着みっちゃくがた職務しょくむであることから、押領使には土地とち豪族ごうぞく任命にんめいすることが主流しゅりゅうとなり、かれらが現地げんちにおいて所有しょゆうする私的してき武力ぶりょくがその軍事ぐんじりょく中心ちゅうしんとなった。下野げやこく押領使としててんけいらんにて平将門たいらのまさかどほろぼした藤原ふじわらしげるきょうなどが有名ゆうめい。なお荘園しょうえんにも押領使存在そんざいし、荘園しょうえんない治安ちあん維持いじにあたったとおもわれる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]