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新保 寅次(しんぼ とらじ、1874年(明治7年)8月6日 - 1955年(昭和30年))は、日本の教育者。
1874年、新保正與の次男として新潟県で生まれ、新保宇源太の養子となった[1]。1898年(明治31年)、東京帝国大学文科大学国文科を卒業し、大学院に進んだ。
卒業後は、高田中学校教諭、福岡県立中学伝習館教諭、真岡中学校校長、宇都宮中学校校長、鹿児島県立第二鹿児島中学校校長、山口高等学校校長、松本高等学校校長を歴任し、1932年(昭和7年)から広島高等学校校長を務めた。
- 新保正樹1997『追想 : 新保正與・磐次・寅次父子』(2012年再版)
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年。
広島大学学長( 広島高等学校長:1932 年 - 1934 年) |
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前身諸学校・大学長 |
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