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日本にっぽん・パラオ友好ゆうこうはし

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日本にっぽん・パラオ友好ゆうこうはし

日本・パラオ友好の橋

地図
基本きほん情報じょうほう
くに パラオの旗 パラオ
所在地しょざいち コロールとう - バベルダオブとうあいだ
交差こうさ物件ぶっけん 海峡かいきょう
設計せっけいしゃ
施工しこうしゃ
鹿島建設かしまけんせつ
建設けんせつ 1997ねん平成へいせい9ねん) - 2002ねん平成へいせい14ねん)1がつ11にち
座標ざひょう 北緯ほくい721ふん43びょう 東経とうけい13430ふん15びょう / 北緯ほくい7.36204 東経とうけい134.50424 / 7.36204; 134.50424座標ざひょう: 北緯ほくい721ふん43びょう 東経とうけい13430ふん15びょう / 北緯ほくい7.36204 東経とうけい134.50424 / 7.36204; 134.50424
構造こうぞうしょもと
形式けいしき 3みちあいだふくあいエクストラドーズドきょう
材料ざいりょう コンクリートどう
全長ぜんちょう 413 m
はば 車道しゃどう8 m片側かたがわ1車線しゃせん+歩道ほどう1.2 m
たか 40.684 m
最大さいだいささえあいだちょう 247 m
地図ちず
日本・パラオ友好の橋の位置(パラオ内)
日本・パラオ友好の橋
関連かんれん項目こうもく
はし一覧いちらん - 各国かっこくはし - はし形式けいしき
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KBきょう地図ちず
1970ねんごろわたぶね

日本にっぽん・パラオ友好ゆうこうはし(にほん・パラオゆうこうのはし、英語えいご: Japan-Palau Friendship Bridge)は、パラオ共和国ぱらおきょうわこくコロールとうバベルダオブとうむす全長ぜんちょう413メートル (m) のコンクリートせいはしである。別名べつめいコロール・バベルダオブきょう (英語えいご: Koror-Babeldaob Bridge)、通称つうしょうKBきょう (英語えいご: K-B Bridge)。

コロール・バベルダオブきょう1977ねん大韓民国だいかんみんこく企業きぎょうにより架橋かきょうされたが、1996ねんに落橋。現在げんざいはしは2代目だいめで、きゅうはしとほぼおな場所ばしょ日本にっぽん政府せいふ開発かいはつ援助えんじょ(ODA)資金しきんにより建築けんちくされ、2002ねん落成らくせいしたものである。

前史ぜんし[編集へんしゅう]

コロールとうとバベルダオブとうあいだはばやく250 m・水深すいしんやく30 mの海峡かいきょうへだてられており、はし完成かんせいするまえわたぶねしていた。パラオの国土こくど開発かいはつ推進すいしんするためには両島りょうしまむすはし必要ひつよう不可欠ふかけつであり、パラオ政府せいふ成立せいりつ以前いぜん太平洋たいへいよう諸島しょとう信託しんたく統治とうちりょう政府せいふ時代じだい計画けいかくすすめられてきた。

初代しょだいはし[編集へんしゅう]

きゅうはし建設けんせつ[編集へんしゅう]

きゅうKBきょう

1977ねん韓国かんこく建設けんせつ会社かいしゃであるSOCIOによりコロールとうとバベルダオブとうむすぶコンクリートせいはし建設けんせつされた。設計せっけいじょう風速ふうそく67 m/s暴風ぼうふう激震げきしんえられるとされていた。なお、建設けんせつ業者ぎょうしゃ選定せんてい入札にゅうさつにおいて、SOCIOが鹿島建設かしまけんせつ半額はんがく入札にゅうさつ価格かかく提示ていじ落札らくさつした。

建設けんせつ10ねんにははし正中せいちゅうせんが1.2メートルがるほどたわみはじめたため、1990ねんルイ・バーガー・インターナショナル英語えいごばん国際こくさい協力きょうりょく機構きこう調査ちょうさおこなったが、はしは「安全あんぜん」と評価ひょうかされた。おおきなたわみは、クリープとコンクリートの弾性だんせい係数けいすう予想よそうよりもひくかったことに起因きいんしていると診断しんだんけた[1]

各国かっこく会社かいしゃにより補修ほしゅう補強ほきょう工事こうじなんおこなわれたうえ、1990ねんにパラオ政府せいふは230まんあめりかドルをかけた補強ほきょう工事こうじ選択せんたくした。

きゅうはし崩落ほうらく[編集へんしゅう]

しかし、1996ねん9がつ26にち1735ふんごろ轟音ごうおんとも突如とつじょ中央ちゅうおうからぷたつにれて崩落ほうらくして2めい死亡しぼう、4めい以上いじょう負傷ふしょうした[2]

はしはコロールとうからパラオ国際こくさい空港くうこうのちロマン・トメトゥチェル国際こくさい空港くうこう改名かいめい)へとかう唯一ゆいいつ道路どうろであり、またバベルダオブとうからコロールへ供給きょうきゅうされていた、電気でんき水道すいどう電話でんわライフラインかよっていたため、首都しゅと機能きのう麻痺まひし、クニオ・ナカムラ大統領だいとうりょう国家こっか非常ひじょう事態じたい宣言せんげん発令はつれいした。「暗黒あんこくの9がつ事件じけん (Black September)」ともばれている。

その直後ちょくごから、官民かんみんげての復旧ふっきゅう作業さぎょうすすめられ、9月30にち緊急きんきゅう送電そうでんせん敷設ふせつしたことで電気でんき復旧ふっきゅうした。つづいて10がつ6にちにははし両側りょうがわから消防しょうぼうようホースをとおして、時間じかん制限せいげんきながらも水道すいどう復旧ふっきゅうさせた。また交通こうつう手段しゅだんとしてわたぶね復活ふっかつした。

各国かっこくはし崩落ほうらくけ、支援しえん開始かいしした。日本国にっぽんこく政府せいふ飲料いんりょうすい緊急きんきゅう輸送ゆそう仮設かせつきょうポンツーンばれるプレートをつないでつくうわきょう)の設置せっちなどの支援しえんおこなった。

崩壊ほうかいをめぐる訴訟そしょう法廷ほうていがい解決かいけつされたため、崩壊ほうかい原因げんいん公表こうひょうされなかった。しかし、初期しょき設計せっけいにおいてロバストせい不足ふそくしていたために、はしつね偶発ぐうはつてき損傷そんしょうたいして脆弱ぜいじゃくであり、最終さいしゅうてきにはさい舗装ほそう工事こうじ一環いっかんとして発生はっせいしたと結論けつろんづけられている[3]

現在げんざい当時とうじはし名残なごりとしてハングルアルファベット碑文ひぶんきざまれた記念きねんのみがのこされている。

はし崩落ほうらくあたえた政治せいじてき影響えいきょう[編集へんしゅう]

1996ねんはパラオ大統領だいとうりょう選挙せんきょとしであり、再選さいせん目指めざすナカムラ大統領だいとうりょうとそれに対抗たいこうするジョンソン・トリビオンのち大統領だいとうりょう選出せんしゅつされる)候補こうほとコロールだい酋長しゅうちょう(アイバドゥール)のユタカ・ギボンズ英語えいごばん候補こうほどもえ選挙せんきょせんあらそっていた。

ところがはし崩落ほうらくともな非常ひじょう事態じたいむかえたことで、トリビオン候補こうほは「こんなあらそっている場合ばあいではありません」とし、立候補りっこうほげた。これにともな大統領だいとうりょう選挙せんきょは、ナカムラ大統領だいとうりょうとギボンズ候補こうほとの一騎討いっきうちちとなり、ナカムラ大統領だいとうりょう圧勝あっしょうして再選さいせんたすことになった。

2代目だいめはし[編集へんしゅう]

2002ねん1がつ日本にっぽん政府せいふ開発かいはつ援助えんじょ (ODA) によって再建さいけんされたエクストラドーズドきょう通称つうしょうで「日本にっぽんパラオ友好ゆうこうきょう」ともいわれる[4]設計せっけいじょう耐用たいよう年数ねんすうは50ねんである。

パラオ政府せいふ財政ざいせいてき理由りゆう[5]から自国じこく資金しきんによる建設けんせつ断念だんねんしたため、1997ねん日本にっぽん無償むしょう援助えんじょによるはし再建さいけん決定けってい鹿島建設かしまけんせつによって再建さいけんされた。

5ねんの2002ねん1がつはし完成かんせいし、1がつ11にちには開通かいつう式典しきてんおこなわれた。このあたらしいはしのたもとの記念きねんには、日本にっぽん・パラオ友好ゆうこうはし (Japan-Palau Friendship Bridge) ときざまれ、友好ゆうこう象徴しょうちょうとして両国りょうこく国旗こっきえがかれている。このはし両国りょうこく国旗こっきは、はし完成かんせいの2012ねん1がつにパラオ郵便ゆうびんきょくより発売はつばいされた建設けんせつ10周年しゅうねんいわ記念きねん切手きってにもえがかれた。

2002ねんには土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう受賞じゅしょうしている[6]

新橋しんばし構造こうぞう[編集へんしゅう]

  • 構造こうぞう形式けいしき : 3みちあいだふくあいエクストラドーズドきょう
  • はしちょう : 412.3 m
  • ささえあいだちょう : 82 + 247 + 82 [m]
  • 橋梁きょうりょう幅員ふくいん : 車道しゃどう 8 m(車線しゃせんすう: 2)、歩道ほどう 1.2 m
  • たかさ : 40.684 m(おもとう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ The Collapse of the K-B Bridge in 1996 A MSc Dissertation at the Imperial College London”. web.archive.org. 2020ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ Research of the KB Bridge collapse - Cambridge Univ. Research Projects 2013ねん10がつ閲覧えつらん
  3. ^ Why did Palau Bridge collapse?”. www-civ.eng.cam.ac.uk. 2020ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  4. ^ しんコロール・バベルダオブきょう建設けんせつ計画けいかく - 国際こくさい協力きょうりょく機構きこう
  5. ^ 再建さいけんには当時とうじのパラオの国家こっか予算よさん1980まんドルを上回うわまわる3000まんドルをようした。
  6. ^ 田中たなかしょう作品さくひん部門ぶもん受賞じゅしょう一覧いちらん”. 土木どぼく学会がっかい田中たなかしょう選考せんこう委員いいんかい. 2014ねん12がつ10日とおか閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Perryclear, William (1997). The KB Bridge. 1. Koror: Island Photography 
  • 国際こくさい協力きょうりょく事業じぎょうだんへんパラオ共和国ぱらおきょうわこくKBきょう建設けんせつ計画けいかく 基本きほん設計せっけい調査ちょうさ報告ほうこくしょ国際こくさい協力きょうりょく事業じぎょうだん、1998ねん
  • マルウ・L・セイソンへん『クニヲ・ナカムラ くさから』2001ねん
  • 須藤すとう健一けんいち監修かんしゅうパラオ共和国ぱらおきょうわこく 過去かこ現在げんざいそして21世紀せいきへ』おりじん書房しょぼう、2003ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]