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明里あけさと

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明里あけさと(あけさと、なま没年ぼつねんしょう)は、江戸えど時代じだい末期まっき幕末ばくまつ)の女性じょせい新選しんせんぐみ総長そうちょう山南さんなん敬助けいすけ恋人こいびと

以下いか記述きじゅつは、昭和しょうわになって子母澤しもざわひろし八木やぎ為三郎ためさぶろう新選しんせんぐみ屯所とんしょとしていた八木はちぼく子息しそく)からの証言しょうげんもとしるされたとされる『新選しんせんぐみのこ』をもと解説かいせつする。

生涯しょうがい

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京都きょうと島原しまばら天神てんじん芸妓げいぎ)で、新選しんせんぐみ総長そうちょう山南さんなん敬助けいすけ馴染なじみだった。21から22さいぐらいで、武家ぶけつまといったかんじの上品じょうひんかんじの女性じょせいだった。島原しまばらから退しりぞいてさとらしていた。

元治もとはる2ねん1865ねん)2がつ23にち山南さんなんつみけて切腹せっぷくすることになり、屯所とんしょ壬生みぶ前川まえかわ一室いっしつひかえていた。為三郎ためさぶろう様子ようすもんると、明里あけさと大急おおいそぎでまえとおぎ、山南さんなんびながら前川まえかわ西にし出窓でまどをしきりにたたいた。格子戸こうしど障子しょうじひらいて山南さんなんかおし、明里あけさと格子こうしつかんでくずれた。山南さんなんさびしげな明里あけさとつめ、20、30ふんほど言葉ことばわした。そのうちひと明里あけさとろうとするが、明里あけさと格子こうしつかんではなれようとしなかった。それをていた山南さんなんはすっと障子しょうじじてしまった。きながらってゆく明里あけさと姿すがた為三郎ためさぶろうている。それからほど山南さんなん切腹せっぷくした。

格子戸こうしどわかれ」として有名ゆうめい場面ばめんだが、子母澤しもざわ新選しんせん組物くみもの創作そうさくおおはいっているとされ、新選しんせんぐみ幹部かんぶ永倉ながくら新八しんぱちのこした山南さんなん切腹せっぷくについての記録きろくには明里あけさとてこない。このため明里あけさとのエピソードは創作そうさくではないかとかんがえられている。

関連かんれん項目こうもく

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新選しんせんぐみ#新選しんせんぐみ主題しゅだいにした作品さくひん参照さんしょう