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朝野 寅四郎(あさの とらしろう、1894年(明治27年)1月7日 - 1973年(昭和48年)3月24日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
1894年(明治27年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第38期卒業。1936年(昭和11年)に陸軍技術本部米国駐在官となり、1938年(昭和13年)に陸軍砲兵大佐に進級。1939年(昭和14年)3月に関東軍兵器部員を経て、8月に野戦重砲兵第20連隊長に転じる。1940年(昭和15年)に陸軍技術本部課長、1941年(昭和16年)7月に陸軍兵器学校幹事となり、10月に陸軍少将に進級。
1942年(昭和17年)に第1軍兵器部長、1943年(昭和18年)に北支那方面軍兵器部長を経て、1944年(昭和19年)支那派遣軍兵器部長となった。1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級。同年6月に第308師団長に親補され、青森県野辺地で終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。