木次きすき文夫ふみお

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木次きすき 文夫ふみお
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 長野ながのけん
生年月日せいねんがっぴ 1937ねん1がつ26にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1977-05-14) 1977ねん5月14にち(40さいぼつ
身長しんちょう
体重たいじゅう
183 cm
81 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 一塁いちるいしゅ
プロ 1960ねん
はつ出場しゅつじょう 1960ねん4がつ17にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 1962ねん9がつ1にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

木次きすき 文夫ふみお(きつぎ ふみお、1937ねん1がつ26にち - 1977ねん5月14にち[1])は、長野ながのけん[1]出身しゅっしんプロ野球やきゅう選手せんしゅ内野ないやしゅ)。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

松商学園まつしょうがくえんだかでは2年生ねんせいからレギュラーとなる[1]。1ねんじょうのエース堀内ほりうちしょう好投こうとうもあり、右翼うよくしゅとして1953ねんなつ甲子園こうしえん出場しゅつじょう[1]。しかし1回戦かいせん益田ますだみつぐ早大そうだい大洋たいよう)のいた鳥取とっとり西高にしこう敗退はいたい[2]高校こうこう同期どうきには三塁手さんるいしゅ中村なかむら修一郎しゅういちろうがいた。よく1954ねんなつ大会たいかいにも一塁いちるいしゅとして2ねん連続れんぞく出場しゅつじょう[1]。ここでも1回戦かいせん中京ちゅうきょうしょうやぶれるが、中山なかやましゅんたけから先制せんせいとなる中堅ちゅうけんえの三塁打さんるいだはなって一躍いちやくそのられるようになる[3]中京ちゅうきょうしょうはこの大会たいかい優勝ゆうしょう

高校こうこう卒業そつぎょうさいして、早稲田大学わせだだいがく受験じゅけんするも試験しけん当日とうじつ受験じゅけんひょうわすれてしまい浪人ろうにん生活せいかつ余儀よぎなくされるが、1なみ無事ぶじ早大そうだい進学しんがく[4]東京とうきょうろく大学だいがく野球やきゅうリーグでは在学ざいがくちゅう2優勝ゆうしょう1959ねん春季しゅんきリーグでは主将しゅしょうとして、金沢かなざわひろし大昭和製紙だいしょうわせいし)、安藤あんどう元博もとひろらの投手とうしゅじんようし、それまで4連覇れんぱつづけてきた立大りつだいち、3ねんりの優勝ゆうしょう貢献こうけんした。直後ちょくご全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいでも決勝けっしょうさい試合しあいすえ関学かんがくくだ優勝ゆうしょう同年どうねんだい3かいアジア野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされ、日本にっぽん優勝ゆうしょう貢献こうけん。リーグ通算つうさん66試合しあい出場しゅつじょう、198打数だすう49安打あんだ打率だりつ.247、7本塁打ほんるいだ、30打点だてん。ベストナイン(一塁いちるいしゅ)1かい通算つうさん7本塁打ほんるいだ当時とうじ長嶋ながしま茂雄しげおの8本塁打ほんるいだ歴代れきだい2タイ記録たいきろくであった[1]大学だいがく同期どうき近藤こんどう昭仁あきひとがいる。

プロりにさいして、巨人きょじん大洋たいよう阪急はんきゅうあいだ争奪そうだつせんとなるが、1960ねんきょじん入団にゅうだん[1]川上かわかみ哲治てつじのち大型おおがた一塁いちるいしゅとして期待きたいされ、契約けいやくきん長嶋ながしま茂雄しげおおう貞治さだはるよりうえであったという[3]。しかし、木次きすき入団にゅうだん危機ききかんいたプロり2ねんおう貞治さだはる奮起ふんき、チームトップの17本塁打ほんるいだち、同年どうねんのオールスターゲーム一塁いちるいしゅ部門ぶもんでファン投票とうひょう選出せんしゅつされるほどの活躍かつやくぶりで、一塁いちるいしゅのレギュラーの不動ふどうのものとした。同年どうねん木次きすき先発せんぱつ出場しゅつじょうすらなく、打率だりつは1わりにもたずわずか23試合しあい出場しゅつじょうわる。よく1961ねんも28試合しあい出場しゅつじょうまり自由じゆう契約けいやくとなる。1962ねん国鉄こくてつ移籍いせき[1]同年どうねんイースタン・リーグ首位しゅい打者だしゃとなるが、一軍いちぐんでは8打席だせきで6三振さんしんまったてず同年どうねんかぎりで引退いんたいした。

引退いんたい飲食いんしょくぎょう土木どぼく建築けんちくごうゴルフ会員かいいんけん売買ばいばい植木うえきリースごうなどをいとなんでいたが、1977ねん5月14にち自宅じたくくなっているのが発見はっけんされた[5]享年きょうねん41(まん40さい)。脳溢血のういっけつられている。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

物入ものいりで入団にゅうだんしながらまった活躍かつやくできずに球界きゅうかいったことから、一般いっぱんには巨人きょじん大損おおぞんだったとひょうされた。しかし、木次きすき加入かにゅうによっておう貞治さだはる意識いしきあらため、やがてだい打者だしゃ成長せいちょうするきっかけとなったことから、けっして無駄むだ補強ほきょうではなかったとの評価ひょうかもある(近藤こんどうゆいこれ[6])。また、受験じゅけんひょうわすれて浪人ろうにんすることなく1ねんはやきょじんはいっていれば、おう投手とうしゅから野手やしゅ転向てんこうしたばかりであり、高校こうこう大学だいがく一塁いちるいしゅのキャリアがあった木次きすききょじんでの立場たちばちがったものになっただろうともいわれた。1959ねん巨人きょじんは、川上かわかみ哲治てつじ引退いんたいして一塁いちるいしゅのポジションがいていたことから、いちねんおう打率だりつ.161という実力じつりょく不足ふそくにもかかわらず一塁いちるいしゅ育成いくせい観点かんてんから94試合しあい起用きようされており、おなねん木次きすきがいれば起用きよう機会きかい十分じゅうぶんあたえられ実力じつりょく開花かいかした可能かのうせいもある(上前うわまえじゅん一郎いちろう[7]

1960ねんはるのキャンプで木次きすきのバッティングをはじめておう貞治さだはるは、ものすごい長打ちょうだりょくおそろしい打者だしゃはいってきたとして、大変たいへん危機ききかんったむねべている[7]

大成たいせいできなかった原因げんいんとして、バットにたれば打球だきゅうぶが、身体しんたいのシャープさにけてバットスイングがにぶく、練習れんしゅうでの改善かいぜん困難こんなんであった(与那嶺よなみねよう[8]野球やきゅう選手せんしゅ必要ひつよう敏捷びんしょうさがなかった(水原みずはらしげる[9]との評価ひょうかがある。一方いっぽうで、あたらしいことをおしえたさい戸惑とまどってもたつき習得しゅうとくするのに時間じかんがかかるところがあったが、素質そしつ非常ひじょうゆたかであったため、プロ野球やきゅうでもぐんでじっくりきたえればだい打者だしゃ成長せいちょうしたはずともひょうされる(石井いしいれんぞう[10]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

木次きすき自身じしん引退いんたい最後さいごまで巨人きょじんファンであった。とくおう貞治さだはる熱心ねっしん応援おうえんしており、やまいたおれるすこまえにもおう本塁打ほんるいだったことを、まるで自分じぶんのことのようによろこんで友人ゆうじんはなしていたという[11]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
1960 巨人きょじん 23 23 23 0 2 2 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0 0 10 1 .087 .087 .174 .261
1961 28 27 23 1 3 1 0 0 4 1 0 0 0 1 2 0 1 7 1 .130 .222 .174 .396
1962 国鉄こくてつ 8 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .000 .000 .000 .000
通算つうさん:3ねん 59 58 54 1 5 3 0 0 8 2 0 0 0 1 2 0 1 23 2 .093 .138 .148 .286

記録きろく[編集へんしゅう]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 15 (1960ねん - 1961ねん
  • 42 (1962ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h プロ野球やきゅう人名じんめい事典じてん 2003(2003ねん日外にちがいアソシエーツ)、186ページ
  2. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』11ぺーじ
  3. ^ a b 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』12ぺーじ
  4. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』13ぺーじ
  5. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』33ぺーじ
  6. ^ 『こうすればひとうごく―プロ野球やきゅうめい監督かんとく用兵ようへいじゅつ東急とうきゅうエージェンシー出版しゅっぱん
  7. ^ a b 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』15ぺーじ
  8. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』28ぺーじ
  9. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』29ぺーじ
  10. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』26ぺーじ
  11. ^ 巨人軍きょじんぐん かげのベストナイン』34ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]