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松本まつもと試案しあん

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松本まつもと試案しあん(まつもとしあん、松本まつもとあん)とは、松本まつもと烝治国務大臣こくむだいじん憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい委員いいんちょう)が主体しゅたいとなって作成さくせいした大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせい私案しあん[1]さき松本まつもと作成さくせいした「憲法けんぽう改正かいせい私案しあんいちがつよんにち稿こう)」(松本まつもと私案しあん[2]要綱ようこうかたちにまとめた文書ぶんしょであるため、「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう[3]だいされている。

沿革えんかく

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1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ14にち日本にっぽん政府せいふ連合れんごうこくたいし、すでにアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイギリス中華民国ちゅうかみんこくさんこくから提示ていじされていたポツダム宣言せんげん受諾じゅだく通告つうこくした。1945ねん昭和しょうわ20ねん)9がつ2にち日本にっぽん降伏ごうぶく文書ぶんしょ調印ちょういんによりだい世界せかい大戦たいせん太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)は終結しゅうけつし、日本にっぽんアメリカぐん中心ちゅうしんとする連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょうかれた。日本にっぽん政府せいふはポツダム宣言せんげん受諾じゅだくにあたり、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうじょう天皇てんのう地位ちい変更へんこうくわえないこと、すなわち「国体こくたい護持ごじ」を条件じょうけんにすることをもとめたがれられず、結局けっきょくそのまま受諾じゅだくしていた。また、ポツダム宣言せんげんには、「民主みんしゅ主義しゅぎてき傾向けいこう復活ふっかつ強化きょうか」(だい10こう)、「基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょう確立かくりつ」(どう)、「平和へいわてき傾向けいこうゆうする責任せきにんある政府せいふ樹立じゅりつ」(だい12こう)などがさだめられていたため、必然ひつぜんてき大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう抜本ばっぽんてき改正かいせいみちひらくこととなった。

同日どうじつアメリカ太平洋たいへいよう陸軍りくぐんそう司令しれいかんダグラス・マッカーサー連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかん(SCAP)に就任しゅうにんし、ポツダム宣言せんげんもとづいて占領せんりょう管理かんり遂行すいこうする全権ぜんけんあたえられた。さらに、同年どうねん10がつ2にちには東京とうきょう連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ/SCAP)設置せっちされ、日本にっぽん民主みんしゅ政策せいさく主導しゅどうする民政みんせいきょくなどがかれた。

同年どうねん10がつ4にち終戦しゅうせん直後ちょくご成立せいりつしたひがし久邇くに宮内くないかくは、GHQからいわゆる「自由じゆう指令しれい英語えいごばん」がされたことを重要じゅうようなきっかけとして、組閣そかくから2ヶ月かげつらずで内閣ないかくそう辞職じしょく余儀よぎなくされ、ぬさ原内はらうちかく交替こうたいした。おな夕刻ゆうこく、マッカーサーは、ひがし久邇くに宮内くないかく無任所むにんしょ大臣だいじんであった近衛このえ文麿ふみまろ会談かいだんし、憲法けんぽう改正かいせい必要ひつようせいいた[4]。これをけて近衛このえは、佐々木ささき惣一そういちもと京都きょうと帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅとともに、内大臣ないだいじん御用ごようかけとして憲法けんぽう改正かいせい調査ちょうさした[5][6][7]

一方いっぽう同年どうねん10がつ11にち、マッカーサーは、新任しんにん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんであるぬさはら喜重郎きじゅうろうとの会談かいだんにおいて、「憲法けんぽう自由じゆう主義しゅぎ」についてれた[8]同年どうねん10がつ13にち日本にっぽん政府せいふは、内大臣ないだいじんにおける近衛このえらの憲法けんぽう改正かいせいかんする調査ちょうさ作業さぎょうへの反発はんぱつもあり、政府せいふとして正式せいしき憲法けんぽうかんする調査ちょうさ研究けんきゅう開始かいしすることとし(担当たんとう大臣だいじん松本まつもと烝治国務大臣こくむだいじん)、同年どうねん10がつ25にちには松本まつもと委員いいんちょうとする憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい松本まつもと委員いいんかい)を設置せっちした[9][10]

憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかいは、当初とうしょ調査ちょうさ研究けんきゅう主眼しゅがんとし、憲法けんぽう改正かいせい目的もくてきとしないとしていた。しかしやがて、憲法けんぽう改正かいせい気運きうんたかまってきたとの認識にんしきから、改正かいせい視野しやれた調査ちょうさへと転換てんかんし、顧問こもんかく委員いいん改正かいせい私案しあん作成さくせいした。同年どうねん12がつ8にちだい89かい帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいにおいて、憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい活動かつどうについて質問しつもんされた松本まつもと国務大臣こくむだいじんは、私見しけんであるとことわったうえで「天皇てんのう統治とうちけん総攬そうらんするという大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう基本きほん原則げんそく変更へんこうしないこと。」「議会ぎかい権限けんげん拡大かくだいし、その反射はんしゃとして天皇てんのう大権たいけんかかわる事項じこうをある程度ていど制限せいげんすること。」「国務大臣こくむだいじん責任せきにん国政こくせい全般ぜんぱんおよぼし、国務大臣こくむだいじん議会ぎかいたいして責任せきにんうこと。」「人民じんみん自由じゆうおよび権利けんり保護ほご拡大かくだいし、十分じゅうぶん救済きゅうさい方法ほうほうこうじること。」のよんてん、いわゆる松本まつもとよん原則げんそく憲法けんぽう改正かいせい検討けんとうするじょうでの基本きほん方針ほうしんとしてげた[11]

1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつには、それまでの議論ぎろん松本まつもとよん原則げんそくまえ、松本まつもと国務大臣こくむだいじんみずからも私案しあん作成さくせいした(「憲法けんぽう改正かいせい私案しあんいちがつよんにち稿こう)」、松本まつもと私案しあん[2]。この私案しあんは、憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい委員いいんであった宮沢みやざわしゅんよし東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ要綱ようこうのかたちにまとめ、のち松本まつもと自身じしん修正しゅうせいして「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」(かぶとあん松本まつもと試案しあん)となった[3]。またこのとき、大幅おおはば憲法けんぽう改正かいせいあん用意よういすべきであるとの議論ぎろんから、「憲法けんぽう改正かいせいあん」(おつあん)もまとめられた[12]同年どうねん2がつ8にち、「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」とその説明せつめいしょである「憲法けんぽう改正かいせいあん大要たいよう説明せつめいとうがGHQに提出ていしゅつされた。この要綱ようこうは、閣議かくぎ議論ぎろんにかけられ、天皇てんのうにも上奏じょうそうしたものの、正式せいしき政府せいふあんとして閣議かくぎ了承りょうしょうされた文書ぶんしょではなく、このあんたいするGHQの意見いけんいたのちに、正式せいしき憲法けんぽう草案そうあん作成さくせいすることを予定よていしていた[3]

この提出ていしゅつ先立さきだ同年どうねん2がつ1にち毎日新聞まいにちしんぶんが「憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい試案しあん」なるスクープ記事きじ掲載けいさいした[13]記事きじ内容ないようは、実際じっさいには委員いいんかいがまとめたあんではなく、宮沢みやざわしゅん委員いいんこころみに作成さくせいした「宮沢みやざわかぶとあん」にほぼ相当そうとうするものであった[14]。この「宮沢みやざわかぶとあん」は、かく委員いいん作成さくせいした私案しあんなかでは比較的ひかくてきリベラルな内容ないようとされていたものの、毎日新聞まいにちしんぶんをはじめとする新聞しんぶん各紙かくし社説しゃせつで「保守ほしゅてき現状げんじょう維持いじてき」であるとして委員いいんかい姿勢しせい批判ひはんした[よう出典しゅってん][疑問ぎもんてん]。また、GHQも記事きじ内容ないよう世論せろん動向どうこう分析ぶんせき検討けんとうした結果けっか日本にっぽん政府せいふによる自主じしゅてき憲法けんぽう改正かいせい作業さぎょう見切みきりをつけ、独自どくじ草案そうあん作成さくせいることとした。なお、この決定けってい背後はいごには、日本にっぽんたいして強硬きょうこう主張しゅちょうおこなうことが予想よそうされ、GHQの権限けんげん大幅おおはば制限せいげんする極東きょくとう委員いいんかい活動かつどう開始かいしが、同年どうねん2がつ26にちせまっていたこともあった。

同年どうねん2がつ3にち、マッカーサーは憲法けんぽう改正かいせい必須ひっす要件ようけん(いわゆる「マッカーサーさん原則げんそく」)をコートニー・ホイットニーGHQ民政みんせい局長きょくちょうしめして憲法けんぽう改正かいせいあん作成さくせい指示しじし、翌日よくじつから民政みんせい局内きょくない作業さぎょう開始かいしされた。GHQ民政みんせいきょく作成さくせいした憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん同年どうねん2がつ12にち完成かんせいし、マッカーサーの承認しょうにんた。この憲法けんぽう改正かいせい草案そうあんがいわゆる「マッカーサー草案そうあん」(GHQ草案そうあん)である[15]

同年どうねん2がつ13にちさき提出ていしゅつした「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」にたいする回答かいとう聴取ちょうしゅするためGHQをおとずれた松本まつもと国務大臣こくむだいじん吉田よしだしげる外務がいむ大臣だいじんは、ホイットニーから「マッカーサー草案そうあん」を手交しゅこうされた。このさい松本まつもとらはホイットニーより、日本にっぽん政府せいふ改正かいせいあん(「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」)はGHQにとって承認しょうにんしがたいこと、提示ていじした草案そうあん(「マッカーサー草案そうあん」)はべい本国ほんごく連合れんごうこく極東きょくとう委員いいんかいにおいて承認しょうにんされていること、現在げんざい日本にっぽん政府せいふ改正かいせいあん保持ほじしたままでは天皇てんのう地位ちい保障ほしょうすることがむずかしいこと、提示ていじした草案そうあんごと改正かいせいあん作成さくせい日本にっぽん政府せいふめいじるものではないが、これと基本きほん原則げんそくいちにする改正かいせいあんすみやかに作成さくせいし、その提示ていじ切望せつぼうすることなどがもうわたされた[16]突然とつぜん事態じたい衝撃しょうげきけた松本まつもとらは、一旦いったん提示ていじされた草案そうあんかえり、あらためて検討けんとうすることとした。同年どうねん2がつ18にち松本まつもとは「憲法けんぽう改正かいせいあん説明せつめい補充ほじゅう」をGHQに提出ていしゅつして、再度さいど説明せつめいこころみたが、ホイットニーはこれを拒絶きょぜつし、「マッカーサー草案そうあん」の受入うけいれにつき48時間じかん以内いない回答かいとうせまった。同年どうねん2がつ19にち松本まつもとは「マッカーサー草案そうあん」につき閣議かくぎ報告ほうこく日本にっぽん政府せいふは、同年どうねん2がつ22にち閣議かくぎにおいて「マッカーサー草案そうあん」の事実じじつじょうれを決定けっていし、同年どうねん2がつ26にち閣議かくぎにおいて「マッカーサー草案そうあん」に沿ったあたらしい憲法けんぽう草案そうあん起草きそうすることを決定けっていした。なお、「マッカーサー草案そうあん全文ぜんぶんかりやく閣僚かくりょう配布はいふされたのは、同年どうねん2がつ25にち臨時りんじ閣議かくぎせきであった[よう出典しゅってん]

同年どうねん2がつ26にち松本まつもと国務大臣こくむだいじんは、佐藤さとう達夫たつお内閣ないかく法制ほうせいきょくだいいち部長ぶちょう入江いりえ俊郎としお内閣ないかく法制ほうせいきょく次長じちょうとともに、憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん作成さくせい開始かいしした[17]同年どうねん3がつ2にちには憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん完成かんせいし、同年どうねん3がつ4にち午前ごぜんにGHQへ提出ていしゅつされた(「3がつ2にちあん」)。GHQでは、まず日本にっぽんがわ係官かかりかん手分てわけして英訳えいやくおこない、つづいて、佐藤さとう部長ぶちょう日本にっぽんがわチャールズ・L・ケーディス民政みんせいきょく課長かちょうらGHQがわとのあいだ徹夜てつや逐条ちくじょう審議しんぎ開始かいしされた[18]審議しんぎみの案文あんぶんは、次々つぎつぎ首相しゅしょう官邸かんていとどけられて閣議かくぎ付議ふぎされた。同年どうねん3がつ5にち夕刻ゆうこくには司令しれいでの作業さぎょうはすべて終了しゅうりょうし、「3がつ5にちあん」が確定かくていした。閣議かくぎは、このあんしたがうことにけっし、午後ごご5ごろぬさげん首相しゅしょう松本まつもと国務大臣こくむだいじん参内さんだいして昭和しょうわ天皇てんのう奏上そうじょうした。そして、同年どうねん3がつ6にち日本にっぽん政府せいふは「3がつ5にちあん」をもと要綱ようこうした「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」を勅語ちょくご内閣ないかく総理そうり大臣だいじん談話だんわとともに発表はっぴょうし、マッカーサーはただちにこれを承認しょうにん支持しじするとの声明せいめい発表はっぴょうした[19]

その憲法けんぽう改正かいせい草案そうあんはひらがな口語体こうごたいにあらためられて昭和しょうわ天皇てんのうから枢密院すうみついん諮詢しじゅんされ[20]一部いちぶ修正しゅうせいのち可決かけつされて帝国ていこく議会ぎかい提出ていしゅつされた[21]帝国ていこく議会ぎかいでは、衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいんにおいてそれぞれ部分ぶぶんてき修正しゅうせいされて、同年どうねん10がつ7にち可決かけつした。同年どうねん10がつ12にち、「修正しゅうせい帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん」は枢密院すうみついん諮詢しじゅんされ、10月29にち可決かけつ同日どうじつ昭和しょうわ天皇てんのう憲法けんぽう改正かいせい裁可さいかした。そして、同年どうねん11がつ3にち、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう」は公布こうふされ、よく1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ3にち施行しこうされた。

内容ないよう

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日本にっぽん政府せいふは、当初とうしょ大正たいしょうデモクラシー状態じょうたいもどせば充分じゅうぶんだとかんがえており、天皇てんのう主権しゅけん原則げんそくくずさず、天皇てんのう機関きかんせつ徹底てっていさせればよいとかんがえていた。ただ、1946ねん1がつ1にち詔書しょうしょ(いわゆる人間にんげん宣言せんげん)により天皇てんのうが「現人神あらひとがみ」であることは否定ひていされたものとあやまって理解りかいされたので(実際じっさいには「人間にんげん宣言せんげん」では、「天皇てんのう祖先そせん日本にっぽん神話しんわかみであること」を否定ひていしておらず、歴代れきだい天皇てんのう神格しんかく否定ひていしていない。さらに、神話しんわかみ歴代れきだい天皇てんのう崇拝すうはいのために天皇てんのうおこな神聖しんせい儀式ぎしき廃止はいしするわけでもなかった[22])、「天皇てんのうかみきよしにしておかすべからず」はあらためざるをなかったものの、「天皇てんのう至尊しそんにしておかすべからず」と不可侵ふかしんせい理由りゆうあらためるにとどめた。その議会ぎかい権限けんげん拡大かくだい大権たいけん事項じこう縮小しゅくしょう国務大臣こくむだいじん議会ぎかいたいする責任せきにん明確めいかく自由じゆうおよ権利けんり保護ほご拡大かくだい侵害しんがいたいする救済きゅうさい措置そち整備せいびなどもさだめていた。

松本まつもと試案しあん関連かんれんする憲法けんぽうあん

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近衛このえあん佐々木ささきあん

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なお、この松本まつもと試案しあんとはべつに、近衛このえ文麿ふみまろ佐々木ささき惣一そういち内大臣ないだいじん主体しゅたいとなった憲法けんぽう改正かいせいあん存在そんざいし、こちらは1945ねん11がつ下旬げじゅん天皇てんのう内奏ないそうされている[23]。しかし、明治めいじ憲法けんぽうじょう手続てつづきじょう疑義ぎぎ宮沢みやざわしゅんよしらにより批判ひはんされ、すでに11月1にち改憲かいけん指令しれい政府せいふたいしてったとGHQが声明せいめい発表はっぴょうしていたこと、同月どうげつ内大臣ないだいじん廃止はいしされたこともあり、内大臣ないだいじんによる改憲かいけん作業さぎょう頓挫とんざし、以後いご政府せいふ主導しゅどうした。

宮沢みやざわあん

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毎日新聞まいにちしんぶんにより松本まつもと試案しあんとしてあやまって報道ほうどうされた、宮沢みやざわしゅんによる憲法けんぽうあん委員いいん一人ひとりであった宮沢みやざわ委員いいんかい内部ないぶでの議論ぎろん参考さんこう私的してき作成さくせいしたとされる。

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  2. ^ a b 松本まつもと国務相こくむしょう憲法けんぽう改正かいせい私案しあん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  3. ^ a b c GHQに提出ていしゅつした「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  4. ^ 近衛このえ国務相こくむしょう・マッカーサー元帥げんすい会談かいだんろく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  5. ^ 両者りょうしゃ調査ちょうさは、昭和しょうわ天皇てんのうからの下問かもんたいする奉答ほうとうというかたちおこなわれた。同年どうねん11がつ22にちには近衛このえが「帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」を、同年どうねん11がつ24にちには佐々木ささきが「帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい必要ひつよう」を天皇てんのう提出ていしゅつした。
  6. ^ 近衛このえ文麿ふみまろ憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  7. ^ 佐々木ささき惣一そういち帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい必要ひつよう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  8. ^ ぬさげん首相しゅしょう・マッカーサー会談かいだん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  9. ^ 憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかいは、同年どうねん10がつ27にちおこなわれただい1かい総会そうかいで、委員いいんかい設置せっち趣旨しゅし説明せつめいされ、以後いご1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ2にちまで7かい開催かいさいされた。
  10. ^ 憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい設置せっち趣旨しゅし国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  11. ^ 松本まつもと国務相こくむしょう憲法けんぽう改正かいせいよん原則げんそく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  12. ^ 松本まつもと委員いいんかい憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」と「憲法けんぽう改正かいせいあん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  13. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん記事きじ憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい試案しあん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  14. ^ 宮沢みやざわかぶとあんおつあん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  15. ^ GHQ草案そうあん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  16. ^ GHQ草案そうあん手交しゅこう記録きろく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  17. ^ 日本国にっぽんこく憲法けんぽう「3がつ2にちあん」の起草きそう提出ていしゅつ」 の発表はっぴょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  18. ^ GHQとの交渉こうしょうと「3がつ5にちあん」の作成さくせい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  19. ^ 憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」 の発表はっぴょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  20. ^ 口語こうご憲法けんぽう草案そうあん発表はっぴょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  21. ^ 帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん」(帝国ていこく議会ぎかい提出ていしゅつ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう」。
  22. ^ シロニー(2003)、312-314ぺーじ (だい8しょうなぞおお武人ぶじん天皇てんのう』、21『てんあきら末裔まつえいかみイエス』、『「神道しんとう指令しれい」と「人間にんげん宣言せんげん」』および『まもられた神道しんとう聖域せいいき』)を参照さんしょう。)
  23. ^ 佐々木ささき惣一そういち帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい必要ひつよう」 1945ねん11月24にち | 日本国にっぽんこく憲法けんぽう誕生たんじょう”. www.ndl.go.jp. 2024ねん3がつ9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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新版しんぱん)』(有斐閣ゆうひかく法律ほうりつがく全集ぜんしゅう、1971ねん)45ぺーじ以下いか