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柴田しばたひろし

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柴田しばたひろし
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 神奈川かながわけん横浜よこはま
生年月日せいねんがっぴ 1923ねん7がつ11にち
死没しぼつ (1993-11-14) 1993ねん11月14にち(70さいぼつ
騎手きしゅ情報じょうほう
所属しょぞく団体だんたい 日本にっぽん競馬けいばかい
国営こくえい競馬けいば
日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい(JRA)
所属しょぞく厩舎きゅうしゃ 鳴尾なるお新堂しんどう捨蔵(1939ねん - 1945ねん
東京とうきょう柴田しばた寛治かんじ(1945ねん - 1957ねん
はつ免許めんきょねん 1941ねん
騎手きしゅ引退いんたい 1957ねん
調教ちょうきょう情報じょうほう
はつ免許めんきょねん 1957ねん
調教ちょうきょう引退いんたい 1993ねん
じゅうしょう勝利しょうり 18しょう
G1きゅう勝利しょうり 5しょう
通算つうさん勝利しょうり 4238せん465しょう
経歴けいれき
所属しょぞく 東京競馬場とうきょうけいばじょう(1957ねん - 1978ねん)
美浦みほT.C(1978ねん - 1993ねん
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柴田しばた ひろし(しばた ひろし、1923ねん7がつ11にち - 1993ねん11月14にち)は、神奈川かながわけん横浜よこはま出身しゅっしんもと騎手きしゅげん調教ちょうきょう

ちち柴田しばた寛治かんじ伯父おじの「しばまごかい」でられる柴田しばた安治やすじ従兄弟いとこ柴田しばた恒治つねじろうもと騎手きしゅもと調教ちょうきょう実姉じっしもと馬主ばしゅさとかずカツエ。

経歴けいれき

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騎手きしゅであったちち寛治かんじはは・ヨシのあいだきゅう横浜よこはま競馬けいばじょうちかくの根岸ねぎしまちまれる[1]

寛治かんじ伯父おじ安治あわじともめい騎手きしゅめい調教ちょうきょうとしてせた[1][2][3]柴田しばた一門いちもん親睦しんぼくかいしばまごかい」が系譜けいふ調教ちょうきょうたちによってつくられたが、安治やすじはその総帥そうすいとして、寛治かんじは「だい柴田しばた」としてられる[1][2]

1932ねんおこなわれただい1かい東京とうきょうゆう駿しゅんだい競走きょうそう寛治かんじがアサオホギで出走しゅっそうし、そのとき興奮こうふんひろし騎手きしゅになる決意けついをさせた。寛治かんじ反対はんたいしたが、つよ決意けつい騎手きしゅ人生じんせいいちすことになる[1]

寛治かんじ自分じぶんした修行しゅぎょうさせることもできたが、一人ひとり息子むすこひろしきびしい修行しゅぎょうをさせるため、1939ねん鳴尾なるお新堂しんどう捨蔵厩舎きゅうしゃ門下生もんかせいとして入門にゅうもんきびしい修行しゅぎょう時代じだいおく[1]、2ねん1941ねん騎手きしゅ免許めんきょ取得しゅとくするが、チャンスにめぐまれずに6ねん修行しゅぎょうえてちちしたかえったが、戦時せんじちゅう1944ねん開催かいさい中止ちゅうしとなる。1945ねんには調教ちょうきょうちゅう事故じこ左足ひだりあし骨折こっせつし、騎手きしゅとしておおきなハンデをった[1]

1957ねん寛治かんじくなり、ちちうまぼうぐべく調教ちょうきょう免許めんきょ取得しゅとく[1]同年どうねん3がつ10日とおか東京とうきょうだい2競走きょうそう4さい(9とうて)・キヨタカ(6ちゃく)、コトブキ(9ちゃく)ではつ出走しゅっそうたす[4]どう20にち中山なかやまだい6競走きょうそう4さい実姉じっしのカツエが所有しょゆうするカズヨシではつ勝利しょうり[4]よく4がつにはどううま皐月さつきしょう制覇せいはし、調教ちょうきょうになってわずか1ヶ月かげつすうじゅうにちでクラシックトレーナーとなった[5]。カツエは女性じょせい馬主ばしゅとしてはじめての皐月さつきしょう制覇せいはであった。

1969ねんにはダイシンボルガード東京とうきょうゆう駿しゅん制覇せいはしてダービートレーナーとなるが、最後さいご直線ちょくせん担当たんとううまやつとむいん石田いしだ健一けんいち馬場ばばし、大崎おおさき昭一しょういちせてどろんこ馬場ばばはしるダイシンボルガードとともそとらち沿いをはしった逸話いつわ有名ゆうめいである[6][7]

1973ねんには26しょうれんたいりつ.292をげて関東かんとう調教ちょうきょう技術ぎじゅつしょう受賞じゅしょう[8]

けっして無理むり使つかいせずに十分じゅうぶん余裕よゆうのあるローテーションをんでいちとういちとう仕上しあげた成果せいかであり[8]1975ねんにはフジノパーシア天皇てんのうしょうあき制覇せいは騎手きしゅ大崎おおさきうまやつとむいん石田いしだ馬主ばしゅ高橋たかはし金次きんじ真田さなだ繁次しげじはダイシンボルガードのとき再現さいげんであった[8]期待きたいであったフジノパーシアがクラシックシーズンにたまぶしえん発症はっしょうしたが、その無理むりせず休養きゅうようをとったことが復活ふっかつにつながった。柴田しばたのちに「あのころはまだうまわかく、それだけのちからをつけていなかった。でも、あの時期じき無理むりをしなかったのが、いまにしておもえばよかったのでしょう。」とかたっている[8]

そのはフジノパーシアで海外かいがい遠征えんせいかんがえ、1976ねんワシントンDCインターナショナル出走しゅっそうするが、海外かいがい特有とくゆうのパドックでのひとさわぎにより、すっかりイレんでしまいちからせずに6ちゃくやぶれた。柴田しばたのこの経験けいけん貴重きちょうなものとし、日本にっぽんうま過保護かほごさをおもい「うま大事だいじにするということはうま信頼しんらいるということ」とかんがえるようになる[8]

1985ねんにはダイシンフブキ朝日あさひはい3さいステークス制覇せいはしてゆう駿しゅんしょう最優秀さいゆうしゅう3さい牡馬ぼば受賞じゅしょう[9]短距離たんきょり血統けっとうでもあり、距離きょりびてどうかと周囲しゅういからわれていたどううまを「2000mまでなら能力のうりょくちがいで克服こくふくできる。」とかんがえて弥生やよいしょうへの出走しゅっそう決定けっていし、結果けっか見事みごと勝利しょうりしてデビューから5連勝れんしょうかざった[9]

予定よていどお皐月さつきしょう挑戦ちょうせんし、そのうま適性てきせいにあったたん中距離ちゅうきょり路線ろせんえらぶつもりであったが、皐月さつきしょうは1ばん人気にんき支持しじされたものの7ちゃくやぶれる。レース骨折こっせつ判明はんめいして引退いんたい余儀よぎなくされ、たね牡馬ぼばりする[9]

このとし皐月さつきしょうダイナコスモス東京とうきょうゆう駿しゅんダイナガリバーって社台やしろだいファーム悲願ひがん達成たっせいしたが、もしダイシンフブキが無事ぶじであったならとかんがえるほど逸材いつざいであった。

晩年ばんねん外部がいぶもの柴田しばたに「競馬けいばとはなにですか」といたところ、すこあいだいて「競馬けいばか…競馬けいばながれだな」とにっこりしながらったという。「シバカン」「ヒロチャン」の愛称あいしょうしたしまれ、うま無理むり使つかいせず成長せいちょう忍耐にんたいとあの時代じだい海外かいがい挑戦ちょうせんするといった気概きがいのある調教ちょうきょうであり[8][9][10]、その気概きがいあらわすようにダイシンボルガード、フジノパーシアでたせなかった有馬ありま記念きねん制覇せいはゆめもまだまだててはいなかったが、1993ねん11月12にち調教ちょうきょう引退いんたいし、2にち14にち死去しきょ[9]

成績せいせき

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騎手きしゅ成績せいせき

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  • 騎手きしゅとしての在籍ざいせき期間きかん 1944ねん-1954ねん[4]
  • 成績せいせき資料しりょういため不明ふめい

調教ちょうきょう成績せいせき

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とし 競走きょうそう種目しゅもく 出走しゅっそう回数かいすう 1ちゃく 2ちゃく 3ちゃく 4ちゃく以下いか 勝率しょうりつ れんたいりつ
1957ねん 平地ひらち 63 11 6 5 41 .175 .270
障害しょうがい 7 0 0 1 6 .000 .000
けい 70 11 6 6 47 .157 .243
1958ねん 平地ひらち 107 3 5 6 93 .028 .075
障害しょうがい 7 0 1 0 6 .000 .143
けい 114 3 6 6 99 .026 .079
1959ねん 平地ひらち 61 5 5 3 48 .082 .164
障害しょうがい 28 2 2 3 21 .071 .143
けい 89 7 7 6 69 .079 .157
1960ねん 平地ひらち 41 8 6 2 25 .195 .341
障害しょうがい 52 7 4 6 35 .135 .212
けい 93 15 10 8 60 .161 .269
1961ねん 平地ひらち 28 5 0 3 20 .179 .179
障害しょうがい 13 3 0 3 7 .231 .231
けい 41 8 0 6 27 .195 .195
1962ねん 平地ひらち 60 2 9 5 44 .033 .183
障害しょうがい 5 0 0 0 5 .000 .000
けい 65 2 9 5 49 .031 .169
1963ねん 平地ひらち 64 1 4 3 56 .016 .078
障害しょうがい 17 3 1 4 9 .176 .235
けい 81 4 5 7 65 .049 .111
1964ねん 平地ひらち 97 13 16 7 61 .134 .300
障害しょうがい 2 0 0 0 2 .000 .000
けい 99 13 16 7 63 .131 .293
1965ねん 平地ひらち 105 10 14 17 64 .095 .229
障害しょうがい 14 1 2 2 9 .071 .214
けい 119 11 16 19 73 .092 .227
1966ねん 平地ひらち 90 4 12 8 66 .044 .178
障害しょうがい - - - - - - -
けい 90 4 12 8 66 .044 .178
1967ねん 平地ひらち 124 10 18 17 79 .081 .226
障害しょうがい - - - - - - -
けい 124 10 18 17 79 .081 .226
1968ねん 平地ひらち 140 15 18 15 92 .107 .236
障害しょうがい - - - - - - -
けい 140 15 18 15 92 .107 .236
1969ねん 平地ひらち 100 20 15 6 59 .200 .350
障害しょうがい 8 3 0 1 4 .375 .375
けい 108 23 15 7 63 .213 .352
1970ねん 平地ひらち 153 21 19 20 93 .137 .261
障害しょうがい 1 0 0 0 1 .000 .000
けい 154 21 19 20 94 .136 .260
1971ねん 平地ひらち 120 12 10 15 83 .100 .183
障害しょうがい - - - - - - -
けい 120 12 10 15 83 .100 .183
1972ねん 平地ひらち 116 10 11 16 79 .086 .181
障害しょうがい 6 1 0 2 3 .167 .167
けい 122 11 11 18 82 .090 .180
1973ねん 平地ひらち 133 26 14 12 81 .195 .301
障害しょうがい 4 0 0 0 4 .000 .000
けい 137 26 14 12 85 .190 .292
1974ねん 平地ひらち 130 18 22 19 71 .138 .308
障害しょうがい - - - - - - -
けい 130 18 22 19 71 .138 .308
1975ねん 平地ひらち 148 27 27 16 78 .182 .365
障害しょうがい 2 0 0 0 2 .000 .000
けい 150 27 27 16 80 .180 .360
1976ねん 平地ひらち 130 23 13 15 79 .177 .277
障害しょうがい 3 0 0 1 2 .000 .000
けい 133 23 13 16 81 .173 .271
1977ねん 平地ひらち 119 9 9 13 88 .076 .151
障害しょうがい 6 2 2 1 1 .333 .667
けい 125 11 11 14 89 .088 .176
1978ねん 平地ひらち 85 6 4 2 73 .071 .118
障害しょうがい 5 3 1 0 1 .600 .800
けい 90 9 5 2 74 .100 .156
1979ねん 平地ひらち 87 13 13 10 51 .149 .299
障害しょうがい 15 2 3 1 9 .133 .333
けい 102 15 16 11 60 .147 .304
1980ねん 平地ひらち 115 8 4 13 90 .070 .104
障害しょうがい 5 0 0 0 5 .000 .000
けい 120 8 4 13 95 .067 .100
1981ねん 平地ひらち 125 13 14 18 80 .104 .216
障害しょうがい 12 0 3 1 8 .000 .250
けい 137 13 17 19 88 .095 .219
1982ねん 平地ひらち 120 8 5 13 94 .067 .108
障害しょうがい 5 0 0 0 5 .000 .000
けい 125 8 5 13 99 .064 .104
1983ねん 平地ひらち 88 8 2 7 71 .091 .114
障害しょうがい 22 2 3 5 12 .091 .227
けい 110 10 5 12 83 .091 .136
1984ねん 平地ひらち 107 14 7 9 77 .131 .196
障害しょうがい 13 1 0 1 11 .077 .077
けい 120 15 7 10 88 .125 .183
1985ねん 平地ひらち 146 15 18 20 93 .103 .226
障害しょうがい 4 0 0 0 4 .000 .000
けい 150 15 18 20 97 .100 .220
1986ねん 平地ひらち 136 11 9 8 108 .081 .147
障害しょうがい 3 1 1 0 1 .333 .667
けい 139 12 10 8 109 .086 .158
1987ねん 平地ひらち 111 12 9 11 79 .108 .189
障害しょうがい 12 1 4 1 6 .083 .417
けい 123 13 13 12 85 .106 .211
1988ねん 平地ひらち 125 17 15 10 83 .136 .256
障害しょうがい - - - - - - -
けい 125 17 15 10 83 .136 .256
1989ねん 平地ひらち 129 12 10 13 94 .093 .171
障害しょうがい 4 0 0 0 4 .000 .000
けい 133 12 10 13 98 .090 .165
1990ねん 平地ひらち 95 12 6 6 71 .126 .189
障害しょうがい 10 1 1 0 8 .100 .200
けい 105 13 7 6 79 .124 .190
1991ねん 平地ひらち 128 13 15 17 83 .102 .219
障害しょうがい 1 0 0 0 1 .000 .000
けい 129 13 15 17 84 .101 .217
1992ねん 平地ひらち 118 8 10 8 92 .068 .153
障害しょうがい 3 0 0 0 3 .000 .000
けい 121 8 10 8 95 .066 .149
1993ねん 平地ひらち 105 9 8 3 85 .086 .162
障害しょうがい - - - - - - -
けい 105 9 8 3 85 .086 .162
総計そうけい 4,238 465 430 424 2,919 .110 .211
  • 4238せん465しょううちじゅうしょう18しょううち障害しょうがい競走きょうそう289せん33しょう(1957ねん-1993ねん)[11][12]

おも管理かんり

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受賞じゅしょう

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  • 調教ちょうきょう技術ぎじゅつしょう(関東かんとう)(1973ねん、1975ねん、1976ねん[13]
  • 調教ちょうきょう技術ぎじゅつしょう(1979ねん[13]

おも厩舎きゅうしゃ所属しょぞくしゃ

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp68-72
  2. ^ a b 親子おやこ3だい 馬主ばしゅ80ねん』(著者ちょしゃ 中村なかむら勝五郎かつごろう)中央ちゅうおう競馬けいばピーアールセンターへん pp188-189
  3. ^ 厩舎きゅうしゃあるき50ねん小堀こぼり孝二こうじの「今昔こんじゃくだん」より 中央ちゅうおう競馬けいばピーアールセンターへん pp78-79
  4. ^ a b c 中央ちゅうおう競馬けいばぜん調教ちょうきょう名鑑めいかん 「1954.9.16-2010.12.31」 日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい p173
  5. ^ 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp72-73
  6. ^ 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp74-80
  7. ^ うまやつとむいんのないしょばなし』(著者ちょしゃ 大河内おおこうち わたる)ブックマンしゃ pp80-87
  8. ^ a b c d e f 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp81-85
  9. ^ a b c d e 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp85-86
  10. ^ 厩舎きゅうしゃなんでも百科ひゃっか』「中央ちゅうおう競馬けいば 関東かんとうばん日刊にっかんスポーツ レースへん pp161-164
  11. ^ 中央ちゅうおう競馬けいばぜん調教ちょうきょう名鑑めいかん '93 平成へいせい5年度ねんどばん 日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp142-146
  12. ^ 中央ちゅうおう競馬けいばぜん調教ちょうきょう名鑑めいかん '94 平成へいせい6年度ねんどばん 日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい p127
  13. ^ a b c d e f g h 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp93-94
  14. ^ a b 日本にっぽん騎手きしゅ 中央ちゅうおう競馬けいばピーアールセンターへん p401

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 競馬けいばきた 鈴木すずき信太郎しんたろうすずしゃかい pp22-41 pp242-256
  • 調教ちょうきょうほん IV』だい3しょう 柴田しばたひろし(筆者ひっしゃ 葛西かさい敬子けいこ)日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい pp67-94
  • 日本にっぽん騎手きしゅ 中央ちゅうおう競馬けいばピーアールセンターへん
  • 日本にっぽんの「騎手きしゅ-調教ちょうきょうだい系図けいず(著者ちょしゃ 山本やまもと啓二けいじ)競馬けいば通信つうしんしゃ