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根性こんじょうろん

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根性こんじょうろん(こんじょうろん、えい: die-hard spirit, never-give-up spirit[1])は、苦難くなんこごめしない精神せいしん=根性こんじょうがあれば、どんな問題もんだいでも解決かいけつできる・またはどんな目標もくひょうにも到達とうたつできるとするかんがかた不屈ふくつ精神せいしん)であり、精神せいしんろん精神せいしん主義しゅぎひとつ。東京とうきょうオリンピック1964ねん)の女子じょしバレーボール日本にっぽん代表だいひょうチーム(いわゆる『東洋とうよう魔女まじょ』)をきんメダルみちびいただいまつ博文ひろぶみによって、根性こんじょうろん社会しゃかい浸透しんとうしたとかんがえられる[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

戦後せんご日本にっぽんでは、根性こんじょうろん1964ねん東京とうきょうオリンピック重要じゅうよう契機けいきとして流行りゅうこうし、支配しはいてきなスポーツかんとして、あるいは高度こうど経済けいざい成長せいちょうささえた日本人にっぽんじん精神せいしんてき支柱しちゅうとして定着ていちゃくしていったという見解けんかいしめされている[3]。スポーツにおける根性こんじょうは、東京とうきょうオリンピックにおける競技きょうぎしゃ精神せいしんてき基調きちょうとしていだされ、スポーツ科学かがく研究けんきゅう委員いいんかい心理しんり部会ぶかいでは養成ようせい強化きょうかすべき対象たいしょうとされていた[2]日本にっぽん体育たいいく協会きょうかいへん東京とうきょうオリンピック選手せんしゅ強化きょうか対策たいさく本部ほんぶ報告ほうこくしょ』(1964ねん)やスポーツ科学かがく研究けんきゅう委員いいんかいへん東京とうきょうオリンピックスポーツ科学かがく研究けんきゅう報告ほうこく』(1965ねん)では、根性こんじょうは「勝利しょうりという目標もくひょう達成たっせいのために精神せいしん集中しゅうちゅうし、困難こんなんこごめせず継続けいぞくする強固きょうこ意志いしのこと」とされ、その養成ようせいのためにもう練習れんしゅうやハードトレーニングが重視じゅうしされていた。

東京とうきょうオリンピック以降いこう体育たいいく関連かんれん雑誌ざっしでは、スポーツと根性こんじょうについてのろん稿こう掲載けいさいされており、根性こんじょうはアスリートのみに必要ひつようとされるものではなく、ひとびとが社会しゃかいにおいて困難こんなん状況じょうきょうでもつよ意志いし実行じっこうりょくちからとしてもとめられるものであるとかんがえられていた[4][5]。これらのろん稿こうでは、根性こんじょう精神せいしんりょくおおむおな意味いみとしてとらえられており、スポーツにおける根性こんじょうは、オリンピックや世界せかい大会たいかい選手せんしゅとなるトップアスリートにかぎらず、学校がっこうスポーツとりわけ運動うんどう活動かつどうにおける指導しどうにも反映はんえいされていったとかんがえられる[2]。また、女子じょしバレーボール「東洋とうよう魔女まじょ」をひきいただいまつ博文ひろぶみによる指導しどう信念しんねん哲学てつがくが、世界せかい選手権せんしゅけんおよび東京とうきょうオリンピックにおける優勝ゆうしょうによって説得せっとくりょくをもち、当時とうじひとびとのかた指針ししんとなるメタ思想しそうとして拡大かくだい解釈かいしゃくされていったことも、1960年代ねんだいのスポーツにおける「根性こんじょう」を流行りゅうこうさせる重要じゅうよう契機けいきであったとかんがえられる[2]大松おおまつ根性こんじょうを、強烈きょうれつ継続けいぞくてき行動こうどう目的もくてきへの執着しゅうちゃく結果けっかとして人格じんかくのなかにまれる精神せいしんりょくとしてとらえている[6]。1960年代ねんだいのスポーツにおける根性こんじょうとは、勝利しょうり目的もくてき目標もくひょうてき要素ようそとし、もう練習れんしゅう、ハードトレーニングにみられる困難こんなん課題かだいへの継続けいぞくしたみを方法ほうほうてき要素ようそとしてもち、結果けっかとして競技きょうぎしゃという人間にんげん形成けいせいされるさい必要ひつようつよ意志いし精神せいしんりょくかんがえられた[7]

東京とうきょうオリンピック以降いこうに「スポーツ根性こんじょうろん」が大衆たいしゅうしていくなかで、勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎ正当せいとうする規範きはん理念りねんとして効力こうりょく発揮はっきし、しごきや暴力ぼうりょくをともなった指導しどう受動じゅどうてき忍従にんじゅうをもたらしたとかんがえられる[2]。「スポーツ根性こんじょうろん」は、勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎてき風潮ふうちょうのもと、徹底てっていした競争きょうそう勝利しょうり追求ついきゅうのなかで閉塞へいそくじょうきょうかれたさいに、競技きょうぎ空間くうかんからの離脱りだつ中断ちゅうだん切断せつだん規制きせいし、継続けいぞく接続せつぞくうなが規範きはんとして機能きのうしていることが推察すいさつされる[2]

ただし、どう時代じだい人々ひとびとにも根性こんじょうろん批判ひはんする指導しどうしゃ存在そんざいした。八田はった一朗いちろうは「たけやり根性こんじょう」「いぬ根性こんじょう」を批判ひはんし、勝利しょうり目指めざすことを前提ぜんていとしていたはずの選手せんしゅ指導しどうしゃたちが、「しん実力じつりょく」をつけて確実かくじつ勝利しょうり目指めざさずに精神せいしんめんばかりを強調きょうちょうし、「まんいち」の勝利しょうり目指めざしていることが合理ごうりてきでないと批判ひはんし、「しん実力じつりょく」とは「肉体にくたいちから精神せいしんりょく」であると主張しゅちょうした[8]八田はったは「根性こんじょう」を「肉体にくたいちから精神せいしんりょく」をゆうしている状態じょうたいであるとかんがえた[8]八田はったの「根性こんじょうろんには精神せいしんてき要素ようそ肉体にくたいてき要素ようそかたよりなく存在そんざいするものであった[8]

1960年代ねんだい成立せいりつ流行りゅうこうした「スポーツ根性こんじょうろん」は、それ以降いこう批判ひはんてき言説げんせつをともなってげられるようになった[2]たとえば、スポーツにおける根性こんじょうは、どんなにくるしいことでも、どんな不合理ふごうりなことでも、うえしゃしたがってしのび、頑張がんばることのできる精神せいしんりょくにほかならなかったということや[9]、「根性こんじょう」を「日本人にっぽんじんこのみの精神せいしん主義しゅぎてき色彩しきさいのつよい言葉ことば」としてとらえ、スポーツにおける根性こんじょうとしごきの問題もんだい言及げんきゅうし、勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎ問題もんだいにも関連かんれんづけた見解けんかいしめされている[10]。また、体育たいいく・スポーツにおける根性こんじょう生成せいせい戦前せんぜん軍隊ぐんたいてき秩序ちつじょふかくかかわっており、現代げんだい根性こんじょうはそのような性格せいかくのこしつつ、勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎむすびついていることが指摘してきされていた[11]。1960年代ねんだい以降いこうのスポーツにおける根性こんじょう批判ひはんてき論説ろんせつからは、勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎ関連かんれんづけた弊害へいがい指摘してきされ、その土壌どじょう戦前せんぜん軍隊ぐんたいてき秩序ちつじょ精神せいしん主義しゅぎにあったこととされる[2]。これらの批判ひはんてき言説げんせつ生成せいせいしてきた背景はいけいには、東京とうきょうオリンピック以降いこう、アスリートおよび実践じっせん主体しゅたいをともなった事件じけん東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがくワンダーフォーゲルのシゴキ事件じけん円谷つぶらや幸吉こうきち拓殖大学たくしょくだいがく空手からてリンチ事件じけんなど)が相次あいついでこり、かく方面ほうめんからスポーツ批判ひはん噴出ふんしゅつしたのではないかと推察すいさつされる[2]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 根性こんじょうろん”. 2021ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i 岡部おかべ祐介ゆうすけスポーツにおける勝利しょうり追求ついきゅう問題もんだいせいかんするいち考察こうさつ : 〈勝利しょうり至上しじょう主義しゅぎ〉の生成せいせいとその社会しゃかいてき意味いみ着目ちゃくもくして」『自然しぜん人間にんげん社会しゃかい / 関東学院大学かんとうがくいんだいがく経済学部けいざいがくぶ経営けいえい学部がくぶ教養きょうよう学会がっかいだい65かん関東学院大学かんとうがくいんだいがく経済学部けいざいがくぶ経営けいえい学部がくぶ教養きょうよう学会がっかい、2018ねん7がつ、15-37ぺーじ 
  3. ^ 坂上さかがみ康博やすひろ『にっぽん野球やきゅう系譜けいふがくあおゆみしゃ、2001ねん7がつ、219ぺーじ 
  4. ^ 高橋たかはし亀吉かめきち「スポーツと根性こんじょうについて」『しん体育たいいくだい34かんだい11ごうしん体育たいいくしゃ、1964ねん、130-135ぺーじ 
  5. ^ 浅川あさがわ正一しょういち体育たいいく学習がくしゅう精神せいしんりょく」『学校がっこう体育たいいくだい21かんだい6ごう日本にっぽん体育たいいくしゃ、1968ねん、22-25ぺーじ 
  6. ^ だいまつ博文ひろぶみ『なせばなる!ぞく・おれについてこい』講談社こうだんしゃ、1964ねん、104ぺーじ 
  7. ^ 岡部おかべ祐介ゆうすけ「〈スポーツ根性こんじょうろん〉を再考さいこうする―1960 年代ねんだいにおける「根性こんじょう」の変容へんようと「いま」および「これから」―(日本にっぽん体育たいいく学会がっかいだい 65 かい大会たいかい浅田あさだ学術がくじゅつ奨励しょうれいしょう受賞じゅしょう記念きねん講演こうえん報告ほうこく)」『体育たいいく哲学てつがく研究けんきゅうだい45かん日本にっぽん体育たいいく学会がっかい体育たいいく哲学てつがく専門せんもん分科ぶんかかい編集へんしゅう委員いいんかい、2014ねん、69ぺーじ 
  8. ^ a b c 長島ながしま和幸かずゆき八田はった一朗いちろうの「根性こんじょうろん独自どくじせいかんするいち考察こうさつ:1960 年代ねんだいの「根性こんじょう批判ひはんと「トレーニング」ろん分析ぶんせきとおして」『スポーツ教育きょういくがく研究けんきゅうだい39かんだい2ごう日本にっぽんスポーツ教育きょういく学会がっかい、2020ねん、13-26ぺーじdoi:10.7219/jjses.39.2_13 
  9. ^ せきはるみなみ戦後せんご日本にっぽんのスポーツ政策せいさく:オリンピック体制たいせい確立かくりつ」『一橋大学ひとつばしだいがく研究けんきゅう年報ねんぽう経済けいざいがく研究けんきゅうだい14かん一橋大学ひとつばしだいがく、1970ねん、225ぺーじ 
  10. ^ 森川もりかわ貞夫さだお「「根性こんじょうろん歴史れきしてき社会しゃかいてき背景はいけい」『女子じょし体育たいいくだい16かんだい5ごう公益社こうえきしゃだん法人ほうじん日本にっぽん女子じょし体育たいいく連盟れんめい、1974ねん、33ぺーじ 
  11. ^ 草深くさぶかちょくしん現代げんだいスポーツの構造こうぞうとイデオロギー』青木あおき書店しょてん、1986ねん、42ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]