桜田さくらだげん

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桜田さくらだ げん(さくらだ じごん、生年せいねんしょう - おうちょう元年がんねん10月26にち1311ねん12月6にち))は、鎌倉かまくら時代ときよ中期ちゅうきから後期こうきにかけてのそうちち鎌倉かまくら幕府ばくふ5だい執権しっけん北条ほうじょうよりゆき。8だい執権しっけん北条ほうじょう時宗じしゅう異母弟いぼていはは不明ふめい桜田さくらだ禅師ぜんじ相模さがみ禅師ぜんじとも。どききょうとする系図けいずもある。よりゆきさだこく定宗さだむね

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

きょういむめぐみ法印ほういん(または左大臣さだいじん法印ほういんいむめぐみただし〉)の弟子でし桜田さくらだりゅう北条ほうじょう名字みょうじ武蔵むさしこくさくら田郷たごうげん東京とうきょう)に由来ゆらいするという。ときげんかんする『吾妻あづまきょう』『尊卑そんぴ分脈ぶんみゃく』での記録きろくられないが、桜田さくらだりゅう一族いちぞく鎮西ちんぜい下向げこうし、三河みかわまもるよりゆき鎌倉かまくら時代じだいさい末期まっき大隅おおすみこく守護しゅごとなり、鎮西ちんぜい評定ひょうじょうしゅつとめている。そのおとうとさだこく瓜連うりづらとも)は鎌倉かまくらにあって元弘もとひろらん有力ゆうりょく武将ぶしょうとしてたたかっている。

系譜けいふ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]