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森口もりぐちえきこう

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森口もりぐち えきこう
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 大阪おおさか八尾やお
生年月日せいねんがっぴ (1953-07-20) 1953ねん7がつ20日はつか(71さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
180 cm
80 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1975ねん ドラフト1
はつ出場しゅつじょう 1977ねん4がつ17にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 1987ねん9がつ26にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

森口もりぐち えきこう(もりぐち ますみつ、1953ねん7がつ20日はつか - )は、大阪おおさか出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。みぎとうみぎ

来歴らいれき人物じんぶつ

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大商だいしょうだいづけだか時代じだいから速球そっきゅう投手とうしゅとして大阪おおさかでは有名ゆうめい存在そんざいであった。3ねん1971ねんなつ甲子園こうしえん予選よせんでは準々じゅんじゅん決勝けっしょう田尾たお安志やすしようする泉尾いずおだかに9かい逆転ぎゃくてんけ、甲子園こうしえんにはとどかなかった。

高校こうこう卒業そつぎょう近畿大学きんきだいがく進学しんがくし、関西かんさいろく大学だいがく野球やきゅうリーグではエースとして2優勝ゆうしょう貢献こうけんした。3ねん1974ねん春季しゅんきリーグで6ねんぶりに優勝ゆうしょう直後ちょくごだい23かい全日本ぜんにほん大学だいがく選手権せんしゅけんでは、準決勝じゅんけっしょう中畑なかはたきよしらのいた駒大こまだい決勝けっしょう早大そうだいに2-3でやぶじゅん優勝ゆうしょう)に延長えんちょう13かい0-1で敗退はいたい同年どうねんだい3かい日米にちべい大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい日本にっぽん代表だいひょうに、チームメートの神垣かみがき雅行まさゆきとともに選出せんしゅつされる。1975ねん秋季しゅうきリーグで自身じしん2度目どめ優勝ゆうしょうかざり、つづだい6かい明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅう大会たいかい1回戦かいせん名城大めいじょうだいに4-7でやぶれた。リーグ通算つうさん72試合しあい登板とうばん、39しょう17はい防御ぼうぎょりつ1.92、406だつ三振さんしん記者きしゃクラブしょう1かい、ベストナイン2かい受賞じゅしょう大学だいがく同期どうきちゅうつかさ得三とくぞうがいる。

1975ねんのドラフトで南海なんかいホークスから1指名しめいけて入団にゅうだん

1977ねんには一軍いちぐん定着ていちゃく

1978ねんには藤田ふじたまなぶぐ26試合しあい先発せんぱつ、9しょうをあげる。とく日本にほんハムせんつよく、「ハムキラー」といわれた。

1979ねんは、同年どうねんロッテオリオンズ入団にゅうだんした落合おちあい博満ひろみつにプロはつ安打あんだたれている。(落合おちあいとはのちに移籍いせきした中日ちゅうにちドラゴンズで、現役げんえき晩年ばんねんの2シーズン、チームメイトとなった。)

1982ねん以降いこう低迷ていめい登板とうばん機会きかい減少げんしょうする。

1984ねんおさえに転向てんこう金城きんじょうはじめやすしともにダブルストッパーににんじられたがるわなかった。

1986ねん10月自由じゆう契約けいやくとなり中日ちゅうにち移籍いせき。ここでも先発せんぱつ要員よういんとして起用きようされた。

1988ねんかぎりで現役げんえき引退いんたい

引退いんたい大阪おおさか市内しないにあるホテルマン勤務きんむかたわ東大阪ひがしおおさかにあるもとプロ野球やきゅう選手せんしゅによる少年しょうねん野球やきゅうじゅく野球やきゅうじゅくチェイスアワードリーム』にコーチとして所属しょぞく勤務きんむするホテルは福岡ふくおかソフトバンクホークス選手せんしゅ近畿きんき遠征えんせいするさい宿泊しゅくはく使用しようされている。

たましゅはストレート、カーブ、シュート。

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
1977 南海なんかい 17 7 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 207 47.1 49 4 24 0 0 30 1 0 26 23 4.40 1.54
1978 31 26 12 4 0 9 10 0 -- .474 773 185.2 157 20 73 2 7 103 3 0 75 68 3.29 1.24
1979 32 26 11 3 0 9 14 0 -- .391 790 179.0 188 20 77 0 4 102 1 0 102 83 4.17 1.48
1980 20 19 8 0 1 3 14 0 -- .176 581 130.1 155 19 49 2 3 51 1 0 89 79 5.47 1.57
1981 24 11 2 0 0 1 8 0 -- .111 451 101.2 119 9 37 4 2 42 2 0 57 53 4.68 1.53
1982 21 1 0 0 0 0 2 1 -- .000 239 58.1 51 6 18 2 1 35 1 0 31 27 4.19 1.18
1983 16 3 1 0 0 1 2 0 -- .333 180 41.1 43 6 18 0 3 21 2 0 27 26 5.66 1.48
1984 36 1 0 0 0 3 5 0 -- .375 261 60.0 63 11 25 1 2 33 3 1 47 44 6.60 1.47
1985 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 5.1 9 1 2 0 1 3 0 0 7 7 11.81 2.06
1986 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 17 3.0 7 1 0 0 0 3 0 0 6 2 6.00 2.33
1987 中日ちゅうにち 20 6 0 0 0 0 3 0 -- .000 206 49.0 56 10 12 0 2 22 2 0 29 29 5.33 1.39
通算つうさん:11ねん 222 100 34 7 1 27 58 1 -- .318 3732 861.0 897 107 335 11 25 445 16 1 496 441 4.61 1.43
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

記録きろく

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  • はつ登板とうばん:1977ねん4がつ17にちたい近鉄きんてつバファローズ前期ぜんき2回戦かいせん藤井寺ふじいでら球場きゅうじょう)、8かいうらに3番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、1かい失点しってん
  • はつだつ三振さんしん:1977ねん5がつ15にちたい阪急はんきゅうブレーブス前期ぜんき8回戦かいせん大阪おおさかスタヂアム)、9かいひょう中沢なかざわ伸二しんじから
  • はつ先発せんぱつ:1977ねん6がつ1にちたい近鉄きんてつバファローズ前期ぜんき11回戦かいせん大阪おおさかスタヂアム)、6かい2/3を2失点しってん自責じせきてん1)
  • はつ勝利しょうりはつ先発せんぱつ勝利しょうり:1977ねん6がつ14にちたいクラウンライターライオンズ前期ぜんき11回戦かいせん大阪おおさかスタヂアム)、7かい失点しってん
  • はつ完投かんとう勝利しょうりはつ完封かんぷう勝利しょうり:1978ねん4がつ4にちたい日本にっぽんハムファイターズ前期ぜんき1回戦かいせん大阪おおさかスタヂアム)
  • はつセーブ:1982ねん8がつ26にちたい近鉄きんてつバファローズ後期こうき9回戦かいせん日生にっせい球場きゅうじょう)、6かいうら1に2番手ばんて救援きゅうえん登板とうばん完了かんりょう、3かい2/3を失点しってん

背番号せばんごう

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  • 22(1976ねん - 1986ねん
  • 32(1987ねん - 1988ねん

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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