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榎本えのもとしげるみん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

榎本えのもと しげるみん(えのもと しげたみ、1930ねん2がつ21にち - 2003ねん1がつ16にち[1])は、日本にっぽんげき作家さっか演出えんしゅつ小説しょうせつ日本にっぽん演劇えんげき協会きょうかい理事りじをつとめた[2]

経歴けいれき

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きゅう東京とうきょうまれ。1951ねん國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ中退ちゅうたい[3]近世きんせい文学ぶんがく芸能げいのう研究けんきゅうて、戯曲ぎきょく小説しょうせつ創作そうさくがけ、演出えんしゅつおこな[4]

雑誌ざっし編集へんしゅうのかたわら、1961ねんオール讀物よみもの懸賞けんしょう戯曲ぎきょくに『孤塁こるい』が入選にゅうせんどう1961ねん新派しんぱの「はな吉原よしわらひゃくにんり」でデビュー[5]

おも戯曲ぎきょく新国劇しんこくげきの『同期どうきさくら』、新派しんぱの『寺子屋てらこや登勢とせ』、そのあい高尾たかお』『たぬき』『浮世うきよぶし立花たちばな家橘かきつこれすけ』があるほか、『明日あしたのことはらずこう』『おまえ極楽ごくらく』などの小説しょうせつ執筆しっぴつした。1977ねんには芸術げいじゅつさい大賞たいしょう受賞じゅしょうした[1]

演出えんしゅつ作品さくひんに「うすさくら」「築山殿ちくやまどの始末しまつ」「けんさんじょじゅう」、脚色きゃくしょく演出えんしゅつは「かさおうぎ」など多数たすう[6]

また、フジテレビ系列けいれつ放送ほうそうされた『さんひきさむらい』(1964ねん - 1969ねん)の脚本きゃくほん手掛てがけるなど、テレビドラマ制作せいさくたずさわったこともあった。

落語らくご研究けんきゅうでもあった。1999ねんまでTBSで30年間ねんかんつづいたテレビ番組ばんぐみTBS落語らくご特選とくせんかい』では、解説かいせついんとして山本やまもと文郎ふみおアナウンサーとともちゃぶだいならんですわ姿すがたがよくられていた。

2003ねん1がつ16にち自宅じたく火事かじとなり、あとから遺体いたいとなって発見はっけんされた。72さいぼつ[1]

受賞じゅしょう

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出典しゅってん日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう

  • オール読物よみもの一幕ひとまくぶつ戯曲ぎきょく入選にゅうせん昭和しょうわ36ねん
  • よんにんかいしょう昭和しょうわ41ねん
  • 芸術げいじゅつさい大賞たいしょう昭和しょうわ52ねん〕「あい高尾たかお
  • 大谷おおや竹次郎たけじろうしょうだい27かい)〔平成へいせい10ねん〕「鶴賀つるがまつ千歳ちとせ泰平たいへい

著作ちょさく

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たんちょ

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共著きょうちょ編著へんちょ

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  • 大衆たいしゅう芸能げいのう資料しりょう集成しゅうせい だい4かん 寄席よせげい 1 落語らくご編著へんちょ、(1981ねんさんいち書房しょぼう
  • ころ文句もんく研究けんきゅう part 2』共著きょうちょ、1987ねん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ
  • 落語らくご名人めいじん大全たいぜん三田みたじゅん共編きょうへん 講談社こうだんしゃ (スーパー文庫ぶんこ) 1995ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c げき作家さっか榎本えのもとしげるみんさん焼死しょうし. 共同通信社きょうどうつうしんしゃ. 47NEWS. (2003ねん1がつ17にち). https://web.archive.org/web/20150619113201/http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003011701000502.html 2012ねん8がつ5にち閲覧えつらん 
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん人物じんぶつデータベース
  3. ^ 朝日新聞あさひしんぶん人物じんぶつデータベース
  4. ^ 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう
  5. ^ 朝日新聞あさひしんぶん人物じんぶつデータベース
  6. ^ 読売よみうり人物じんぶつデータベース