(Translated by https://www.hiragana.jp/)
橋本勝太郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

橋本はしもと勝太郎かつたろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本はしもと 勝太郎かつたろう

橋本はしもと 勝太郎かつたろう(はしもと かつたろう、1862ねん6がつ20日はつか文久ぶんきゅう2ねん5月23にち[1][2]) - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)5がつ24にち[1][2])は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん社会しゃかい事業じぎょう最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん中将ちゅうじょう

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

岐阜ぎふけん出身しゅっしん[1][2][3]橋本はしもと与左衛門よざえもん長男ちょうなんとしてうまれる[1]。1878ねん明治めいじ11ねん)4がつ陸軍りくぐん教導きょうどうだん入団にゅうだんし、1879ねん明治めいじ12ねん)7がつ歩兵ほへい伍長ごちょう任官にんかん東京とうきょう鎮台ちんだいづけとなる[1]。1886ねん明治めいじ19ねん)6がつ25にち歩兵ほへい少尉しょうい任官にんかん[4][5]同月どうげつ28にち陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうきゅう8)を卒業そつぎょう[6][7]歩兵ほへいだい9連隊れんたい小隊しょうたいちょう就任しゅうにん[8]。1892ねん明治めいじ25ねん)12月、陸軍りくぐんだい学校がっこう(8)を優等ゆうとう卒業そつぎょうした[2][3][9]

1894ねん明治めいじ27ねん)11月、歩兵ほへい大尉たいいすす陸士りくし教官きょうかん就任しゅうにん[1]大本営だいほんえいづけ連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼう)、台湾たいわん総督そうとく副官ふっかんどう参謀さんぼう近衛このえ師団しだん参謀さんぼう陸士りくし教官きょうかんりくだい教官きょうかん留守るす近衛このえ師団しだん参謀さんぼうちょう [3]つとめ、1904ねん明治めいじ37ねん)3がつ歩兵ほへい中佐ちゅうさ進級しんきゅう[1]同年どうねん4がつ鎮南うら碇泊ていはくじょう司令しれいかん就任しゅうにんし、同年どうねん10がつから1906ねん明治めいじ39ねん)1がつまでにち戦争せんそう出征しゅっせい[1]。1904ねん11月、後備こうびだい1師団しだん参謀さんぼうちょう発令はつれいされ奉天ほうてん会戦かいせんなどに参戦さんせんした[1][2][3]

1906ねん2がつ近衛このえあゆみへいだい3連隊れんたいちょう就任しゅうにんし、同年どうねん12がつ歩兵ほへい大佐たいさ昇進しょうしん[1][3]。1907ねん明治めいじ40ねん)11月、 だい1師団しだん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん[1][3]どう師団しだん司令しれいづけて、1910ねん明治めいじ43ねん)11月、陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう歩兵ほへいだい24旅団りょだんちょう就任しゅうにん[1][2][3]独立どくりつ守備しゅびたい司令しれいかん陸士りくし校長こうちょう歴任れきにん[1][2][3]。1915ねん大正たいしょう4ねん)2がつ陸軍りくぐん中将ちゅうじょうすす憲兵けんぺい司令しれいかん就任しゅうにん[1][2][3]。1916ねん大正たいしょう5ねん)3がつだい9師団しだんちょうおやされた[1][2][3]。1919ねん大正たいしょう8ねん)7がつ待命たいめいとなり、1920ねん大正たいしょう9ねん)2がつ予備よびやく編入へんにゅうされた[1][2][3]

1924ねん大正たいしょう13ねん)12月、不良ふりょう少年しょうねん保護ほごのため日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい設立せつりつ会長かいちょうとなった[1][10][11]

栄典えいてん

[編集へんしゅう]
位階いかい
勲章くんしょう

著作ちょさく

[編集へんしゅう]
  • 経済けいざいてき軍備ぐんび改造かいぞう隆文たかふみかん、1921ねん
  • 平和へいわささえへ : 文武ぶんぶ協調きょうちょう弘道こうどうかん、1922ねん
  • 両親りょうしんぐ』日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい、1936ねん
  • びゆく子供こどもをどうするか』日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい、1936ねん
  • じゅつ犯罪はんざい徳性とくせい日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい、1938ねん
  • じゅつ不良ふりょう矯正きょうせい犯罪はんざい治療ちりょうしんろん日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい、1939ねん
  • 少年しょうねん性格せいかく環境かんきょう同文どうぶんかん、1942ねん
  • 鈴木すずき四郎しろうへんあらし子供こども日本にっぽん少年しょうねん指導しどうかい、1934ねん

親族しんぞく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん、123-124ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g h i j 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』571ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g h i j k 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』74ぺーじ
  4. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』73-74ぺーじ
  5. ^ 官報かんぽうだい897ごう明治めいじ19ねん6がつ29にち
  6. ^ 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん、625ぺーじ
  7. ^ 官報かんぽうだい899ごう明治めいじ19ねん7がつ1にち
  8. ^ 官報かんぽうだい898ごう明治めいじ19ねん6がつ30にち
  9. ^ 日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん。123-124、547ぺーじ
  10. ^ a b 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろくだい7はん、1925ねん、は81ぺーじ
  11. ^ 司法省しほうしょう保護ほごへん少年しょうねん保護ほご団体だんたい要覧ようらん日本にっぽん少年しょうねん保護ほご協会きょうかい、1933ねん、19ぺーじ
  12. ^ 官報かんぽうだい1034ごう叙任じょにん」1886ねん12月9にち
  13. ^ 官報かんぽうだい2571ごう叙任じょにん及辞れい」1892ねん1がつ28にち
  14. ^ 官報かんぽうだい6247ごう叙任じょにん及辞れい」904ねん4がつ30にち
  15. ^ 官報かんぽうだい7084ごう叙任じょにん及辞れい」1907ねん2がつ13にち
  16. ^ 官報かんぽうだい8290ごう叙任じょにん及辞れい」1911ねん2がつ13にち
  17. ^ 官報かんぽうだい780ごう敍任じょにん及辞れい」1915ねん3がつ11にち
  18. ^ 官報かんぽうだい1397ごう叙任じょにん及辞れい」1917ねん3がつ31にち
  19. ^ 官報かんぽうだい2270ごう叙任じょにん及辞れい」1920ねん3がつ1にち
  20. ^ 官報かんぽうだい700ごう叙任じょにん及辞れい」1914ねん12月1にち
  21. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • はたいくへん日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん