沢田 研二 in 夜 のヒットスタジオ
『
概要
[『
収録 内容
[DISC1(1975年 - 1977年 )
[白 い部屋 (1975年 5月 5日 )- バックバンドは
井上 堯之バンド。
- バックバンドは
巴里 にひとり(1975年 5月 5日 )歌唱 前 に沢田 がこの曲 のフランス盤 『MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE』でフランスのゴールドディスク賞 を獲 ったため番組 内 で授与 が行 われ、プロデューサーの加瀬 邦彦 も駆 けつけた。
時 の過 ぎゆくままに(1975年 9月 1日 )時 の過 ぎゆくままに(1975年 12月8日 )時 の過 ぎゆくままに(1975年 12月29日 )立 ちどまるなふりむくな(1976年 2月 16日 )- ウィンクでさよなら (1976
年 4月 26日 )髪型 をカーリーヘアに変 えて登場 した(その次 の回 では以前 の髪型 に戻 している)。
- ウィンクでさよなら(1976
年 5月 10日 ) - コバルトの
季 節 の中 で(1976年 9月 13日 ) - コバルトの
季 節 の中 で(1976年 10月 25日 ) - コバルトの
季 節 の中 で(1976年 11月29日 ) - コバルトの
季 節 の中 で(1976年 12月13日 ) - さよならをいう
気 もない(1977年 1月 10日 ) - さよならをいう
気 もない(1977年 2月 7日 ) - さよならをいう
気 もない(1977年 3月 14日 ) - さよならをいう
気 もない(1977年 4月 18日 ) 勝手 にしやがれ(1977年 5月 23日 )曲 の後半 スタジオにスモークが焚 かれたが、量 が多 すぎて沢田 の姿 が見 えなくなる部分 があった。
勝手 にしやがれ(1977年 6月 6日 )勝手 にしやがれ(1977年 6月 20日 )- オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を
披露 。DVD『山口 百恵 in夜 のヒットスタジオ』には共演 した山口 百恵 が沢田 にメドレーを繋 げるシーンが収録 されている。
- オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を
勝手 にしやがれ(1977年 7月 11日 )
DISC2(1977年 - 1978年 )
[憎 みきれないろくでなし (1977年 9月 5日 )間奏 中 、ギターの井上 堯之が沢田 にからむパフォーマンスが歌唱 時 の定番 となる。
憎 みきれないろくでなし(1977年 9月 26日 )- この
回 の衣装 はコンサートで着用 したアラブ風 衣装 。間奏 中 にからむギターを井上 堯之バンドを当時 (同年 2~12月 の間 )、一時 的 に離 れていた速水 清司 がつとめた。
- この
- MY WAY(1977
年 10月 3日 ) 危険 なふたり(1977年 10月 3日 )憎 みきれないろくでなし(1977年 10月 24日 )憎 みきれないろくでなし(1977年 11月28日 )憎 みきれないろくでなし(1977年 12月19日 )勝手 にしやがれ(1977年 12月19日 )- サムライ(1978
年 1月 9日 ) - サムライ(1978
年 1月 30日 )- スタジオに
畳 を敷 き詰 めその上 で歌唱 。衣装 はハーケンクロイツの腕章 付 きのもの。
- スタジオに
- サムライ(1978
年 2月 20日 )衣装 は前回 と同 じだが腕章 がハーケンクロイツから×印 に変 わっている。
- サムライ(1978
年 3月 20日 ) - サムライ(1978
年 4月 17日 ) - ダーリング(1978
年 5月 22日 ) - ダーリング(1978
年 6月 19日 ) - ダーリング(1978
年 7月 3日 ) - ダーリング(1978
年 7月 24日 )
DISC3(1978年 - 1979年 )
[- LOVE (
抱 きしめたい) (1978年 9月 4日 ) - LOVE (
抱 きしめたい)(1978年 10月 2日 ) - LOVE (
抱 きしめたい)(1978年 11月6日 ) - LOVE (
抱 きしめたい)(1978年 12月11日 ) - LOVE (
抱 きしめたい)(1978年 12月25日 ) - カサブランカ・ダンディ(1979
年 1月 15日 ) - カサブランカ・ダンディ(1979
年 2月 19日 ) - カサブランカ・ダンディ(1979
年 3月 12日 ) - カサブランカ・ダンディ(1979
年 4月 16日 ) - OH! ギャル(1979
年 5月 21日 )- この
回 と次回 の衣装 は白 を基調 とした船長 スタイル。
- この
- OH! ギャル(1979
年 6月 11日 ) - OH! ギャル(1979
年 7月 9日 )衣装 はピンクを基調 としたカウボーイスタイル(内臓 を模 したシャツ)にローラースケート。だが2番 の初 めにサビ部分 の歌詞 が出 てきたきりサビまで歌詞 が出 なくなるというハプニングが発生 。
- ロンリー・ウルフ(1979
年 9月 10日 ) - ロンリー・ウルフ(1979
年 10月 22日 ) - ロンリー・ウルフ(1979
年 11月12日 )
DISC4(1979年 - 1981年 )
[- カサブランカ・ダンディ~OH! ギャル~ロンリー・ウルフ(1979
年 12月17日 ) - TOKIO(1980
年 1月 7日 )- この
曲 (夜 のヒットスタジオではこの回 まで)を最後 に井上 堯之バンドは解散 。衣装 は有名 になったパラシュート付 きのものだがこの回 では前奏 時 にヘルメットを着 けていた。
- この
- TOKIO(1980
年 1月 28日 ) - TOKIO(1980
年 2月 11日 ) - TOKIO(1980
年 3月 17日 ) 恋 のバッド・チューニング(1980年 5月 19日 )- ここからバックバンドはALWAYSに。
胃潰瘍 で一 カ月 休養 してからの初 出演 だったためオープニングメドレー時 に『全快 おめでとう』のテロップが出 た。
- ここからバックバンドはALWAYSに。
恋 のバッド・チューニング(1980年 6月 9日 )酒場 でDABADA(1980年 9月 22日 )酒場 でDABADA(1980年 10月 20日 )酒場 でDABADA(1980年 11月17日 )- おまえがパラダイス(1980
年 12月15日 )歌唱 時 ALWAYSのギター柴山 和彦 の髪 をいじるのが定番 に。
- おまえがパラダイス(1980
年 12月27日 ) - おまえがパラダイス(1981
年 1月 12日 ) - おまえがパラダイス(1981
年 2月 23日 ) - バイバイジェラシー (1981
年 5月 11日 ) - ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981
年 9月 21日 )- バックバンドはEXOTICSと
命名 された。衣装 はレコードジャケットと同 じもの。
- バックバンドはEXOTICSと
- ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981
年 10月 12日 )- メイクがより
濃 くなり衣装 も豹 柄 のものに(オープニングメドレー時 は前回 の衣装 で登場 )。
- メイクがより
- ス・ト・リ・ッ・パ・ー(1981
年 11月30日 )
DISC5(1982年 - 1985年 )
[麗人 (1982年 1月 11日 )麗人 (1982年 2月 15日 )- おまえにチェックイン(1982
年 5月 10日 )衣装 はインディアン風 のものだが、『快 傑 ジュリーの冒険 』収録 映像 と違 うカラフルなものになっている(『快 傑 ジュリーの冒険 』の衣装 はオープニングメドレー時 に披露 )。
- 6
番目 のユ・ウ・ウ・ツ(1982年 9月 6日 ) - 6
番目 のユ・ウ・ウ・ツ(1982年 9月 20日 ) 背中 まで45分 (1983年 1月 17日 )晴 れのちBLUE BOY(1983年 5月 9日 )歌唱 時 沢田 が腰 にピンクのスヌーピーを吊 り下 げているのに合 わせてか、『EXOTICS』のベース吉田 建 がスヌーピーマスクを着 けて演奏 していた。
- きめてやる
今夜 (1983年 9月 19日 ) - どん
底 (1984年 1月 23日 ) - どん
底 (1984年 2月 13日 ) - どん
底 (1984年 3月 26日 ) 渡 り鳥 はぐれ鳥 (1984年 4月 23日 )- この
曲 の歌唱 時 に3人 編成 のブラスセクションと共演 していたため、バンド表記 が『EXOTICS&BRASSTICS』とされていた。
- この
渡 り鳥 はぐれ鳥 (1984年 5月 14日 )- オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を
披露 。『THE ALFEE 40th Anniversary スペシャルボックス』には共演 したTHE ALFEEが沢田 にメドレーを繋 ぐシーンが収録 されている。
- オープニングメドレーのトリで「シーサイド・バウンド」を
- はるかに
遠 い夢 (1985年 7月 24日 ) 灰 とダイヤモンド(1985年 7月 24日 )半年 の休養 後 初 のテレビ出演 。間奏 時 口 を覆 う仮面 を着 けていた。ここからバックバンドはCO-CóLOに。
灰 とダイヤモンド(1985年 8月 28日 )灰 とダイヤモンド(1985年 9月 25日 )絹 の部屋 (1985年 9月 25日 )指 (1985年 11月13日 )歌唱 時 中盤 からスタジオに雨 を降 らせ、泥沼 のセットに浸 かりながら歌唱 。同年 の沢田 のコンサートでの同 曲 歌唱 時 の再現 。
DISC6(1986年 - 1990年 )
[- アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜
千 夜 一夜 物語 〜(1986年 4月 9日 ) - アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜
千 夜 一夜 物語 〜(1986年 4月 30日 ) - アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜
千 夜 一夜 物語 〜(1986年 5月 21日 )巨大 な掌 の上 で歌唱 。
時 の過 ぎゆくままに(1986年 6月 4日 )弦楽 四 重奏 を伴奏 に歌唱 。ここから『女神 』まで髪型 が長 いソバージュヘアになる。
夢 を語 れる相手 がいれば(1986年 6月 4日 )- ヴォラーレ(1986
年 6月 11日 )- 1958
年 に発表 されたドメニコ・モドゥーニョの曲 『Nel blu dipinto di blu(VOLARE)[注 5]』の沢田 による日本語 訳 版 。沢田 版 はライブアルバム『20周年 記念 限定 盤 架空 のオペラ'86正月 歌劇 /SUMMER LIVE』(1986年 発売 )と『ACT大 全集 CD BOX』(1999年 発売 )内 の『act NINO ROTA 』(1991年 録音 )に収録 されている。歌唱 時 山口 小夜子 と共 にワルツを踊 った。
- 1958
- ホワイト・ルーム-White Room-(1986
年 6月 18日 )- クリームの
同名 楽曲 のカバー。
- クリームの
- スタンド・バイ・ミー -STAND BY ME-(1986
年 6月 18日 ) 闇 舞踏 (1986年 6月 25日 )無宿 (1986年 8月 6日 )女神 (1986年 10月 22日 )左 胸 に乳房 を模 した衣装 で歌唱 。
女神 (1986年 11月26日 )- やさしく
愛 して(1987年 1月 7日 )- この
時点 で発売 前 だった新曲 (同 曲 が収録 されたシングル『きわどい季 節 』は1987年 3月 21日 発売 )を披露 。ソバージュヘアから短髪 にしている。
- この
- きわどい
季 節 -Summer Graffiti-(1987年 6月 3日 ) - CHANCE (1987
年 11月11日 ) - CHANCE(1987
年 12月23日 ) - TRUE BLUE(1988
年 7月 7日 ) - Stranger -Only Tonight-(1988
年 10月 26日 )- バックバンドはKris Kringl。
- ポラロイドGIRL(1989
年 9月 20日 )- ここからバックバンドはJAZZ MASTERに。
- DOWN(1990
年 2月 21日 )- 『
夜 のヒットスタジオSUPER』唯一 の出演 。
- 『
脚注
[注釈
[- ^ ただし、
古舘 伊知郎 ・柴 俊夫 ・加賀 まりこに関 する映像 はバックに映 り込 んだもの以外 収録 されていない。 - ^
他 の相違 点 としては『山口 百恵 in夜 のヒットスタジオ』・『中森 明菜 IN夜 のヒットスタジオ』に付属 していた「本 放送 時 の世相 を説明 したアバンタイトル」が排除 されていることが挙 げられる。 - ^ この
共演 映像 収録 のため、DVDのカバーにはキングレコード(布施 )・ビクターエンタテインメント(森 )・徳間 ジャパンコミュニケーションズ(五木 )と共演 者 の当時 所属 していたレコード会社 がクレジットされている。 - ^ 『EXOTICS』は
結成 当初 、バンド名 がなく、暫定 的 に『渚 のラブレターバンド』と名乗 っていたため、『バイバイジェラシー』歌唱 時 には曲名 に合 わせバンド名 を変 えた。 - ^
日本 では麒麟 淡 麗 〈生 〉のCMで使 われているジプシー・キングスのカバー版 が有名 。1958年 の第 9回 NHK紅白 歌合戦 でジェームズ・シゲタがこの曲 を歌 っている。
出典
[- ^ http://www.fujitv.co.jp/video/details/ongaku/kenji_s.html[リンク
切 れ] - ^ “
沢田 研二 の超 貴重 映像 満載 、『沢田 研二 in夜 のヒットスタジオ』の収録 曲 と映像 が解禁 ”. BARKS. 2024年 3月 20日 閲覧 。