法門ほうもんてら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
法門ほうもんてら
法門ほうもんてらとう

法門ほうもんてら(ほうもんじ)は、中国ちゅうごく陝西せんせいしょうたからにわとり扶風けん法門ほうもん鎮にある古刹こさつである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

きたあまね以前いぜんにはおもねいく王寺おうじばれ、そのとうおもねそだておうとうばれていた。きたしゅうたけみかどはいぼとけによって、とうてらもまたはいこわされた。

ずいあさおこると、ぶんみかど仏教ぶっきょう尊崇そんすうし、とうてら再建さいけんされたが、きたたかし時代じだい結構けっこう回復かいふくすることはできず、またてらなりじつ道場どうじょうあらためられた。その隣接りんせつする宝昌寺ほうしょうじ編入へんにゅうされた。

はつとうにはすでに、おもねそだておうとう古代こだいインドアショカおうぜん世界せかい建立こんりゅうしたはちまんよんせんとうひとつであるという信仰しんこう根付ねついていた。武徳ぶとく元年がんねん618ねん)には、てら宝昌寺ほうしょうじから独立どくりつさせ、てら法門ほうもんてらあらためた。

さだかん5ねん631ねん)に、ちょうあきらによってとう修復しゅうふくされ、あらわけい5ねん660ねん)には、こうはじめ宝塔ほうとうない仏舎利ぶっしゃり東都とうと洛陽らくよう宮中きゅうちゅうむかえて法要ほうようおこなった。あわせてとう修復しゅうふくおこなった。これは、その仏舎利ぶっしゃりを30ねんに1だけひらきはこし、供養くようしたならば多大ただい功徳くどくられ、国家こっか安泰あんたいるという伝承でんしょうけたものである。ただ、この事業じぎょう推進すいしんした立役者たてやくしゃ武則たけのりてんであるとかんがえられている。

そののりてんであるちゅうむねは、おもねそだておうとうたいして、宝塔ほうとうたてまつっている。また、ちゅうむね皇后こうごうで「たけ韋のわざわい」でられる韋后らは、かみをおろしてとうほどこせいれしている。けいりゅう4ねん710ねん)には、てらめいせいあさゆう王寺おうじと、とうめい大聖たいせい宝塔ほうとうあらためている。

元和がんわ14ねん819ねん)には、けんむね仏舎利ぶっしゃり長安ながやすむかえることを計画けいかくし、それにたいしてかんいよいよが「ろんふつこつひょう」をうえひさげして、そのうったえた。が、れられず、仏舎利ぶっしゃり盛大せいだい法会ほうえとも長安ながやすむかえられ、かんいよいよ広東かんとんしょう左遷させんされた。

開成かいせい3ねん838ねん)には、てらめい法雲寺ほううんじあらためたが、短期間たんきかん法門ほうもんてらふくしている。

かいあきらはいぼとけときには、法門ほうもんてら被害ひがいけたが、懿宗だい盛大せいだい法会ほうえとも仏舎利ぶっしゃり長安ながやす奉迎ほうげいし、法門ほうもんてら盛大せいだい修復しゅうふくした。

1956ねん8がつには、だい一批重点文物保護単位として認定にんていされたが、文化ぶんかだい革命かくめい時期じきに、紅衛兵こうえいへいによってしょどうしょぞう破壊はかいされた。とき住職じゅうしょくであったりょうきょう法師ほうしは、宝塔ほうとう伽藍がらんまもろうとして宝塔ほうとうまえ焼身しょうしんはかり、その僧侶そうりょらも迫害はくがいされ、てらは「扶風けん無産むさん階級かいきゅう造反ぞうはん臨時りんじそう指揮しき」となった。

1979ねん陝西せんせいしょう大雄たいゆう宝殿ほうでんどう仏閣ぶっかく修復しゅうふくしたとき地中ちちゅうからとうだい遺物いぶつ出土しゅつどした 1981ねん8がつ4にち夜半やはん宝塔ほうとう半分はんぶん大雨おおあめによって崩壊ほうかいした。1985ねん陝西せんせいしょう政府せいふ宝塔ほうとう再建さいけんすることを決定けっていした。1987ねん4がつ3にち宝塔ほうとう地下ちかにあった地下ちか宮殿きゅうでんひらかれ、稠密ちゅうみつ彫金ちょうきんほどこした幾重いくえものたからはこおさめられた4つぶ舎利しゃりなどの大量たいりょう貴重きちょう文物ぶんぶつ出土しゅつどし、歴史れきし考古学こうこがくじょう一大いちだい事件じけんとなった。遺物いぶつ大半たいはんは、懿宗だい奉納ほうのうされたものであった。とう1988ねん10月に竣工しゅんこうし、同年どうねん11月9にち法門ほうもんてら博物館はくぶつかん開館かいかんした。

中国ちゅうごくの5Aきゅう観光かんこう(2014ねん認定にんてい)である[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ たから鸡市ほう门寺ふつ文化ぶんかけい”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく文化ぶんか観光かんこう (2021ねん7がつ22にち). 2023ねん2がつ3にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • だてみんかんきん ちょ法門ほうもん寺地てらちみやからみつ曼荼羅まんだら研究けんきゅう』、中國ちゅうごく佛教ぶっきょう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ法門ほうもんてら博物館はくぶつかん佛教ぶっきょうはちすきよし文化ぶんか 編纂へんさん中國ちゅうごく佛教ぶっきょう文化ぶんか出版しゅっぱん、1998年刊ねんかん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3426ふん23.63びょう 東経とうけい10754ふん16.37びょう / 北緯ほくい34.4398972 東経とうけい107.9045472 / 34.4398972; 107.9045472