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浅草あさくさ

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浅草あさくさ』(あさくさのひ)は、浜本はまもとひろし中編ちゅうへん小説しょうせつ

梗概こうがい[編集へんしゅう]

1937ねん2がつ2にちから4がつ13にちまで「東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん」に連載れんさいされ、同年どうねん島津しまつ保次郎やすじろう監督かんとく映画えいがされ(浅草あさくさ (1937ねん映画えいが))、戦後せんごリメイクされた(1956ねん3月11にち浅草あさくさ大映だいえい東京とうきょう 田中たなか重雄しげお監督かんとく1964ねん3月14にち浅草あさくさ 踊子おどりこ物語ものがたり日活にっかつ 斎藤さいとう武市たけいち監督かんとく)。

1938ねん2がつに、だい1かい新潮社しんちょうしゃ文芸ぶんげいしょうだい大衆たいしゅう文芸ぶんげいしょう受賞じゅしょう[1]し、だい5かい直木賞なおきしょう候補こうほさく人間にんげん曲馬きょくばだん」とわせた単行本たんこうぼん浅草あさくさ』が新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうされた[2]続編ぞくへんぞく浅草あさくさ」がある。

あらすじ[編集へんしゅう]

だいいち大戦たいせん関東大震災かんとうだいしんさい直前ちょくぜん浅草あさくさオペラにおける架空かくうの「日本にっぽん」を舞台ぶたいに、スターの山上さんじょうななろう中心ちゅうしんとして青春せいしゅんぐんぞうえがく。一座いちざには芸術げいじゅつ協会きょうかいからながれてきた佐々木ささきくれないこうつま松島まつしまなしえだがいて、「ボッカチオ」や「カルメン」を上演じょうえんしている。べにこうは、島村しまむら抱月ほうげつ佐々ささくれないはなぜて舞台ぶたい俳優はいゆうとしたものだが、べにこう観客かんきゃくから下品げひんなヤジをばされ、自分じぶん芸術げいじゅつだ、芸人げいにんじゃないとって舞台ぶたいりてしまう。

浅草あさくさオペラにつどう「ペラゴロ」の一人ひとり神田かんだ長次郎ちょうじろうは「ポカちょう」のあだがあり、「ポッカチオ」をもじったものだ(浜本はまもと原作げんさくに「ポッカチオ」といてある)。山上さんじょう浅草あさくさ公園こうえんでポカちょうい、一座いちざ若手わかて小杉こすぎ麗子れいこあづける。バー「トスキナ」に成金なりきん半田はんだ耕平こうへいが、麗子れいこいだかせろとなしえだにカネをわたしたのだ。一方いっぽうペラゴロの仲間なかま飛鳥井あすかい肺病はいびょうんでしまい、若者わかものらにはかなさをかんじさせ、一座いちざ吉野よしの紅子べにこ山上さんじょうしたっているが、自分じぶんからだよごれているとう。大阪おおさかった香取かとり、ポカちょう麗子れいこむすばれる。

掲載けいさい書誌しょし[編集へんしゅう]

大衆たいしゅう文学ぶんがく大系たいけい 群司ぐんじ次郎正じろうまさ浜本はまもとひろし片岡かたおか鉄兵てっぺい北村きたむら小松こまつ藤沢ふじさわ桓夫しゅう講談社こうだんしゃ、1973

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

1963ねん9がつ29にちテレビ朝日てれびあさひ『シオノギ日本にっぽん映画えいが名作めいさくドラマ』で放送ほうそう。1927ねん映画えいがをドラマにリメイクした作品さくひん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]