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深瀬ふかせ忠一ただかず

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深瀬ふかせ 忠一ただかず(ふかせ ただかず、1927ねん3月1にち - 2015ねん10月5にち)は、日本にっぽん法学ほうがくしゃせんもん憲法けんぽう北海道大学ほっかいどうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ法学ほうがく博士はかせ北海道大学ほっかいどうだいがく論文ろんぶん博士はかせ・1962ねん)(学位がくい論文ろんぶん衆議院しゅうぎいん解散かいさん : 比較ひかく憲法けんぽうてき考察こうさつ」)。高知こうちけん出身しゅっしん宮澤みやざわしゅんよし門下もんか

略歴りゃくれき

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恩師おんし

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東京大学とうきょうだいがく法学部ほうがくぶ在学ざいがくちゅう戦後せんご憲法けんぽうがく始祖しそ宮沢みやざわしゅんよし教授きょうじゅ師事しじする。宮沢みやざわ晩年ばんねん弟子でし

人物じんぶつ

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内村うちむら鑑三かんぞうらが設立せつりつした札幌さっぽろ独立どくりつキリスト教会きょうかい会員かいいんであった。みずからのクリスチャンとしてのかた日本国にっぽんこく憲法けんぽう精神せいしんかさねあわせ、やや思想しそう先行せんこうした典型てんけいてき護憲ごけん学者がくしゃとしてられる。恵庭えにわ事件じけん長沼ながぬまナイキ事件じけんなどの訴訟そしょうでも出廷しゅっていし、鑑定かんていじんとして証言しょうげんした。

恵庭えにわ事件じけん発生はっせい当時とうじ、まだ学部がくぶせいだった笹川ささかわおさむかちから、「このような事件じけんがある。これは憲法けんぽう問題もんだいではないか」とかれて恵庭えにわ事件じけん存在そんざいったことが、深瀬ふかせ憲法けんぽうがくをつくるひとつのきっかけになったとわれている。

著書ちょしょ

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たんちょ

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  • 恵庭えにわ裁判さいばんにおける平和へいわ憲法けんぽうべんしょう』(日本にっぽん評論ひょうろんしゃ, 1967ねん
  • 長沼ながぬま裁判さいばんにおける憲法けんぽう軍縮ぐんしゅく平和へいわ主義しゅぎ――転換期てんかんき視点してんって』(日本にっぽん評論ひょうろんしゃ, 1975ねん
  • 戦争せんそう放棄ほうき平和へいわてき生存せいぞんけん』(岩波書店いわなみしょてん, 1987ねん

編著へんちょ

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  • 文献ぶんけん選集せんしゅう日本国にっぽんこく憲法けんぽう(3)戦争せんそう放棄ほうき』(三省堂さんせいどう, 1977ねん

共編きょうへんちょ

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訳書やくしょ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 憲法けんぽう学者がくしゃ深瀬ふかせ忠一ただかず死去しきょ 北大ほくだい名誉めいよ教授きょうじゅ平和へいわ主義しゅぎ追究ついきゅう 東京とうきょう新聞しんぶん 2015ねん10がつ5にち