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渡里わたりただしけい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

渡里わたり ただしけい(わたり ただかげ、なま没年ぼつねん不明ふめい)は、日本にっぽん鎌倉かまくら時代ときよから南北なんぼくあさ時代じだいにかけての武将ぶしょう通称つうしょう新左衛門しんざえもん藤左衛門とうざえもんせいさと亘理わたりとも。のちせい先祖せんぞ鳥居とりいふくした。ちち渡里わたり忠吉ただよし鳥居とりい重政しげまさ

ちゅうけいよりきゅうだいまえ渡里わたり鳥居とりいである熊野くまの新宮しんぐうだい19だいべつ当行とうこうはんしげる)は紀伊きい熊野くまの権現ごんげん神職しんしょく家系かけいであった。くだりはん平清盛たいらのきよもりからひら氏姓しせいたまわたいらしょうし、通称つうしょう鳥居とりい法眼ほうげん」とばれた。くだりはん行忠ゆきただうけたまわひさし3ねん1221ねん)の承久じょうきゅうらんのちに、三河みかわ矢作やさくしょううつ土着どちゃくめい渡里わたりただしあらためた。

南北なんぼくあさ動乱どうらんなか三河みかわわたるさと本拠ほんきょとしていたただしけいみなみ朝方あさがた新田にった義貞よしさだしたがった。ちゅうけい大力だいりきゆみにもひいでていたが、のべもと3ねん/たてたけし5ねん1338ねん)に義貞よしさだ越前えちぜん藤島ふじしま燈明寺とうみょうじなわて戦死せんしすると(藤島ふじしまたたか)、渡利わたりむら帰還きかん鳥居とりい藤左衛門とうざえもんあらためた。

子孫しそん鳥居とりい忠吉ただよし元忠もとただがいる。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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