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熊谷くまがい住宅じゅうたく (大田おおた)

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熊谷くまがい住宅じゅうたく

ひがしからのぞむ。ひだりから納屋なや東道とうどうぞう衣装いしょうぞう
所在地しょざいち 島根しまねけん大田おおた大森おおもりまちハ63番地ばんち
位置いち 北緯ほくい357ふん14.3びょう 東経とうけい13226ふん50.8びょう / 北緯ほくい35.120639 東経とうけい132.447444 / 35.120639; 132.447444座標ざひょう: 北緯ほくい357ふん14.3びょう 東経とうけい13226ふん50.8びょう / 北緯ほくい35.120639 東経とうけい132.447444 / 35.120639; 132.447444
類型るいけい 商家しょうか
建築けんちくねん 1801ねん1868ねん
文化財ぶんかざい くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい1998ねん指定してい
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熊谷くまがい住宅じゅうたく(くまがいけじゅうたく)は島根しまねけん大田おおたにある民家みんか建築けんちくである。

概要がいよう

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古記こきろくによれば、熊谷くまがいはもと毛利もうり家臣かしんであったとつたえ、17世紀せいきには銀山ぎんざん経営けいえいにかかわっていた。18世紀せいきにはかけ代官だいかんしょ公金こうきん出納すいとうおこなう)と御用達ごようたし代官だいかんしょ御用ごよう商人しょうにん)をね、19世紀せいきには年寄としよりしょく町役人まちやくにん)をつとめた家柄いえがらである。江戸えど時代じだい末期まっきからは酒造しゅぞうぎょういとなんだ。現存げんそんする屋敷やしきかまえは、寛政かんせい12ねん1800ねん)の大森おおもりまち大火たいか焼失しょうしつしたのち再建さいけんりかかり、明治めいじ初期しょきにかけて順次じゅんじ整備せいびされたものである[1]

大森おおもりまち町並まちなみの北端ほくたんちかく、銀山ぎんざんつうじるみち東側ひがしがわ位置いちし、敷地しきち背後はいごには銀山川ぎんざんがわながれる。敷地しきち西端せいたん道路どうろめんしておもつ。おも北側きたがわには道路どうろせっして北道ほくどうぞう、そのひがししょうぞう衣裳いしょうぞうつ。さらに敷地しきち東側ひがしがわ東道とうどうぞう南側みなみがわ米蔵よねぞうざつぞうつ。当家とうけにはよしみひさし3ねん1850ねん)の家相かそう明治めいじ5ねん1872ねん)の指図さしずのこり、その当時とうじ屋敷やしきかまえを資料しりょうとなっている。これらの資料しりょうから、おも米蔵よねぞうざつぞう前述ぜんじゅつ寛政かんせい12ねん(1800ねん)の火災かさい文化ぶんか年間ねんかん1804ねん - 1817ねん)の完成かんせいとみられ、北道ほくどうぞうしょうぞう東道とうどうぞうはその1850ねんまでの完成かんせい衣裳いしょうぞうは1872ねんまでの完成かんせいとみられる[1]

おもいししゅうかわらの桟瓦葺かわらぶきに漆喰しっくいかべ建物たてもので、北面ほくめん入母屋いりもやづくり南面なんめん切妻きりづまづくり四方しほうひさしき、一部いちぶかいけんとする。平面へいめん規模きぼ桁行けたゆき18.8メートル、梁間はりま14.5メートル。主体しゅたい南側みなみがわとお土間どま北側きたがわ居室きょしつを2れつならべ、にわめんして1あいだはばたたみ廊下ろうかをめぐらす。主体しゅたい正面しょうめん西にしめん南側みなみがわには物置ものおき突出とっしゅつ北面ほくめんひがしはしには廊下ろうかかいして風呂場ふろば便所べんじょ附属ふぞくする。背面はいめん東面とうめん)は南端なんたん北端ほくたん突出とっしゅつがあり、前者ぜんしゃには座敷ざしき台所だいどころ風呂場ふろば後者こうしゃには衣装いしょうぞう接続せつぞくする蔵前くらまえ座敷ざしきもうける。ほん住宅じゅうたく大森おおもりまちでは最大さいだい民家みんかであり、伝来でんらいする家相かそうとうから屋敷やしきかまえの整備せいび過程かていがわかるてん貴重きちょうである[1]

1998ねん平成へいせい10ねん)にくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい世界せかい遺産いさんの「石見いわみ銀山ぎんざん遺跡いせきとその文化ぶんかてき景観けいかん」の構成こうせい資産しさんひとつである。

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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  • 熊谷くまがい住宅じゅうたく 6むね土地とち[2]
    • おも
    • 北道ほくどうぞう
    • しょうぞう
    • 衣装いしょうぞう
    • 東道とうどうぞう
    • 米蔵よねぞうざつぞう
    • 土地とち 1,500平方へいほうメートル(区域くいきない土塀どべい井戸いど手水ちょうずばち納屋なやふくむ)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざいしん指定してい文化財ぶんかざい」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』659、だいいち法規ほうき、pp.44 - 48
  2. ^ 平成へいせい10ねん5がつ1にち文部省もんぶしょう告示こくじだい85ごう

外部がいぶリンク

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