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片桐 孝利(かたぎり たかとし、慶長6年(1601年)- 寛永15年8月1日(1638年9月8日))は、大和竜田藩の第2代藩主。且元系片桐家2代。初代藩主・片桐且元の次男。正室は伊奈忠政の娘。官位は従五位下、出雲守。
慶長6年(1601年)、摂津国に生まれる。幼名は次郎助。元包。慶長14年(1609年)、豊臣姓を下賜された[1]。
豊臣滅亡後は徳川家将軍の江戸幕府に臣従し、慶長20年(1615年)、父の死去により跡を継ぐ。高野山の造営奉行など、奉行職を良く務めた。寛永15年(1638年)8月1日、38歳で死去した。
弟の為元を末期養子として、4万石から1万石へ減封されたが家督相続が認められた。
墓所は東京都港区高輪の源昌寺。
- ^ 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。
片桐氏竜田藩2 代藩主 (1615 年 - 1638 年) |
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