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特別とくべつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

特別とくべつ(とくべつ)とは、ひろ通用つうようする状態じょうたいとはことなる状態じょうたいすなわ例外れいがいとなる状態じょうたいのこと。類義語るいぎごは、「特殊とくしゅ」「特異とくい」「奇異きい」「こと(こと)」「こと(こと)」「とく(こと)」など。対義語たいぎごは、「普通ふつう」「一般いっぱん」「平常へいじょう」「通常つうじょう」「いさおつね」。

用例ようれい

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とく』というは「目立めだつ」「ことなる」「抜群ばつぐん」「なかでもひとつ」という意味いみであり、「特等とくとう」「とくAきゅう」というように接頭せっとうとして「ひとつだけべつ」「例外れいがいてき」という意味いみでも使用しようされている。

べつ』というは「ける」「けられた」という意味いみっており、「区別くべつ」「判別はんべつ」「別個べっこ」「別格べっかく」というように使用しようされる。

特別とくべつ』というかたりは、「目立めだっていてけられる状態じょうたい」「ひとだけけられる状態じょうたい」「通例つうれいとはことなる状態じょうたい」「例外れいがいてき」という意味いみだが、「重要じゅうようである」という意味合いみあいもつよい。

なぜ特別とくべつであるかといえば、かぎられたひと事物じぶつにしかれられない、並外なみはずれている、方法ほうほうそとものことなるといった性質せいしつげられる。

社会しゃかいてき歴史れきしてきると、普通ふつう平常へいじょうであることがおもあつかわれ、特別とくべつ特殊とくしゅであることがかるあつかわれる傾向けいこう根強ねづよい。

たとえば、宗教しゅうきょうにおいては、普通ふつう流派りゅうはを「正統せいとう」とんで敬愛けいあいし、特別とくべつ流派りゅうはを「異端いたん」とんで唾棄だきする傾向けいこうられる。

そのぎゃくで、特別とくべつ特殊とくしゅであることが「優秀ゆうしゅう」「たいら人間にんげんにはてきわない」としておもあつかわれ、普通ふつう平常へいじょうであることが「ありきたり」「長所ちょうしょたない」「目立めだたない」としてかるあつかわれる傾向けいこうもある。

特別とくべつおもあつかかたりれいとして、英語えいごで「特別とくべつ」「特殊とくしゅ」「例外れいがいてき」を意味いみする『exceptional』は、「非凡ひぼん」「優秀ゆうしゅう特別とくべつ」「別格べっかく」という意味いみつ。

一方いっぽうで、普通ふつうかるあつかかたりれいとして、「普通ふつうな」「わったてんたずな」を意味いみする『庸愚ようぐ』『凡愚ぼんぐ』や、「普通ふつう以下いか」「普通ふつうわるかのどれか」を意味いみする『いさおれつ』などがある。

哲学てつがく

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哲学てつがくいち分野ぶんやである形而上学けいじじょうがくにおいて、特別とくべつとは、一言ひとことえば、「なにかでないもの」と定義ていぎされる。

それは抽象ちゅうしょうてき概念がいねんでなく、具体ぐたいてき例示れいじ列挙れっきょによってたとえられるものでもなく、具体ぐたいてきなものとして存在そんざいするものである。

それゆえ、ソクラテス」は特別とくべつであるプラトンであるソクラテスはただ一人ひとりしか存在そんざいしないからである。

これにたいして赤色あかいろ」は特別とくべつでない。なぜならば、(実在じつざいろんかぎり)それは抽象ちゅうしょうてき概念がいねんであり、「わたし自転車じてんしゃ」や「このリンゴ」や「あの少女しょうじょかみ」などといったように、具体ぐたいてき例示れいじ列挙れっきょによってたとられるものだからである。

関連かんれん項目こうもく

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