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理 り 塘県 (りとう-けん、リタン、li thang)は中国 ちゅうごく 四川 しせん 省 しょう カンゼ・チベット族 ぞく 自治 じち 州 しゅう 西南 せいなん 部 ぶ に位置 いち する県 けん 。
チベット の仏教 ぶっきょう 史上 しじょう 重要 じゅうよう な人物 じんぶつ がリタンの地 ち で生 う まれている。ダライ・ラマ7世 せい (ケルサン・ギャツォ)、ダライ・ラマ10世 せい (ツルチム・ギャツォ)、モンゴル の活仏 かつぶつ ジェプツンダンバ・ホトクト 、ラプラン寺 てら のジャムヤン・シェパ5世 せい などが主 おも な人物 じんぶつ である。チャムチェン・チョェコルリン寺 てら など重要 じゅうよう な寺院 じいん もある。
リタンの町 まち は海抜 かいばつ 4,014mという高原 こうげん 地帯 ちたい にあり、チベットの主 しゅ 都 と ラサ より400m高所 こうしょ にあり世界 せかい でも最 もっと も高 たか い場所 ばしょ にある街 まち の一 ひと つである[ 1] 。町 まち の周 まわ りは開 あ けた草原 そうげん 地帯 ちたい で、その周囲 しゅうい は雪 ゆき をかぶった高山 こうざん に囲 かこ まれている。
元 もと の至 いたり 元 もと 九 きゅう 年 ねん (1272年 ねん )に李 り 唐 から 州 しゅう を置 お き、後 のち に奔不児 じ 亦 また 思 おもえ 剛 つよし 招討使 し 司 し (万 まん 戸 こ 府 ふ )を置 お く。至 いたり 元 もと 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん (1288年 ねん )に食糧 しょくりょう 総 そう 管 かん 府 ふ が設置 せっち された。明 あかり により里 さと 塘宣撫 せんぶ 司 し を置 お き、後 のち に兀東思 おもえ 麻 あさ 千 せん 戸 こ 所 しょ となった。明 あきら 末清 すえきよ 初 はつ は固 かた 始 はじめ 汗 あせ 属地 ぞくち であった。清 きよし の康 かん 熙四十 じゅう 八 はち 年 ねん (1709年 ねん )に正 せい 副 ふく 営官が設置 せっち され、青海 あおみ 岱慶和 かず 碩 せき 斉 ひとし 部 ぶ に属 ぞく した。康 かん 熙五十 じゅう 八 はち 年 ねん (1719年 ねん )、里 さと 塘の各 かく 土 ど 司 し はすべて戸籍 こせき を呈 てい して食糧 しょくりょう を納 おさ め、四川 しせん 省 しょう に付属 ふぞく した。雍正七 なな 年 ねん (1729年 ねん )に里 さと 塘正副 ふく 宣撫 せんぶ 司 し を置 お き、打 だ 箭 や 炉 ろ 庁 ちょう 所属 しょぞく 、乾 いぬい 隆 たかし 五 ご 十 じゅう 七 なな 年 ねん (1792年 ねん )に食糧 しょくりょう 事務 じむ 委員 いいん を設置 せっち した。光 ひかり 緒 いとぐち 二 に 年 ねん (1876年 ねん )に改 あらため 土 ど 帰 き 流 りゅう 、里 さと 化 か 県 けん を置 お き、光 ひかり 緒 いとぐち 三 さん 十 じゅう 二 に 年 ねん (1906年 ねん )に順化 じゅんか 県 けん を置 お き、光 ひかり 緒 いとぐち 三 さん 十 じゅう 四 よん 年 ねん (1908年 ねん )に里 さと 化 か 庁 ちょう を改 あらた め、稲 いね 堤 つつみ (稲城 いなぎ )・定 てい 郷 さと (郷 さと 城 じょう )・順化 じゅんか (理 り 塘)などの県 けん を管轄 かんかつ した。宣 せん 統 すべ 3年 ねん (1911年 ねん )に里 さと 化 か 府 ふ に昇格 しょうかく した。民 みん 国 こく 二 に 年 ねん (1913年 ねん )、里 さと 化 か 府 ふ は廃止 はいし され、理化 りか 県 けん を置 お き、川辺 かわべ 特別 とくべつ 行政 ぎょうせい 区 く に属 ぞく し、民 みん 国 こく 十 じゅう 四 よん 年 ねん (1925年 ねん )、西 にし 康 やすし 省 しょう 西 にし 康 やすし 道 どう に改 あらため 属 ぞく し、廃 はい 道 どう 後 ご は西 にし 康 やすし 省 しょう 政府 せいふ に直属 ちょくぞく した。1951年 ねん 12月14日 にち に理 り 塘県に改称 かいしょう [ 2] [ 3] [ 4] 。
区分 くぶん
数 かず
名称 めいしょう
鎮
7
高城 たかぎ 甲 きのえ 窪 くぼ 格 かく 聶 木 き 拉 ひしげ 君 きみ 壩 拉 ひしげ 波 は 覚 さとし 吾 われ
郷 さと
15
哈依 莫壩 亜 あ 火 ひ 絨壩 呷 あお 窪 くぼ 奔戈 村 むら 戈 ほこ 禾尼 曲 きょく 登 とう 上木 じょうぼく 拉 ひしげ 濯桑 蔵 ぞう 壩 格 かく 木 き 麦 むぎ 窪 くぼ 徳 いさお 巫 みこ
国道 こくどう
^ Buckley, Michael and Straus, Robert. (1986) Tibet: a travel survival kit , p, 219. Lonely Planet Publications. South Yarra, Victoria, Australia. ISBN 0-908086-88-1 .
^ 段 だん 木 き 干 ひ , ed (1981-06). 中外 ちゅうがい 地名 ちめい 大 だい 辭典 じてん . 人文 じんぶん 出版 しゅっぱん 社 しゃ . p. 3359
^ 丹 に 珠 たま 昂 のぼる 奔 周 しゅう 潤 じゅん 年 ねん 莫福山 ふくやま 李 り 雙 そう 劍 けん , ed (2003-02). 藏 ぞう 族 ぞく 大 だい 辭典 じてん . 甘粛 かんせい 人民 じんみん 出版 しゅっぱん 社 しゃ . p. 1079
^ “歴史 れきし 沿革 えんかく ” (2021年 ねん 8月 がつ 11日 にち ). 2022年 ねん 7月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
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