(Translated by https://www.hiragana.jp/)
生神女就寝大聖堂 (ウラジーミル) - Wikipedia コンテンツにスキップ

生神うるかみおんな就寝しゅうしんだい聖堂せいどう (ウラジーミル)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル生神うるかみおんな就寝しゅうしんだい聖堂せいどうセルゲイ・プロクジン=ゴルスキーによって1912ねん撮影さつえいされたカラー写真しゃしん

ウラジーミル生神うるかみおんな就寝しゅうしんだい聖堂せいどう(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう)は13世紀せいき14世紀せいき中世ちゅうせいロシアにおけるははなる教会きょうかいとして位置付いちづけられる聖堂せいどうひとつであり、ロシア正教会せいきょうかいだい聖堂せいどうである。この聖堂せいどう世界せかい遺産いさんウラジーミルとスーズダリの白亜はくあ建造けんぞうぶつぐん」の一部いちぶである。ロシアであるУспенский соборをそのまま転写てんしゃしてウスペンスキーだい聖堂せいどうともばれる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

鐘楼しゅろうがわから

このだい聖堂せいどうはウラジーミルおおやけアンドレイ・ボゴリュブスキー命令めいれいにより公国こうこく首都しゅとウラジーミルに、生神うるかみおんな就寝しゅうしんさい聖母せいぼともばれる生神うるかみおんなマリヤ永眠えいみん記念きねんする正教会せいきょうかい大祭たいさい)を記憶きおくして建設けんせつされた。生神うるかみおんなマリヤはアンドレイ1せいにより公国こうこく守護しゅご聖人せいじんさだめられた。1158ねんから1160ねんにかけて建設けんせつされた6ほんはしらと5のドームをいただだい聖堂せいどうは、ウラジーミル公国こうこく威光いこう増大ぞうだい反映はんえいして1185ねんから1189ねんあいだ拡張かくちょうされた。1178平方へいほうメートルひろさにおよだい聖堂せいどうは、その300ねんから400ねんあいだ、ロシアの教会きょうかいなか最大さいだいだい聖堂せいどうであった。

アンドレイ・ボゴリュブスキーフセヴォロド3せい、そしてウラジーミル・スーズダリ大公たいこうこく支配しはいしゃたちは、この教会きょうかい地下ちか聖堂せいどう埋葬まいそうされている。おおくの教会きょうかいちがい、1239ねんモンゴル帝国ていこくバトゥ首都しゅと占領せんりょうしたさいのウラジーミルの荒廃こうはいと、ウラジーミルできた火災かさいをくぐりけてだい聖堂せいどうのこった。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

だい聖堂せいどう外壁がいへきんだ装飾そうしょくおおわれている。内壁ないへきイコンは12世紀せいきえがかれ、偉大いだいなイコン画家がかアンドレイ・ルブリョフとダニイル・チョールヌィによって1408ねんえがなおされた。ウラジーミルの生神うるかみおんな就寝しゅうしんだい聖堂せいどうは、アリストテレ・フィオラヴァンティによって設計せっけいされ1475ねんから1479ねんにかけて建設けんせつされたモスクワクレムリン生神うるかみおんな就寝しゅうしんだい聖堂せいどうの、モデルのひとつとなった。そび鐘楼しゅろうは、ロシアの伝統でんとうと、ゴシック様式ようしきと、しん古典こてん主義しゅぎ影響えいきょうのもと、1810ねんころ建設けんせつされたものである。

アクセス[編集へんしゅう]

ウラジーミル市街地しがいち位置いちし、シベリア鉄道てつどうウラジーミルえきから徒歩とほ15ふん世界せかい遺産いさん登録とうろくされているドミトリエフスキー聖堂せいどう黄金おうごんもん徒歩とほ圏内けんないにある。

ギャラリー[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]