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男女だんじょ共修きょうしゅう

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男女だんじょ共修きょうしゅう(だんじょきょうしゅう)とは、学校がっこう教育きょういくのなかで男女だんじょ同一どういつのカリキュラムで必修ひっしゅう科目かもくとしてまなぶことをす。

概要がいよう

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体育たいいく技術ぎじゅつ家庭かてい家庭かてい)のように、従来じゅうらい男女だんじょべつカリキュラムとして展開てんかいされていた科目かもくについてもちいられる。

実施じっしれい

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体育たいいく

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家庭科かていかおよび技術ぎじゅつ家庭かてい

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おもに「家庭かてい男女だんじょ共修きょうしゅう」という文脈ぶんみゃく使用しようされる。家庭かてい男女だんじょ共修きょうしゅうは、高等こうとう学校がっこう家庭かてい女子じょしのみ必修ひっしゅうとなった1973ねん昭和しょうわ48ねんごろからはじまった教育きょういく運動うんどうである。

背景はいけい

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1947ねん昭和しょうわ22ねん)にしん学制がくせい発足ほっそく学校がっこう教育きょういくでは男女だんじょ共学きょうがく教育きょういく内容ないよう共通きょうつうなどが幅広はばひろすすめられた。

小学校しょうがっこう家庭かていは、1947ねん昭和しょうわ22ねん)にしん学制がくせい発足ほっそくした当時とうじから現在げんざいにいたるまで、男女だんじょ共学きょうがく必修ひっしゅう科目かもくとして実施じっしされている。

中学校ちゅうがっこうでは、1947ねん職業しょくぎょう家庭かていかんする内容ないようふくむ)が男女だんじょ共学きょうがく選択せんたく履修りしゅう科目かもくとして展開てんかいされた。1951ねん昭和しょうわ26ねん)の改訂かいていで「職業しょくぎょう家庭かてい」となったが、このときも男女だんじょ共学きょうがく選択せんたく必修ひっしゅう科目かもくとして展開てんかいされていた。1958ねん昭和しょうわ33ねん)の改訂かいていさいして、文部省もんぶしょう職業しょくぎょう家庭かてい男女だんじょ共通きょうつうの「技術ぎじゅつ」に再編さいへん正確せいかくには、職業しょくぎょう家庭かてい図画ずが工作こうさく技術ぎじゅつ美術びじゅつ再編さいへん)する準備じゅんびをすすめていたが、家庭かてい教師きょうし団体だんたいかえしとこれへの政治せいじ介入かいにゅう結果けっか技術ぎじゅつは1958ねん7がつ27にちよる転換てんかんてんにして、一夜いちやにして「技術ぎじゅつ家庭かてい」となることがまった[1][ちゅう 1]。1970年代ねんだいには男女だんじょ学習がくしゅう内容ないようちがいが鮮明せんめいになり一部いちぶからは男女だんじょ差別さべつ指摘してきされるようになった。技術ぎじゅつ家庭かてい内容ないようおよび時間じかんすう変遷へんせんについては、「技術ぎじゅつ家庭かてい」を参照さんしょう

高等こうとう学校がっこう家庭かていかんする学科がっかのぞく)の家庭かていは1947ねん共学きょうがく選択せんたく履修りしゅう科目かもくとして出発しゅっぱつした。全国ぜんこく家庭かてい教育きょういく協会きょうかいなどの家庭かてい教師きょうし団体だんたいが「家庭かてい女子じょし必修ひっしゅう」にけた請願せいがん活動かつどうかえ[ちゅう 2][2]中央ちゅうおう産業さんぎょう教育きょういく審議しんぎかいでの審議しんぎ1974ねん昭和しょうわ49ねん)に高校こうこう家庭かてい女子じょし必修ひっしゅう実現じつげんした。[3][4] 家庭かてい選択せんたくしない男子だんしはその時間じかん体育たいいくけい科目かもく柔道じゅうどう剣道けんどうなどの格技かくぎ)を履修りしゅうした。制度せいどじょう家庭かてい女子じょし必修ひっしゅう男子だんし家庭かてい選択せんたく履修りしゅうすることができたが、男子だんし一般いっぱん家庭かてい選択せんたくしていたものは、学校がっこうすう比率ひりつで7.51%、生徒せいとすうで1.01%[5]であり、男子だんし選択せんたく科目かもくとして家庭かてい提供ていきょうしている学校がっこうすくなかった。

1979ねん昭和しょうわ54ねん)に国連こくれん女性じょせい差別さべつ撤廃てっぱい条約じょうやく採択さいたくし、その日本にっぽん政府せいふどう条約じょうやく批准ひじゅんするのにさいし、家庭かてい技術ぎじゅつ男女だんじょべつ履修りしゅうどう条約じょうやく抵触ていしょくする可能かのうせい政治せいじてき議題ぎだいとなった。女性じょせい差別さべつ撤廃てっぱい条約じょうやく批准ひじゅんすすめていた外務省がいむしょうは「生徒せいと個人こじん選択せんたくできればよい」[6]とする立場たちばであった。文部省もんぶしょう女子じょしのみ必修ひっしゅうとなった経緯けいいから「教育きょういくじょう配慮はいりょであり問題もんだいない」との認識にんしきであった。家庭かてい女子じょし必修ひっしゅう推進すいしんした家庭かてい教師きょうし団体だんたいは「現状げんじょう維持いじ」をもとめていた。最終さいしゅうてき文部省もんぶしょう省内しょうないもうけられた「家庭かてい教育きょういくかんする検討けんとう会議かいぎ」において、家庭かてい男女だんじょ同一どういつ課程かていあらためることで政治せいじてき合意ごういし、1993ねん平成へいせい5ねん)に中学校ちゅうがっこうで、1994ねん平成へいせい6ねん)に高校こうこう家庭かてい男女だんじょ必修ひっしゅう実施じっしされた[ちゅう 3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1957ねん教育きょういく課程かてい審議しんぎかいは「小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう教育きょういく課程かてい改善かいぜんについて」検討けんとうはじめ,1958ねん3がつに「技術ぎじゅつあらたにもうけて科学かがく技術ぎじゅつにかんする指導しどう強化きょうかする」と答申とうしんした。文部省もんぶしょうかく教科きょうかごとに教材きょうざいとう調査ちょうさ研究けんきゅうかい組織そしきして,その4かげつ具体ぐたいあんなかあいだ発表はっぴょうおこなわれることになった。文部省もんぶしょう担当たんとうかんたちが,7がつ27にちよるおそくまでかかり中間ちゅうかん発表はっぴょうあん印刷いんさつ校了こうりょうしたにもかかわらず,翌日よくじつ文部省もんぶしょう初中局しょちゅうきょくちょうが「技術ぎじゅつ」を「技術ぎじゅつ家庭かてい」に改称かいしょうすることを職業しょくぎょう教育きょういく課長かちょう命令めいれいした。7月29にち出勤しゅっきんした担当たんとうかんたちは印刷物いんさつぶつ訂正ていせい関係かんけいしゃへの連絡れんらく奔走ほんそうすることになった。この事態じたいつぎのようないきさつがある。家庭かてい教育きょういく関係かんけい全国ぜんこく団体だんたいが,有力ゆうりょく衆議院しゅうぎいん議員ぎいん政治せいじ献金けんきん日本にっぽん教育きょういく新聞しんぶんによれば75まんえん)をおこない「技術ぎじゅつ」に「・家庭かてい」をくわえることを依頼いらいした。その議員ぎいん初中局しょちゅうきょくちょうしつて,参議院さんぎいん出馬しゅつばする意思いしっている局長きょくちょう立候補りっこうほするさい家庭かてい教師きょうし協力きょうりょくしてもらうために『技術ぎじゅつ家庭かてい』に改称かいしょうさせたという。担当たんとうかんたちがこの改称かいしょうらないよるに,家庭かてい教育きょういく関係かんけい団体だんたい幹部かんぶたちは祝杯しゅくはいをあげていた。このことは雑誌ざっし家庭かてい教育きょういく』の当時とうじ回顧かいこする座談ざだんかい発言はつげんとしてしるされている。たえず「通達つうたつ」を権力けんりょくてきりかざす官僚かんりょうが,政治せいじにいかに微力びりょくであるか,自己じこ利益りえきのために「通達つうたつ」を一夜いちやにして反故ほごにするのか,審議しんぎかい研究けんきゅうかい民主みんしゅてき手続てつづきさえ平気へいき無視むししてしまうのか,を如実にょじつあらわしている。(清原きよはらみちことぶき昭和しょうわ技術ぎじゅつ教育きょういく農文協のうぶんきょう、1998ねん、p.931)
  2. ^ 1952ねん3がつ東京とうきょう高等こうとう学校がっこう家庭かてい教育きょういく研究けんきゅうかい全国ぜんこく家庭かてい教育きょういく協会きょうかい合議ごうぎして、高校こうこう家庭かてい女子じょし必修ひっしゅうもとめる請願せいがん国会こっかい提出ていしゅつされた。この請願せいがんしょでは「女子じょし大学だいがく進学しんがくしゃ高等こうとう学校がっこう時代じだい最低限さいていげん家庭かてい履修りしゅうすることは、男女だんじょ特質とくしつかすことではあれ、男女だんじょ本質ほんしつてき平等びょうどうおかすものではない」との主張しゅちょう展開てんかいされた。
  3. ^ ただし中学校ちゅうがっこうでは1979ねん昭和しょうわ54ねん)から領域りょういきかぎって男女だんじょ相互そうごれがおこなわれている。

出典しゅってん

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  1. ^ 全国ぜんこく家庭かてい教育きょういく協会きょうかいの「会則かいそくあゆみ」には、"昭和しょうわ33ねん3がつ6にち中学校ちゅうがっこう教育きょういく課程かてい改定かいていともない「職業しょくぎょう家庭かてい」が廃止はいしされ「技術ぎじゅつ」と改称かいしょうされるをり「家庭かてい」の名称めいしょう存続そんぞく請願せいがんしょ提出ていしゅつ"、"昭和しょうわ33ねん10がつ1にち中学校ちゅうがっこう職業しょくぎょう家庭かてい」が「技術ぎじゅつ家庭かてい」となる"とある。
  2. ^ 全国ぜんこく家庭かてい教育きょういく協会きょうかいの「会則かいそくあゆみ」には、"昭和しょうわ27ねん3がつ19にち 高等こうとう学校がっこう家庭かてい女子じょし必修ひっしゅうとするけんにつき請願せいがんしょ提出ていしゅつ"、"昭和しょうわ27ねん10がつ 高等こうとう学校がっこう家庭かてい女子じょし必修ひっしゅうとするけんにつき請願せいがんしょ再度さいど提出ていしゅつ"、"昭和しょうわ29ねん12月 高等こうとう学校がっこう教育きょういく課程かてい改訂かいていにより「女子じょしについては家庭かていは4単位たんい履修りしゅうさせることがのぞましい」となる"、"昭和しょうわ34ねん3がつ29にち 高等こうとう学校がっこう女子じょし家庭かてい単位たんい必修ひっしゅうとすることの必要ひつよう」について決議けつぎ請願せいがんしょ提出ていしゅつ"とある。
  3. ^ 広島大学ひろしまだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう紀要きよう だい だい54ごう
  4. ^ 戦後せんごにおけるしょうなか高等こうとう学校がっこう学校がっこう家庭かてい教育きょういく変遷へんせんだい1ほう)」(鹿児島かごしまあつしこころ女子じょし短期大学たんきだいがく紀要きよう
  5. ^ 1985ねん昭和しょうわ60ねん)5がつ30にち外務がいむ委員いいんかい文教ぶんきょう委員いいんかい連合れんごう審査しんさかい
  6. ^ 1985ねん6がつ14にち衆議院しゅうぎいん文教ぶんきょう委員いいんかい

関連かんれん項目こうもく

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