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すめらぎはじめ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
すめらぎはじめ
職業しょくぎょう 学者がくしゃ
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ すめらぎはじめ
簡体字かんたいじ すめらぎはじめ
拼音 Huángfŭ Mì
和名わみょう表記ひょうき こうほ ひつ
テンプレートを表示ひょうじ

すめらぎはじめ(こうほ ひつ、215ねん - 282ねん)は、中国ちゅうごくさんこく時代じだいから西にしすすむにかけての学者がくしゃやすごうげん先生せんせい

生涯しょうがい

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すめらぎはじめ謐は、こうかん武将ぶしょうとして有名ゆうめいすめらぎはじめかさ曾孫そうそんである。安定あんていぐんあさけん現在げんざいやすしなつかいぞく自治じちかた原市はらいち彭陽けん)の出身しゅっしん

官職かんしょくにはかず、著述ちょじゅつ専念せんねんした。寝食しんしょくわすれてしょみ、「書淫しょいん」とばれたという[1]

西にしすすむたけみかどなんすめらぎはじめ謐をまねいたが、すめらぎはじめ謐は仕官しかんことわった。すめらぎはじめ謐がたけみかどたいしてほんりたいともうたとき、たけみかどくるまいっぱいのほんあたえた。

ひだりおもえが「さん」をいた当初とうしょひだりおもえ無名むめいのためもあり評判ひょうばんはよくなかったが、すめらぎはじめ謐が序文じょぶんいたとたんにみなめるようになったという[2][3]。このじょは『文選ぶんせん』におさめられている。

すめらぎはじめ謐が当時とうじ流行りゅうこうかんしょくせき)を服用ふくようしてくるしんだことは、魯迅ろじんの「すすむ気風きふうおよび文章ぶんしょうくすりおよびさけ関係かんけい」にしるされている。

著作ちょさく

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すめらぎはじめ謐にはおおくの著作ちょさくがあるが、だい部分ぶぶんうしなわれた。しかし、逸文いつぶんがしばしばしょ引用いんようされてのこっている。

ずいしょ経籍けいせきこころざしは、ほかに『ついたち気長きながれき』『ざつ漏刻ろうこくほう』のようなこよみざんしょかんしょく処方しょほうかんするしょ、『おに谷子たにこ』のちゅうなどをすめらぎはじめ謐のちょとする。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ すすむしょすめらぎはじめ謐「ふけ玩典せき、忘寝あずかしょく時人じじんいい書淫しょいん。」
  2. ^ せつ新語しんご文学ぶんがく
  3. ^ すすむしょ文苑ぶんえんでんひだりおもえ
  4. ^ すすむしょすめらぎはじめ謐列でんにはこのしょについてしるさず、また『ずいしょ経籍けいせきこころざしでは『みかど甲乙こうおつけい』の書名しょめいかかげるが著者ちょしゃめいしるしていない。現行げんこうほんにはすめらぎはじめ謐の自序じじょされており、またとうの楊玄みさおあつまりちゅうなんけいじょに「むかしすめらぎはじめもと晏総さんため甲乙こうおつけい」とあることなどから、すめらぎはじめ謐のちょであるとかんがえられている

参考さんこう文献ぶんけん

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