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石井龍猪
石井 龍猪(いしい たつい、1897年(明治30年)9月10日 - 1950年(昭和25年)10月10日[2])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。台北市尹、台南州知事。旧姓は加藤。
加藤十四郎の四男として佐賀県佐賀郡高木瀬村(現・佐賀市)に生まれ、石井力三郎の養子となる。県立中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。翌年、高等文官試験行政科試験に合格し、台湾総督府に出仕する。
1922年(大正11年)5月に高雄州勧業課長、1924年(大正13年)12月に台中州教育課長、1927年(昭和2年)7月に台南州警務部長、1929年(昭和4年)12月に同府警務局衛生課長、1931年(昭和6年)5月に台南州内務部長、1932年(昭和7年)4月に同府内務局地方課長兼地理課長を経て、1936年(昭和11年)10月、台北市尹に就任した。
その後、台南州知事、内務局、殖産局各局長などを経て、1942年(昭和17年)10月に民間に転じ、台湾拓殖理事を務めた。
- ^ 「石井 龍猪氏 (前台湾総督府内務局長、殖産局長)」『毎日新聞』1950年10月11日、3面。
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