(Translated by https://www.hiragana.jp/)
神東山忠也 - Wikipedia コンテンツにスキップ

かみ東山ひがしやま忠也ちゅうや

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

かみ東山ひがしやま 忠也ちゅうや(じんとうざん ちゅうや、1913ねん1がつ28にち - 1983ねん6月23にち[1])は、現在げんざい東京とうきょう中央ちゅうおう出身しゅっしん春日野かすがの部屋へや所属しょぞくした大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう神谷かみや 信義のぶよし(かみや のぶよし)。現役げんえき時代じだい体格たいかくは170cm、135kg。最高さいこうひがし前頭まえがしら4まい(1941ねん5がつ場所ばしょ)。得意とくいしゅみぎよっつ、り。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

中央ちゅうおう商業しょうぎょう学校がっこうげん中央学院大学ちゅうおうがくいんだいがく中央ちゅうおう高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう春日野かすがの部屋へや入門にゅうもんし、1932ねん5月場所ばしょ、「かみ武山ぶざん」の四股しこめいはつ土俵どひょうむ。1937ねん5月場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしん1939ねん1がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく入幕にゅうまく2場所ばしょの5がつ場所ばしょ四股しこめい初代しょだい天皇てんのう神武じんむ天皇てんのうからきているため、「かみ東山とうざん」に改名かいめい幕内まくうち中位ちゅういから下位かいり、1946ねん11月場所ばしょじゅうりょうち、この場所ばしょ13せん全敗ぜんぱい記録きろくした。1947ねん6がつ場所ばしょ全休ぜんきゅうし、この場所ばしょかぎりで引退いんたい年寄としより・15だいいわとも襲名しゅうめい春日野かすがの部屋へや年寄としよりとなる。1978ねん1がつ日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい停年ていねん退職たいしょくする。

エピソード[編集へんしゅう]

  • おおきな太鼓腹たいこばら特徴とくちょうで、この太鼓腹たいこばらかしてするど武器ぶきだった。しかし、小兵こひょううごきのはや相手あいて苦手にがてにしていた。
  • 1943ねん11月場所ばしょ本場所ほんばしょでなく、大阪おおさかでの開催かいさいちゅう出稽古でげいこさきで、双葉ふたばさん速攻そっこう土俵どひょうがいされたかみ東山とうざんは「しょみたいな相撲すもうるなよ」と、本人ほんにんにそのつもりはかったにせよしんゆるみを指摘してきされた[2]
  • 中国ちゅうごくでは「チン・トン・シャン」と都々逸どどいつまえびきのようなみだが、都々逸どどいつ得意とくいだったという[3]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

  • 幕内まくうち在位ざいい:15場所ばしょ
  • 幕内まくうち成績せいせき:89しょう109はい2きゅう 勝率しょうりつ.449
  • 現役げんえき在位ざいい:28場所ばしょ
  • 通算つうさん成績せいせき:154しょう157はい13きゅう 勝率しょうりつ.495
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう:1かい1933ねん1がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

かみ東山ひがしやま 忠也ちゅうや
春場所はるばしょ 夏場所なつばしょ 秋場所あきばしょ
1932ねん
昭和しょうわ7ねん
x ぜん相撲すもう 序ノ口じょのくち
2–4 
1933ねん
昭和しょうわ8ねん
ひがし序ノ口じょのくち10まい
優勝ゆうしょう
6–0
西にしじょだん8まい
4–2 
x
1934ねん
昭和しょうわ9ねん
ひがしさんだん21まい
3–3 
西にしさんだん15まい
4–2 
x
1935ねん
昭和しょうわ10ねん
西にし幕下まくした23まい
5–6 
ひがしさんだん3まい
4–2 
x
1936ねん
昭和しょうわ11ねん
西にし幕下まくした18まい
6–5 
西にし幕下まくした11まい
7–4 
x
1937ねん
昭和しょうわ12ねん
ひがし幕下まくした2まい
7–4 
ひがしじゅうりょう9まい
6–6–1 
x
1938ねん
昭和しょうわ13ねん
ひがしじゅうりょう9まい
11–2 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
9–4 
x
1939ねん
昭和しょうわ14ねん
ひがし前頭まえがしら12まい
7–6 
ひがし前頭まえがしら10まい
5–10 
x
1940ねん
昭和しょうわ15ねん
西前にしまえあたま17まい
8–7 
西前にしまえあたま12まい
10–5 
x
1941ねん
昭和しょうわ16ねん
ひがし前頭まえがしら9まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら4まい
5–10 
x
1942ねん
昭和しょうわ17ねん
西前にしまえあたま9まい
4–11 
西前にしまえあたま14まい
8–7 
x
1943ねん
昭和しょうわ18ねん
ひがし前頭まえがしら16まい
10–5 
西前にしまえあたま7まい
4–11 
x
1944ねん
昭和しょうわ19ねん
ひがし前頭まえがしら14まい
5–10 
西前にしまえあたま17まい
4–6 
西前にしまえあたま18まい
6–4 
1945ねん
昭和しょうわ20ねん
x ひがし前頭まえがしら12まい
2–5 
ひがし前頭まえがしら15まい
3–5–2 
1946ねん
昭和しょうわ21ねん
x x 西にしじゅうりょう2まい
0–13 
1947ねん
昭和しょうわ22ねん
x 西にしじゅうりょう15まい
引退いんたい
0–0–10
x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

改名かいめい[編集へんしゅう]

  • かみ武山たけやま 忠也ちゅうや (じんむざん ちゅうや)1932年月としつき5場所ばしょ-1939ねん1がつ場所ばしょ
  • かみ東山ひがしやま 忠也ちゅうや (じんとうざん - )1939ねん5がつ場所ばしょ-1947ねん6がつ場所ばしょ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 相撲すもうじん名鑑めいかん(かみ東山ひがしやま 忠也ちゅうや)
  2. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(5) 時津風ときつかぜ部屋へや』p51
  3. ^ 土俵どひょうすなっている~なみだわらい・じゅうねん生活せいかつ記録きろく~』p55。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

田子たつこうら忠雄ただおちょ土俵どひょうすなっている~なみだわらい・じゅうねん生活せいかつ記録きろく~』、いちみずしゃ、1965ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]