競馬けいばニュース

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競馬けいばニュース
種類しゅるい 競馬けいば新聞しんぶん原則げんそく中央ちゅうおう競馬けいば開催かいさい前日ぜんじつ

事業じぎょうしゃ株式会社かぶしきがいしゃ競馬けいばニュースしゃ→)
株式会社かぶしきがいしゃケイバブック大阪おおさか支社ししゃ
本社ほんしゃ 大阪おおさか大阪おおさか淀川よどがわ木川東きかわひがし4-13-8
代表だいひょうしゃ 松井まついあつし(ケイバブック代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょう
創刊そうかん 1946ねん昭和しょうわ21ねん10月16にち
廃刊はいかん 2011ねん平成へいせい23ねん12月24にち
言語げんご 日本語にほんご
ウェブサイト https://p.keibabook.co.jp/
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競馬けいばニュース(けいばニュース)とは、2011ねんまで西日本にしにほん地区ちく発行はっこうされていた競馬けいば新聞しんぶんである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1933ねん昭和しょうわ8ねん)、大阪おおさか創刊そうかん。このときべつ名前なまえで、『競馬けいばニュース』となるのは戦後せんごになってからである。

1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ17にち京都競馬場きょうとけいばじょう戦後せんごはつ馬券ばけん発売はつばいともな公認こうにん競馬けいばおこなわれた。この情報じょうほうつたえる新聞しんぶんとして、戦前せんぜんからあった『競馬けいばニホン』『前夜ぜんや通信つうしん出馬しゅつばひょう』『競馬けいばフアン』ととも復刊ふっかんたした。

昭和しょうわ40年代ねんだい以降いこうは「あなのニュース」という異名いみょうしめすとおり、あなとうファンのために、ポケットマネーの馬券ばけんあなねらいの馬券ばけん購入こうにゅうすることをものとした。

その競馬けいばニュースしゃ関西かんさい同業どうぎょう大手おおて競馬けいばブック傘下さんかはいる。関東かんとうでは、やはりケイバブック傘下さんかはいっていた『競馬けいば研究けんきゅう』と提携ていけいしていた。

2010ねん平成へいせい22ねん12月おな大阪おおさか本拠ほんきょダービーしゃの『競馬けいばダービー』が休刊きゅうかんすることになり、2011ねん1がつから「ダービー」のスタッフが参加さんか事実じじつ上紙うわがみめん統合とうごうがなされた。このとき競馬けいばブックからダービーに出向しゅっこうしていた松本まつもと英博ひでひろ出戻でもどり、編集へんしゅうちょうになった[1]同時どうじにダービーが提携ていけいしていた関東かんとうローカルの『勝馬かつま』とも提携ていけい関係かんけいむすんだ。その2012ねんから競馬けいば研究けんきゅうとも紙面しめん統合とうごうし、ケイバブックグループ2となる全国ぜんこく展開てんかい中央ちゅうおう競馬けいば専門せんもん研究けんきゅうニュース』としてさいスタートした。

放送ほうそうけいメディアとの関係かんけい[編集へんしゅう]

きゅう競馬けいばニュースは長年ながねん関西かんさいはつのラジオの競馬けいば中継ちゅうけい番組ばんぐみかかわってきた。競馬けいば研究けんきゅうとの合同ごうどう中継ちゅうけい番組ばんぐみへの解説かいせつしゃ派遣はけんつづいており、2013ねんからはテレビの放送ほうそうがBS全国ぜんこく放送ほうそう移行いこうするのにともない、東日本ひがしにっぽんのファンのまえにも姿すがたせるようになった。

ラジオNIKKEIでは、『中央ちゅうおう競馬けいば実況じっきょう中継ちゅうけい』で1965ねん昭和しょうわ40ねん)に西日本にしにほんのレースの放送ほうそうはじまるのと同時どうじ解説かいせつしゃ派遣はけん重久しげひさ大明だいめい(しげひさ・ひろあき)らトラックマンによる馬券ばけん指南しなん放送ほうそうおこなっていた。その世代せだい交代こうたいにより、現在げんざいきゅう競馬けいばファンからきゅう競馬けいばダービーを合流ごうりゅうした竹中たけなかのぼるや、ニュースきの小宮こみや邦裕くにひろ中西なかにし弘行ひろゆきらが派遣はけんされている。

テレビでは研究けんきゅうニュースへの合同ごうどうに『BSイレブン競馬けいば中継ちゅうけい』へ派遣はけん開始かいし。ただし2019ねんれい元年がんねん)までは、全員ぜんいんきゅう競馬けいばダービーから本紙ほんしいち移籍いせきしたものめられている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 記者きしゃ・トラックマン|松本まつもと英博ひでひろ - 研究けんきゅうニュースホームページ。