だい54師団しだん (日本にっぽんぐん)

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だい54師団しだん
創設そうせつ 1940ねん昭和しょうわ15ねん7がつ10日とおか
廃止はいし 1945ねん昭和しょうわ20ねん
所属しょぞく政体せいたい 大日本帝国だいにっぽんていこく
所属しょぞく組織そしき 大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
部隊ぶたい編制へんせい単位たんい 師団しだん
兵種へいしゅ/任務にんむ/特性とくせい 歩兵ほへい
所在地しょざいち 姫路ひめじ-ジャワ島じゃわとう-ビルマ
編成へんせい 姫路ひめじ
通称つうしょうごう/略称りゃくしょう へい(つわもの)
補充ほじゅう担任たんにん 姫路ひめじかん
最終さいしゅう上級じょうきゅう単位たんい だい28ぐん
最終さいしゅう位置いち ビルマ南部なんぶ シュウエジン
おも戦歴せんれき 太平洋戦争たいへいようせんそう
(ビルマのたたか)
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だい54師団しだん(だいごじゅうよんしだん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん師団しだんひとつ。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)8がつから常設じょうせつ師団しだんのうちの8師団しだん満州まんしゅう永久えいきゅう駐屯ちゅうとんすることになり、代替だいたい常設じょうせつ師団しだんとして1940ねん7がつ10日とおかだい51師団しだんだい52師団しだんだい54師団しだんだい55師団しだんだい56師団しだんだい57師団しだんけい6師団しだんがそれぞれ留守るす師団しだん基幹きかん編成へんせいされた。翌年よくねん1941ねん昭和しょうわ16ねん9月16にちだい53師団しだん留守るすだい16師団しだん基幹きかん編成へんせいされたが、だい1師団しだんぶんについてはのぞかれた。

だい54師団しだんは、兵庫ひょうご岡山おかやま鳥取とっとりさんけん徴兵ちょうへいとする常設じょうせつ師団しだんとして留守るすだい10師団しだん基幹きかん姫路ひめじ編成へんせいされた。管轄かんかつ区域くいきは1941ねんから姫路ひめじかん改称かいしょう1945ねん昭和しょうわ20ねん)には補充ほじゅう任務にんむとう管轄かんかつ区域くいき軍政ぐんせい担当たんとうする留守るすだい54師団しだん司令しれい長野ながの管区かんく司令しれい改称かいしょうして長野ながの移転いてんした。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

師団しだん編成へんせい当初とうしょ姫路ひめじ中部ちゅうぶぐんぞくしていたが、1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ動員どういんされ南方なんぽうぐんだい16ぐん編入へんにゅうされた。さらにビルマ派遣はけんされはる方面ほうめんぐん直轄ちょっかつ部隊ぶたいとしてビルマ南西なんせい駐屯ちゅうとんしていたが、1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつ新設しんせつされただい28ぐんぞくした。

1944ねん2がつだいアキャブ作戦さくせん参加さんかえいしるしぐんかたまもりを突破とっぱできず退却たいきゃくイラワジ会戦かいせん敗退はいたいによりえいしるしぐん圧迫あっぱくけ、1945ねん4がつイラワジかわわたりペグー山系さんけい退却たいきゃくし、さらにシッタンかわ後退こうたいし、シッタンかわ渡河とかシッタン作戦さくせん)してまもなく終戦しゅうせんむかえた。

師団しだん概要がいよう[編集へんしゅう]

歴代れきだい団長だんちょう[編集へんしゅう]

参謀さんぼうちょう[編集へんしゅう]

  • 峯木みねき十一郎とりひこ 歩兵ほへい大佐たいさ:1940ねん昭和しょうわ15ねん)8がつ1にち[4] - 1942ねん10がつ24にち[5]
  • いち次郎じろう 大佐たいさ:1942ねん昭和しょうわ17ねん)11月1にち - 1944ねん3がつ22にち[6]
  • 日笠ひかさけん 大佐たいさ:1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ22にち[7] - 1944ねん8がつ17にち[8]
  • 小林こばやししげるほん 中佐ちゅうさ:1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ17にち[9] - 1945ねん3がつ9にち
  • 倉沢くらさわつとむ三郎さぶろう 大佐たいさ:1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ9にち - 終戦しゅうせん[10]

最終さいしゅう所属しょぞく部隊ぶたい[編集へんしゅう]

  • だい54歩兵ほへいだん
    • 歩兵ほへいだん司令しれい歩兵ほへい団長だんちょう 木庭こば少将しょうしょう
    • 歩兵ほへいだい111連隊れんたい姫路ひめじ):矢木やぎ孝治こうじ大佐たいさ
    • 歩兵ほへいだい121連隊れんたい鳥取とっとり):馬場ばばすすむ大佐たいさ
    • 歩兵ほへいだい154連隊れんたい岡山おかやま):村山むらやま一馬かずま大佐たいさ
  • 捜索そうさくだい54連隊れんたい古賀こが文夫ふみお少佐しょうさ
  • 野砲やほうへいだい54連隊れんたい横田よこた武夫たけお大佐たいさ
  • 工兵こうへいだい54連隊れんたい大田おおたさとし大佐たいさ
  • 輜重しちょうへいだい54連隊れんたい太田おおた貞次郎ていじろう大佐たいさ
  • だい54師団しだん通信つうしんたい森下もりした千代松ちよまつ少佐しょうさ
  • だい54師団しだん兵器へいき勤務きんむたい瀧本たきもとたけし大尉たいい
  • だい54師団しだん衛生えいせいたい岩田いわた文三ぶんぞう大佐たいさ
  • だい1野戦やせん病院びょういん山崎やまざき淳一じゅんいち少佐しょうさ
  • だい2野戦やせん病院びょういん須藤すとう利一としかず少佐しょうさ
  • だい4野戦やせん病院びょういん中間ちゅうかんさん少佐しょうさ
  • だい54師団しだん防疫ぼうえき給水きゅうすい菊地きくち猛夫たけお少佐しょうさ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』255ぺーじ
  2. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』294ぺーじ
  3. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』353ぺーじ
  4. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』392ぺーじ
  5. ^ 北海ほっかい守備しゅびたい司令しれいかん。『帝国ていこく陸軍りくぐん編制へんせい総覧そうらん』725ぺーじ
  6. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』410ぺーじ
  7. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』463ぺーじ
  8. ^ だい166ごう 昭和しょうわ19ねん8がつ18にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120917500 
  9. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』454ぺーじ
  10. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』458ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • はたいくへん日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 外山とやまみさお森松もりまつ俊夫としお編著へんちょ帝国ていこく陸軍りくぐん編制へんせい総覧そうらん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1987ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん
  • 別冊べっさつ歴史れきし読本とくほん 戦記せんきシリーズNo.32 太平洋戦争たいへいようせんそう師団しだん戦史せんし』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1996ねん