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純献皇貴妃 嚴氏(じゅんけんこうきひ げんし、スンホンファングィビ オムシ、순헌황귀비 엄씨、1854年 - 1911年)は、李氏朝鮮の第26代国王及び大韓帝国初代皇帝高宗の後宮。大韓帝国最後の皇太子である李垠の生母。
実名は、嚴善英(げん ぜんえい、オム・ソンヨン、엄선영)。本貫は寧越嚴氏。朝鮮では、一度も登場しなかった皇貴妃という地位を唯一得た人物でもある。
1854年、嚴鎭三の娘として生まれた。8歳で、景福宮に女官として入宮。
1885年、高宗の寵愛を受けたことが発覚すると、高宗の妃であった閔妃によって、宮中から追放された。露館播遷の際は高宗に同行した。1897年には李垠を生み、貴人に冊封される。その後、淳嬪や淳妃を経て、皇貴妃に昇格する。
1905年、「養生義塾」(後の養生高等学校(朝鮮語版))を設立。1906年には「明新女学校」(後の淑明女子大学校)を設立。
1911年7月20日に、57歳で逝去。死後、純宗より純献貴妃の称号が与えられた。
登場作品[編集]
- テレビドラマ