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自由じゆう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

自由じゆう(じゆうし、英語えいご: free verse; フランス語ふらんすご: vers libre)とは、おとかず文字数もじすう一定いっていのパターンがなく、また、音韻おんいんむなどもしていない、すなわち、押韻おういん韻律いんりつに捉われない、自由じゆう形式けいしきかれたである。定型ていけい対義語たいぎご[1]

自由じゆう概念がいねんは、もともとフランス古典こてんてき詩作しさくほうであるアレクサンドランじゅうおとつづり)からの脱却だっきゃく企図きとしてこった「自由じゆう韻文いんぶん」に由来ゆらいする[2]

欧米おうべいにおける自由じゆう[編集へんしゅう]

定型ていけい規則きそくしたがわない形式けいしき作品さくひんは17世紀せいきフランスから存在そんざいし、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話ぐうわフランス語ふらんすごばん』などにれいられる。ただしこの時代じだい作品さくひんおとつづりすうことなる伝統でんとうてき詩句しくを、スタンザはいしてわせたものであり、脚韻きゃくいんはまだのこっていた[3]

19世紀せいき後半こうはんはいるとフランスで象徴しょうちょう主義しゅぎたかまり、象徴しょうちょう詩人しじんたちは詩句しくあらたな音楽おんがくせいそうとした。すなわち、脚韻きゃくいんなど既成きせい伝統でんとうてき韻律いんりつほうしたがわせるのではなく、従来じゅうらいとはべつ要素ようそたとえば英語えいごなどでられるるいおん頭韻とういんほう抑揚よくようなどにしたが詩作しさくこころみていた。かれらにとって、外在がいざいする韻律いんりつしたがわせるのではなく、内的ないてき律動りつどう表現ひょうげんすることができる自由じゆう発現はつげん革命かくめいてき出来事できごとであった。1886ねんアルチュール・ランボー詩集ししゅうイリュミナシオン』に「うみけい」と「運動うんどう」という自由じゆう掲載けいさいされ、これがフランスにおける近代きんだい自由じゆう誕生たんじょうなされる。この象徴しょうちょう主義しゅぎによるフランス近代きんだい自由じゆう潮流ちょうりゅうなかギュスターヴ・カーンフランス語ふらんすごばんジュール・ラフォルグフランシス・ヴィエレ=グリファンフランス語ふらんすごばんらが自由じゆう発表はっぴょうしている[3][4]

他方たほうイギリスにはふるくからブランクヴァース(blank verse, 無韻むいん)という、規則きそくてき脚韻きゃくいんたないじゃくきょうかく形式けいしき存在そんざいしていた。この発展形はってんけいとして、1867ねんにはマシュー・アーノルド詩集ししゅうドーバー海岸かいがん英語えいごばん』のような自由じゆうまれている[2]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは19世紀せいきはいり、近代きんだい自由じゆう創始そうししゃといえるウォルト・ホイットマン1855ねん詩集ししゅうくさ』を刊行かんこうしたことにより、フランスに先駆さきがけて自由じゆう本格ほんかくてき成立せいりつはじめた。『くさ』では、従来じゅうらい英語えいご韻律いんりつ大胆だいたんはいし、くだりけの散文さんぶんこころみられた[2][5]

20世紀せいきはいると、ホイットマンと象徴しょうちょう影響えいきょうけたイマジズムによる自由じゆうさかんになった。この中心ちゅうしんとなったのはエズラ・パウンドである。それまでの英語えいご自由じゆうよりもさら大胆だいたん変革へんかくげ、メトロノームのような画一かくいつてき拍子ひょうしはいし、より音楽おんがくてきなフレージングを重視じゅうしした詩作しさく実施じっししている。アメリカ詩壇しだんではこのほかエイミー・ローウェルジョン・グールド・フレッチャー英語えいごばんらがイマズジムの旗手きしゅとされ、ほかにカール・サンドバーグエドガー・リー・マスターズ英語えいごばんヒルダ・ドゥリトル、さらにイマジズムの影響えいきょうけたウィリアム・カルロス・ウィリアムズマリアン・ムーア英語えいごばんE・E・カミングスらが自由じゆういている。これらイマジズムの影響えいきょうけた詩人しじんたちは、自然しぜんなリズムや口語こうごてき表現ひょうげんをもつ自由じゆう主張しゅちょうしている[1][3][4][5]

イマジズムはイギリスやフランスの詩壇しだんにも影響えいきょうあたえ、イギリスではT・S・エリオットイーディス・シットウェル英語えいごばんリチャード・オールディントンら、フランスではダダイスムシュルレアリスム詩人しじんたちにがれ、それぞれの発展はってんげた[3][5]

日本にっぽんにおける自由じゆう[編集へんしゅう]

日本にっぽん詩作しさくにおいては、欧米おうべい定型ていけいくらべてそもそも伝統でんとうてき韻律いんりつ複雑ふくざつ詩形しけい存在そんざいしていなかったため、「自由じゆう」の意味いみ欧米おうべいのそれとはことなる[5]

日本にっぽん場合ばあい従来じゅうらいの「七五調しちごちょう五七調ごしちちょう」といった旧来きゅうらい音律おんりつすうから脱却だっきゃくするうごきが自由じゆうはじまりとされる。明治めいじ時代じだいはじまった新体詩しんたいしは、それまでの和歌わかなななななな)や俳句はいくなな)、あるいは漢詩かんしといった定型ていけいからはなれようとするうごきであったが、新体詩しんたいしでもななといった従来じゅうらい音律おんりつすうのこったままで、かつ従来じゅうらい同様どうよう文語ぶんごもちいられていた[4][6]

こうしたなか1907ねん明治めいじ40ねん)に発表はっぴょうされた川路かわじ柳虹りゅうこう口語こうごちりため」は、新体詩しんたいし定型ていけいからも脱却だっきゃくし、かつ日常にちじょう感覚かんかくれた作品さくひんであり、ここから日本にっぽんにおける自由じゆう口語こうご自由じゆう)がはじまったとされる。川路かわじこころみは当初とうしょ賛否さんぴ両論りょうろんこしたが、やがて支持しじ拡大かくだいし、すうねんのうちに追随ついずいしゃ続出ぞくしゅつして日本にっぽん詩人しじんだい多数たすう口語こうご自由じゆう形式けいしきるようになった。相馬そうま御風ぎょふう河井醉茗かわいすいめい服部はっとり嘉香かこうらが口語こうご自由じゆう推進すいしんしゃとしてげられる[1][4][7][8]

大正たいしょう時代じだいはいり、萩原はぎはら朔太郎さくたろう出現しゅつげんにより日本にっぽん自由じゆう完成かんせいしたとされる[1]萩原はぎはらは『あおねこ附録ふろく論文ろんぶん自由じゆうのリズムに就て」で、

わがは「はくぶし本位ほんい」「拍子ひょうし本位ほんい」の音樂おんがくてて、あたらしく「感情かんじょう本位ほんい」「旋律せんりつ本位ほんい」の音樂おんがく創造そうぞうすべく要求ようきゅうしたのである。 — 萩原はぎはら朔太郎さくたろう、『あおねこ所収しょしゅう自由じゆうのリズムに就て」、青空あおぞら文庫ぶんこより[9]

[2]、「旋律せんりつてき」が「自由じゆう境地きょうち」であるとしている。

詩論しろん運動うんどう[編集へんしゅう]

ただし、旧来きゅうらい音律おんりつてて規則きそく拘束こうそくはいしたことで、たんなる「くだりけした散文さんぶん」のような文章ぶんしょうなされることもあった。昭和しょうわ初期しょきの『詩論しろん運動うんどうはこの状況じょうきょう対抗たいこうして発生はっせいしたものである[4]

三好みよし達治たつじ昭和しょうわさんじゅうななねんの『定本ていほん 三好みよし達治たつじぜん詩集ししゅう』の「まきに」でつぎのようにいている。

口語こうご自由じゆう明治めいじまつ誕生たんじょうし、大正たいしょうまつにはもうその標高ひょうこうとうげひとちょうえきつて、くだ斜面しゃめんにさしかかつてゐたかと、わたしおもふ。かい推移すいいはその斜面しゃめんしたがって次第しだいくだり、なりゆきまかせの、くずおれ落期にあつたかと、わたしおもふ。不才ふさいわたしのやうなものも、みずからを揣らずたいそうそれを不安ふあんげにおぼえたのをわすれない。なにやらあしもとはつね不確ふたしかであった。 — 三好みよし達治たつじ定本ていほん 三好みよし達治たつじぜん詩集ししゅう

詩人しじんつじ征夫いくおは、上記じょうきにて三好みよしのいう「とうげ」は萩原はぎはら朔太郎さくたろうつきえる』(大正たいしょうろくねん)、『あおねこ』(大正たいしょうじゅうねん)をしていることは間違まちがいないとしている。さらに、三好みよしどう世代せだい詩人しじんおおく(昭和しょうわさんねん創刊そうかんの「詩論しろん」のメンバー、安西あんざい冬衛ふゆえ北川きたがわふゆ竹中たけなかいく春山はるやま行夫ゆきお吉田よしだ一穂いちほ西脇にしわき順三郎じゅんざぶろう瀧口たきぐち修造しゅうぞう)は、三好みよしとはせい反対はんたい立場たちば――すなわち朔太郎さくたろう以後いごは「なりゆきまかせ」の「くずおれ落期」となったのではなく、朔太郎さくたろう近代詩きんだいし終焉しゅうえんとみなし、みずからをあたらしい、「現代げんだい」のパイオニアとかんがえる立場たちばったという。(三好みよし達治たつじ安西あんざい北川きたがわ春山はるやまおなじく「詩論しろん」のだいいち同人どうじんつらね、だいいち詩集ししゅう測量そくりょうせん』(昭和しょうわねん)もこの範疇はんちゅうはいるとってよいが、それ以降いこう三好みよしは「現代げんだい」の潮流ちょうりゅうとはべつ独自どくじみちあるいて生涯しょうがいえる。)[10]

詩論しろん運動うんどう日本にっぽん自由じゆうは「現代げんだい」とばれるようになった[4](これにたいし、現代げんだい以前いぜん作品さくひん近代詩きんだいしとする)。

現在げんざい日本にっぽんにおいて俳句はいく短歌たんか区別くべつして「」と場合ばあい、この現代げんだいして「」とぶのが一般いっぱんてきである。自由じゆうという場合ばあい現代げんだい口語こうごもちいた口語こうご自由じゆうすことがおおく、現代げんだい同義どうぎとなっている[1][7]

なお、散文詩さんぶんし自由じゆうとはことなる概念がいねんである[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん 8』、TBSブリタニカ、1991ねんだい2はん改訂かいてい、449-454ぺーじこう
  2. ^ a b c d 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ 11』、小学館しょうがくかん、1986ねん、498-499ぺーじ自由じゆうこう新倉にいくら俊一しゅんいち[よう曖昧あいまい回避かいひ]ちょ)。
  3. ^ a b c d 世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん 5』、集英社しゅうえいしゃ、1997ねん、369-370ぺーじ自由じゆうこう小倉おぐら和子かずこちょ)。
  4. ^ a b c d e f g 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん 13』、平凡社へいぼんしゃ、2007ねん改訂かいてい新版しんぱん、75-76ぺーじ自由じゆうこう安藤あんどう一郎いちろうちょ)。
  5. ^ a b c d 『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん 3 しょう項目こうもく事典じてん』、TBSブリタニカ、1991ねんだい2はん改訂かいていばん、480ぺーじ自由じゆうこう
  6. ^ 『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん 3 しょう項目こうもく事典じてん』、TBSブリタニカ、1991ねんだい2はん改訂かいていばん、740ぺーじ新体詩しんたいしこう
  7. ^ a b 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん 6』、小学館しょうがくかん、2001ねんだい2はん、1240ぺーじ自由じゆうこう
  8. ^ 日本にっぽん現代げんだい辞典じてん』 1986ねんさくらかえでしゃ、393-395ぺーじ
  9. ^ 底本ていほんは『萩原はぎはら朔太郎さくたろう全集ぜんしゅう だいいちかん』(筑摩書房ちくましょぼう、1975ねん)および『あおねこ』(新潮社しんちょうしゃ、1923ねん)。
  10. ^ わたし現代げんだい入門にゅうもん むずかしくないはなし思潮しちょうしゃ、2005ねん、66-68ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]