いたりひじりさんしゃ

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いたりひじりさんしゃ』(アンドレイ・ルブリョフによるイコン)。旧約きゅうやくにおけるアブラハムさん天使てんしおとずれた記述きじゅついたりひじりさんしゃ啓示けいじ象徴しょうちょうとしてとらえる伝統でんとう正教会せいきょうかいにはあるが、そのもてなしの食卓しょくたく情景じょうけいえがいたイコンをもとさん天使てんしのみがえがかれたもの[1]いたりひじりさんしゃそのものはえがけないのであり、あくまで象徴しょうちょうとしてのイコンである。

いたりひじりさんしゃ(しせいさんしゃ、ギリシア: Αγία Τριάδα, ロシア: Пресвятая Троица, 英語えいご: Most Holy Trinity)は、キリスト教きりすときょうにおける三位一体さんみいったいかみあらわ正教会せいきょうかい用語ようごであり、日本にっぽん正教会せいきょうかいもちいられる訳語やくご祈祷きとうぶんにおいてはたんに「せいさんしゃ」「さんしゃ」とやくされるケースもすくなくないが、説教せっきょう文章ぶんしょう日常にちじょう生活せいかつにおいては「いたりひじりさんしゃ」がもちいられることほとんどである。正教会せいきょうかいにおいては、正教会せいきょうかいにおける定義ていぎもとつくられた神学しんがく用語ようごを「代用だいようとなるかたり」にえることのぞましくないことであり、いたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいというかたり限定げんていするのはあやまりであるとされる[2]

また、日本にっぽん正教会せいきょうかいでは"the Father"・"the Son"・"the Holy Spirit"に、「ちち聖霊せいれい」ではなく「ちちせいかみ(せいしん)」の訳語やくごもちいる。

用例ようれい[編集へんしゅう]

祈祷きとうぶんでは「さんにしてかれざる」「一体いったいにしてかれざるひじりさんしゃ」といった言葉ことば頻繁ひんぱんあらわれ、日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかいも「さん」「一体いったい」という言葉ことばそのものの使用しよう忌避きひしているわけではない。ただし「三位一体さんみいったい」「三位一体さんみいったいかみ」のようにセットでもちいられることは、日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかいにあっては日常にちじょう文章ぶんしょうではほぼ皆無かいむであり、祈祷きとうぶんでもきわめてまれである。「さん」「一体いったい」は別々べつべつ修飾しゅうしょくとして正教会せいきょうかい祈祷きとうぶんにおいてもちいられるものの、主語しゅごびかけとしてはもちいられない。

祈祷きとうぶんいたりひじりさんしゃ[編集へんしゅう]

どきけいなどの祈祷きとうしょで「いたりひじりさんしゃ」とりゃくして記述きじゅつされている箇所かしょにおいて、誦経じゅきょうしゃ以下いか祈祷きとうぶんむ。

いたりひじりさんしゃとうあわれめよ、おもとうつみいさぎよくせよ、主宰しゅさいとうの愆(あやまち)をゆるせ、せいなるもののぞみてとうやまいいやたまえ、ことごとなんじによる。 — 『どきけい』1ぺーじ・2ぺーじ明治めいじじゅうななねんなながつ]

この祈祷きとうぶんは、各種かくしゅたてまつかみあや冒頭ぼうとうに、「てんおう」「せいさんしゅくぶん」「いたりひじりさんしゃ」「天主てんしゅけい」のわせの一部いちぶとしてまれている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]