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船尾(ふなお)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1345[2]。
北は多々羅田、高花、北東は結縁寺、東は松崎、南は八千代市堀の内、南西は八千代市佐山、
西は武西、戸神、北西は内野に隣接している。飛び地が二ヶ所あり、原山、高花、多々羅田、草深に隣接している。
小字は以下の通り[4]。
- 町田道添(まちだみちぞえ)
- 町田(まちだ)
- 西根(にしね)
- 中峠(なかびょう)
- 白幡(しらはた)
- 平蔵地(へいぞうち)
- 木戸場(きどわき)
- 中台(なかだい)
- 四反目(よんたんめ)
- 新山(しんやま)
- 向ノ地(むこのち)
- 新坂下(しんさかした)
- 鴻ノ巣(こうのす)
- 向久保(むかいくぼ)
- 船戸(ふなど)
- 楝戸(さいかちど)
- 五反町(ごたんまち)
- 亀田(かめだ)
- 馬場下(ばばした)
- 境田(さかいだ)
- 香奠(こうでん)
- 北谷津(きたやつ)
- 馬場(ばば)
- 油免(あぶらめん)
- 本郷(ほんごう)
- 北台(きただい)
- 坊山(ぼうやま)
- 埜地(やち)
- 神明作(しんめいさく)
- 馬坂(まさが)
- 内野(うちの)
- 西ヶ作(にしがさく)
- バラ作(ばらさく)
- 出口(でぐち)
- 名場塚(めいばづか)
- 小池ノ作(こいけのさく)
- 多々羅田前(たたらだまえ)
- 高花(たかばな)
- 原山(はらやま)
- 割地(わりち)
- 四五右エ門(しごうえもん)
江戸期は船尾村であり、下総国印旛郡のうち。印西領・印西筋に属す。「各村級分」では幕府・旗本大岡氏の相給、元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」629石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに655石余。なお幕府領分の254石余は、寛文・延宝期に惣深新田が開発された時、同時にもと入会地の惣深野に開発された当村の切添新田である。同新田は延宝4年の検地により高請され、本村高に含められた。同年新田反別下畑50町7反余・屋敷5畝余(草深誌)。安政4年「領分村高帳」によれば、佐倉藩領分は反取で、ほかに夫役永1貫11文・林下苅代永50文と見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。神社は宗像神社など。寺院は天台宗東光院、ほかに観音堂・薬師堂(印旛郡誌)。明治22年船穂村の大字となる[5]。
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 船穂村大字船尾になる。
- 町村制施行し、船尾村、結縁寺村、多々羅田村、戸神村、武西村、松崎村、泉新田、惣深新田が合併し印旛郡船穂村が発足。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町船尾となる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市船尾となる。
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
- 船穂コミュニティセンター
- 船尾第一集会所
- 船尾第四集会所
- ちばレインボーバス
- 神崎線(津田沼駅 - 千葉ニュータウン中央駅 - 木下駅)[8][9]
- 西の原線(船尾車庫 - 印西牧の原駅)[8][10]
- 高花線(船尾車庫 - 高花)[8][11]