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ふじむすめ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ふじむすめ(ふじむすめ)は、

  1. 大津絵おおつえ画題がだいむすめくろかさふじづくしの衣装いしょうふじはなえだをかたげている姿すがた
  2. 大津絵おおつえだいをとった歌舞伎かぶき舞踊ぶよう日本にっぽん舞踊ぶよう)の演目えんもくおよびその伴奏ばんそう長唄ながうた[1]

ふじむすめ姿すがたおおくの日本人にっぽんじんがた羽子板はごいた押絵おしえにももちいられている。

ワシントンDCの日本にっぽん舞踊ぶようふじむすめ

大津絵おおつえふじむすめ

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大津絵おおつえ ふじむすめ

ふじむすめは、近江おうみこく大津おおつ名物めいぶつまたひらたという絵師えしつくったとじゃ大津絵おおつえ画題がだいひとつ。「良縁りょうえん」の護符ごふとされた。かつぎむすめふじかつぎむすめとも。

ふじむすめはるこま
歌川うたがわ広重ひろしげ東海道とうかいどうじゅうさんたい[2] 大津おおつ』は歌舞伎かぶき演目えんもく傾城けいせい反魂香はんごんこう』の一幕ひとまくどもまた」を題材だいざいとする錦絵にしきえまたひらめ(モデルは岩佐いわさ又兵衛またべえ)がえがいた大津絵おおつえ主役しゅやくらがからしておどりだす場面ばめんえがいたもの。冒頭ぼうとうの「大津繪おおつえふでのはしめはなにほとけ」は松尾まつお芭蕉ばしょう

歌舞伎かぶき舞踊ぶようふじむすめ

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ふじむすめは、大津絵おおつえの『かつぎむすめ』にだいをとった長唄ながうたによる歌舞伎かぶき舞踊ぶよう演目えんもく文政ぶんせい9ねん(1826ねん江戸えど中村なかむら初演しょえん代目だいめせき三十郎さんじゅうろうった。作詞さくし勝井かついはじめはち。もとはからむすめおどるという趣向しゅこう変化へんか舞踊ぶよう哥へす哥へす余波よは大津絵おおつえ』のいちきょくだったが、ろく代目だいめ尾上おがみ菊五郎きくごろうむすめ姿すがたおどふじせいという内容ないようえて演出えんしゅつ一新いっしんして以来いらいそのかた一般いっぱんてきになり、今日きょうでも人気にんき歌舞伎かぶき舞踊ぶよう演目えんもくひとつであるばかりか、日本にっぽん舞踊ぶようでも必須ひっす演目えんもくひとつとなっている。

歌川うたがわ国貞くにさだ三十郎さんじゅうろう大津絵おおつえふじむすめ

  

初演しょえんふじむすめ

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変化へんか舞踊ぶよう哥へす哥へす余波よは大津絵おおつえ』(かえすがえす おなごり おおつえ)」のいちきょく。『ふじむすめ』は最初さいしょきょくで、花道かどうすっぽんからあらわれて大津絵おおつえ同様どうよう姿すがたおどった。なお初演しょえんにはふじむすめきょくおわりかかると、舞台ぶたいぐるみのいぬてきてむすめびつく、するとむすめがびっくりした拍子ひょうしにそれまでのかずら衣装いしょう舞台ぶたいじょう座頭ざがしら姿すがたとなり、っていたふじえだ仕掛しかけでつえかわって、そのままいぬ一緒いっしょ座頭ざがしら所作しょさおどるという演出えんしゅつだった。

ろく代目だいめふじむすめ

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昭和しょうわ12ねん(1937ねん)にろく代目だいめ尾上おがみ菊五郎きくごろう変化へんか舞踊ぶようのひとつだったふじむすめ独立どくりつさせ、長唄ながうたあいだに『ふじ音頭おんど』(おか鬼太郎おにたろうさく)を挿入そうにゅうして演出えんしゅつ一新いっしんしたもの。ふじからんだまつ大木たいぼくは、まつおとこを、ふじおんな象徴しょうちょうしている。すじは、ふじからんだまつ大木たいぼくまえふじえだにしたふじせいが、のままにならない男心おとこごころ切々せつせつなげきつつおどる。やがてさけきょうにのっておどるうちにとおてらかね夕暮ゆうぐれをげると、むすめ夕暮ゆうぐれとともに姿すがたす、というもの。 

歌詞かし

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わかむらさきに とかえりの はなをあらわす まつ藤浪ふじなみ
人目ひとめせきかさ ぬりかさしゃんと かかげたる いちえだ
むらさきふかき 水道すいどうみずに めて うれしきゆかりのいろ
いとしといてふじはな エエ しょんがいな
すそもほらほら しどけなく
鏡山かがみやま ひとのしがより こののしがを
かへりみるめの しおなきうみに むすめすがたの はづかしや

おとこごころのにくいのは ほかのおなごに かみかけて
あはづと三井みつい(みい)のかねごとも かたちかいの石山いしやま
はうつせみの から埼や まつよるをよそに 比良びらゆき
とけて 逢瀬おうせの あたねたましい ようものせたにゃ わしゃのせられて
ぶん堅田かただの かただより こころ矢橋やばせの かこちごと

まつうえよなら 有馬ありまさとえさんせ
いつまでも わらぬちぎり かいどりづまで よれつ もつれつ まだがたらぬ
宵寝よいねまくらの まだらぬ ふじにまかれて とござる
アアなにとせうか どせうかいな
わしがしょうまくら おまくら
そらもかすみのゆうりに 名残惜なごりおしみて かえ雁金かりがね

流派りゅうはによって多少たしょうことなる。あいだに「潮来いたこ出島でじま」や「ふじ音頭おんど」が挿入そうにゅうされる。

  • 潮来いたこ出島でじま

潮来いたこ出島でじま真菰まこもなか
菖蒲しょうぶくとはしおらしい サアサよいやサア
宇治うじしばせん 早瀬はやせわた
わたしゃくんゆえ のぼりせん サアサよいやサア
はなはいろくしょくさきけど
おもかえるはなはない サアサよいやさ
はないちもと わすれてたが あとくやひらくやら
サアサよいやサー よいやさ しなもなく
はなにうかれて ひとおど

  • ふじ音頭おんど

ふじ花房はなぶさしょくよくなが
可愛かわいいがろとてさけうて ませたら
うちの男松おまつに からんでしめて
てもさても じゅうがえりというのにくや
かへるという言葉ことば
はなものいわぬ ためしでも
しらぬそぶりは ならのきょう
まつにすがるも すきずき
まつをまとうも すきずき
いてかれて
はなれぬなかは ときわぎの たちえらで
きみとわれとか おゝうれし おゝうれし

へすへす余波よは大津絵おおつえ

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へすへす余波よは大津絵おおつえ』(かえすがえすおなごりおおつえ)は文政ぶんせい9ねん(1826ねん江戸えど中村なかむら初演しょえん変化へんか舞踊ぶよう勝井かついはじめはちさんしょうさんさく。4代目だいめきねろくさんろう長唄ながうた)・初代しょだい清元きよもとひとし兵衛ひょうえ清元きよもと作曲さっきょく外題げだいに「かえすがえす」とあるのは初演しょえんの2代目だいめせき三十郎さんじゅうろう江戸えど歌舞伎かぶきから上方かみがた歌舞伎かぶきもど直前ちょくぜんえんじたことにちなむ[3]

関連かんれん項目こうもく図書としょ

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井戸いど秀夫ひでおふじむすめ成立せいりつ」『近世きんせい文藝ぶんげい』51、1990ねん

児玉こだま絵里子えりこ大津絵おおつえふじむすめ」と「花車かしゃ」ー若衆わかしゅ歌舞伎かぶき業平なりひらおどり」と初期しょき歌舞伎かぶき表象ひょうしょうー」『初期しょき歌舞伎かぶき琉球りゅうきゅう宮廷きゅうてい舞踊ぶよう系譜けいふこうさんようあおいもん枝垂しだざくらふじはなー』にしきせいしゃ、2022ねんISBN 978-4-7646-0146-8

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん解説かいせつふじむすめ』 - コトバンク参照さんしょう
  2. ^ 「ArtWiki」”. 立命館大学りつめいかんだいがくアート・リサーチセンター. 2021ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ へすへす余波よは大津絵おおつえ. コトバンクより2021ねん1がつ17にち閲覧えつらん