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西陵せいりょう古墳こふん

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西陵せいりょう古墳こふん

墳丘ふんきゅう全景ぜんけいみぎ手前てまえ前方ぜんぽうひだりおくこうえん
所属しょぞく 淡輪たんのわ古墳こふんぐん
所在地しょざいち 大阪おおさか泉南せんなんぐんみさきまち淡輪たんのわ
位置いち 北緯ほくい3419ふん37.31びょう 東経とうけい13510ふん8.44びょう / 北緯ほくい34.3270306 東経とうけい135.1690111 / 34.3270306; 135.1690111座標ざひょう: 北緯ほくい3419ふん37.31びょう 東経とうけい13510ふん8.44びょう / 北緯ほくい34.3270306 東経とうけい135.1690111 / 34.3270306; 135.1690111
形状けいじょう 前方後円墳ぜんぽうこうえんふん
規模きぼ 墳丘ふんきゅうちょう210m
たかやく15m(こうえん
埋葬まいそう施設しせつ推定すいてい竪穴たてあなしき石室いしむろ
 (内部ないぶ長持ながもちがた石棺せっかん
出土しゅつどひん 円筒えんとう埴輪はにわ器材きざい埴輪はにわなど
築造ちくぞう時期じき 5世紀せいき前半ぜんはんころ
被葬ひそうしゃ推定すいていきのしょうゆみ
史跡しせき くに史跡しせき西陵せいりょう古墳こふん だいいちだい古墳こふん
特記とっき事項じこう 全国ぜんこくだい28規模きぼ[1]
地図ちず
西陵古墳の位置(大阪府内)
西陵古墳
西陵せいりょう古墳こふん
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西陵せいりょう古墳こふん(さいりょうこふん)は、大阪おおさか泉南せんなんぐんみさきまち淡輪たんのわ(たんのわ)にある古墳こふん形状けいじょう前方後円墳ぜんぽうこうえんふん淡輪たんのわ古墳こふんぐん構成こうせいする古墳こふんの1つ。くに史跡しせき指定していされている。

名称めいしょうは「西二にしにさんざい古墳こふん(にしにさんざいこふん)」とも。淡輪たんのわ古墳こふんぐんでは最大さいだい全国ぜんこくではだい28規模きぼ古墳こふん[1]5世紀せいき前半ぜんはんごろ築造ちくぞうとされる。

概要がいよう

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大阪おおさか最南端さいなんたん大阪おおさかわんめんした台地だいちじょう位置いちする巨大きょだい前方後円墳ぜんぽうこうえんふんである。800メートルほどひがしにある淡輪たんのわニサンザイ古墳こふん宮内庁くないちょう治定じじょう五十瓊敷入彦命はか墳丘ふんきゅうちょう170メートル)、および淡輪たんのわニサンザイ・西陵せいりょう中間ちゅうかんにあった西小山にしこやま古墳こふんえんふん現存げんそん)などとともに淡輪たんのわ古墳こふんぐん形成けいせいする。別称べっしょうの「やまざい(にさんざい)」は「ミササギ(りょう)」の転訛てんか

丘陵きゅうりょうまつはし利用りようして築造ちくぞうされた前方後円墳ぜんぽうこうえんふんで、前方ぜんぽうきた東方とうほうける[2]墳丘ふんきゅうは3だんちくなりで、墳丘ふんきゅうちょうやく210メートルをはか[2]外部がいぶ施設しせつとして、墳丘ふんきゅう西側にしがわのくびれには方形ほうけいみやつこもうけられたほか、墳丘ふんきゅう外表そとおもては葺石でおおわれ、くわえて円筒えんとう埴輪はにわ朝顔あさがおがた埴輪はにわや、ぶたがたたてがたたんかぶとがたいえがた埴輪はにわといった器材きざい埴輪はにわならべられていた。墳丘ふんきゅう周囲しゅういにははば15-35メートルのしゅうほりめぐらされているが、しゅうほり元々もともとかたちあきらかでない[2]。またしゅうほり外側そとがわには陪塚3存在そんざいられる(うち1消滅しょうめつ[3]

埋葬まいそう施設しせつあきらかでないが、竪穴たてあなしき石室いしむろ凝灰岩ぎょうかいがんせい長持ながもちがた石棺せっかんおさめていたと推測すいそくされる[3]。かつてはこうえんふんいただきにおいて、ちょうがわあたりなわかけ突起とっき2ゆうする石棺せっかんぶたせき露出ろしゅつしていたが、くに史跡しせき指定していともなってもどされている[3]

この西陵せいりょう古墳こふん築造ちくぞう年代ねんだいは、出土しゅつど埴輪はにわから5世紀せいき前半ぜんはん西暦せいれき420ねん-440ねんころ推定すいていされている[2]。5世紀せいき中頃なかごろかぎって築造ちくぞうされた淡輪たんのわ古墳こふんぐん大型おおがた古墳こふん3西陵せいりょう古墳こふん西小山にしこやま古墳こふん淡輪たんのわニサンザイ古墳こふん)のうちでは、西小山にしこやま古墳こふん淡輪たんのわニサンザイ古墳こふん先行せんこうする。これらみさきまち大型おおがた古墳こふんぐんでは円筒えんとう埴輪はにわ独特どくとく技法ぎほう淡輪たんのわ技法ぎほう)がられるが、同様どうよう技法ぎほう和歌山平野わかやまへいや木ノ本きのもと古墳こふんぐん和歌山わかやま木ノ本きのもと)にもられることから、古墳こふんぐん紀伊きい勢力せいりょくきの)とのつよかかわりのなか成立せいりつしたとかんがえられている[4]

古墳こふんいきならびに陪塚2は、1922ねん大正たいしょう11ねん)にくに史跡しせき指定していされている[5]

墳丘ふんきゅう

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西陵せいりょう古墳こふん空中くうちゅう写真しゃしん
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墳丘ふんきゅう規模きぼつぎとお[3]

  • 墳丘ふんきゅうちょうやく210メートル
  • こうえん - 3だんちくなり
    • 直径ちょっけいやく115メートル
    • たかさ:やく18メートル
  • 前方ぜんぽう - 3だんちくなり
    • はばやく100メートル
    • たかさ:やく14メートル
  • みやつこ
    • 西側にしがわくびれ:23メートル×13メートル

被葬ひそうしゃ

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被葬ひそうしゃあきらかでない。みさきまち大型おおがた前方後円墳ぜんぽうこうえんふん2はいずれも当地とうち経済けいざいりょくのみで築造ちくぞうされたとかんがえにくいことから、これらの築造ちくぞうにおいて紀伊きい勢力せいりょくきの)の関与かんよ想定そうていされる[6]

一説いっせつでは、被葬ひそうしゃは『日本書紀にほんしょき雄略天皇ゆうりゃくてんのう9ねん3がつじょう・5月じょうえる5世紀せいき後半こうはん将軍しょうぐんきのしょうゆみ(きのおゆみ、きのしょうゆみ宿禰すくね)に比定ひていされる。『日本書紀にほんしょき』によると、きのしょうゆみしん征討せいとう将軍しょうぐんにんじられてたたかったが、病気びょうきによりしんくなった。そこで天皇てんのう土師はじれん小鳥ことりめいじて、「邑(たむわのむら)」にきのしょうゆみはかつくらせたという。西陵せいりょう古墳こふんがこのしょうゆみはか比定ひていされるのは、その「」が「淡輪たんのわ」に比定ひていされることによる[7]

そのほか、『和泉いずみこころざし』ではきの船守ふなもりはかとするせつげ、『泉州せんしゅうこころざし』では西陵せいりょう古墳こふん・宇度古墳こふんのどちらか一方いっぽうきのしょうゆみはかとしてもう一方いっぽう船守ふなもりはかとするせつげる[8]。ただし、この船守ふなもり8世紀せいき人物じんぶつ731ねん-792ねん)になる。また『みなみゆう紀行のりゆき』では五十瓊敷入彦命とするせつげている。

西陵せいりょう古墳こふん北方ほっぽうにはだいいち古墳こふん北緯ほくい3419ふん43.99びょう 東経とうけい13510ふん7.34びょう / 北緯ほくい34.3288861 東経とうけい135.1687056 / 34.3288861; 135.1687056 (陪塚:だいいち古墳こふん))、だい古墳こふん北緯ほくい3419ふん45.31びょう 東経とうけい13510ふん6.97びょう / 北緯ほくい34.3292528 東経とうけい135.1686028 / 34.3292528; 135.1686028 (陪塚:だい古墳こふん))のえんふん2があり、いずれも西陵せいりょう古墳こふん陪塚とされる[3]。これらは西陵せいりょう古墳こふんとともにくに史跡しせき指定していされている。

なお、かつては陪塚とられる古墳こふんがもう1存在そんざいしたが、線路せんろ敷設ふせつ破壊はかいされた。そのさいひっさげびん2高坏たかつき1個いっこつぼ2ひらびん1個いっこ刀身とうしん断片だんぺんてつ2ほん出土しゅつどしたという。

文化財ぶんかざい

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くに史跡しせき

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  • 西陵せいりょう古墳こふん だいいちだい古墳こふん - 大正たいしょう11ねん3がつ8にち指定してい[5]

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 史跡しせき説明せつめいばんみさきまち教育きょういく委員いいんかい設置せっち
  • 大阪おおさか史蹟しせき名勝めいしょう天然てんねんねんぶつ調査ちょうさ報告ほうこく だいさん輯』 大阪おおさか、1932ねん
  • 淡輪たんのわ古墳こふんぐん」『角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 27 大阪おおさか角川書店かどかわしょてん、1983ねんISBN 978-4040012704 
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 28-2 大阪おおさか地名ちめい平凡社へいぼんしゃ、1986ねんISBN 978-4582490282 
    • 泉南せんなんぐん西陵せいりょう古墳こふん
  • みさきまち歴史れきしみさきまち、1995ねん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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