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見目けんもくまこと

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見目けんもく まこと(けんもく まこと、1952ねん昭和しょうわ27ねん8がつ27にち[1] - 2013ねん平成へいせい25ねん7がつ14にち)は、日本にっぽん翻訳ほんやく俳人はいじん詩歌しか研究けんきゅう埼玉さいたまけんまれ。1976ねん学習院大学がくしゅういんだいがく文学部ぶんがくぶそつどう大学院だいがくいん仏文ふつぶん博士はかせ課程かてい単位たんい取得しゅとく退学たいがく。その高校こうこう教諭きょうゆをしながら、文筆ぶんぴつ翻訳ほんやく活動かつどうおこなった。日本にっぽんフランスフランス文学ぶんがくかい日本にっぽん翻訳ほんやく協会きょうかい俳人はいじん協会きょうかい国際こくさい俳句はいく交流こうりゅう協会きょうかい会員かいいん。「馬酔木あしび」、「関西かんさい文学ぶんがく同人どうじん[2]

経歴けいれき

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東京とうきょう都立とりつきゅうだん高等こうとう学校がっこう学習院大学がくしゅういんだいがくて、学習院大学がくしゅういんだいがく大学院だいがくいんフランス文学ぶんがく専攻せんこうする。高校こうこう時代じだいより中原なかはら中也ちゅうやボードレールランボーなどを愛読あいどくした。[3] 大学だいがく時代じだいには松尾まつお芭蕉ばしょう傾倒けいとうする[4]大学院生だいがくいんせい時代じだい尾崎おざき放哉ほうさい出会であ[3]

大学院だいがくいん退学たいがく教職きょうしょくかたわ当時とうじ海外かいがいられていなかった日本にっぽん文学ぶんがくふつやく[4]。1987ねん見目みめやくした正岡子規まさおかしき種田山頭火たねださんとうかなどのふつやくがフランスに紹介しょうかいされたことをきっかけに俳句はいく研究けんきゅう[5]でブレスト大学だいがく講師こうし[6]アラン・ケルベルンい、以降いこう文通ぶんつうかさねる[5]

1989ねん正岡まさおか子規しき荻原井泉水おぎわらせいせんすい内藤ないとう鳴雪めいせつ松瀬まつせ青々せいせい前田まえだ普羅ふららのふつやく尼崎あまがさきいねえん高等こうとう学校がっこう研究けんきゅういねえん紀要きよう』に発表はっぴょう[2]

1991ねん尾崎おざき放哉ほうさいはつふつやく詩集ししゅう"Portrait d'un moineau a une patte"をアラン・ケルベルンと共同きょうどう出版しゅっぱん[5]

1993ねん富田とみた木歩もっぽふつやく句集くしゅう尼崎あまがさきいねえん高等こうとう学校がっこう研究けんきゅういねえん紀要きよう』に発表はっぴょう[6]

1993ねんから1994ねんにかけて、ギョーム・ド・ロリスジャン・ド・マンによるじゅうさん世紀せいき宮廷きゅうていロマンス作品さくひん薔薇ばら物語ものがたり』の邦訳ほうやくを『関西かんさい文学ぶんがく誌上しじょう連載れんさい[7]

1994ねん式子内親王しきしないしんのう短歌たんか100しゅふつやく西宮にしのみや今津いまづ高校こうこう研究けんきゅう紀要きよう発表はっぴょう[8]

1998ねん2がつ27にちだい37かい俳人はいじん協会きょうかいしょう著書ちょしょのろわれた詩人しじん 尾崎おざき放哉ほうさい』がだい12かい俳人はいじん協会きょうかい評論ひょうろん新人しんじんしょう受賞じゅしょう[9][10]

1999ねん、カナダ・ダビッドしゃより出版しゅっぱんされた『国境こっきょうなき俳句はいく世界せかい俳句はいく選集せんしゅう』(原題げんだいしょう)に正岡まさおか子規しき高浜たかはま虚子きょしらの見目みめによるふつやく採用さいようされる[11][12]

2003ねん吉永よしなが小百合さゆりによる原爆げんばく英訳えいやく朗読ろうどくべい国民こくみん感動かんどうさそっていることをり、以降いこうパトリック・ブランシュとも原爆げんばくふつやく[13][14]

2012ねん松尾まつお芭蕉ばしょうはつふつやく全集ぜんしゅうである"Bashō Seigneur ermite"をDominique Chipotと共同きょうどう出版しゅっぱん[4]

2013ねん7がつ14にち死去しきょ享年きょうねん60[15]

教師きょうしとしては兵庫ひょうご県立けんりつ尼崎あまがさきいねえん高等こうとう学校がっこう[5]兵庫ひょうご県立けんりつ西宮にしのみや今津いまづ高等こうとう学校がっこう[6]兵庫ひょうご県立けんりつ東神戸ひがしかんべ高等こうとう学校がっこう[11]兵庫ひょうご県立けんりつ西宮にしのみやこうふう高等こうとう学校がっこう[4]国語こくご教諭きょうゆ歴任れきにんした。

著書ちょしょ

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翻訳ほんやく

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  • 『Portrait d'un moineau à une patte(ふつやく放哉ほうさいひゃくせん)』ともやく、Éditions Folle Avoine, 1991
  • ギヨーム・ド・ロリス, ジャン・ド・マン『薔薇ばら物語ものがたり未知みちだに 1995(1995年度ねんど日本にっぽん翻訳ほんやく出版しゅっぱん文化ぶんかしょう受賞じゅしょう
  • 『フラメンカ物語ものがたり未知みちだに 1996
  • やなぎかろやかなり パトリック・ブランシュ自選じせん句集くしゅう未知みちだに 1997
  • にち仏語ふつごばん 句集くしゅう長崎ながさきしょう)』(私家版しかばんともやく, 2000
  • にち仏語ふつごばん 句集くしゅう広島ひろしましょう)』(私家版しかばんともやく, 2000
  • にち仏語ふつごばん 金子かねこみすゞ詩抄ししょう -Malgré tout le ciel est toujours bleu, Poèmes choisis de Misuzu KANEKO-』(私家版しかばんともやく, 2003
  • にち仏語ふつごばん 原爆げんばくせんⅠ -Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique I, Poèmes choisis-』(私家版しかばんともやく, 2004
  • にち仏語ふつごばん 原爆げんばくせんⅡ -Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique II, Poèmes choisis-』(私家版しかばんともやく, 2005
  • にち仏語ふつごばん 原爆げんばくせんⅢ 少年しょうねん少女しょうじょ原爆げんばくせん -Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique III, Poèmes choisis-』(私家版しかばんともやく, 2005
  • にちふつ英語えいごばん 原爆げんばくせんⅣ 原爆げんばく俳句はいくせん -Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique/after the atomic bomb IV, Haïkus choisis/Selected haikus IV-』(私家版しかばんともやく, 2006
  • にちふつ英語えいごばん 原爆げんばくせんⅤ 小山こやまほまれ原爆げんばく悲唱」-Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique/after the atomic bomb V, Élégie pour Nagasaki/Elegy for Nagasaki, 124 tankas de Takami Oyama/124 tankas of Takami Oyama-』(私家版しかばんともやく, 2006
  • にち仏語ふつごばん 原爆げんばくせんⅥ 松尾まつおあつゆき「原爆げんばくしょう」-Hiroshima Nagasaki après la bombe atomique VI, Poèmes D'un Rescapé, 273 haikus d'Atsuyuki Matsuo-』(私家版しかばんともやく, 2007
  • にち仏語ふつごばん 鴨長明かものちょうめい選集せんしゅう -Avant que d'abandonner ce monde flottant, 76 tankas de KAMO NO CHOMEI, traduits et livrement adaptés-』(私家版しかばん)2006
  • 『Du rouge aux lévres(べに脣)』(女流じょりゅう俳人はいじんフランス語ふらんすごやくアンソロジー)ともやく、La table ronde, 2008
  • 『ブルターニュ幻想げんそう民話みんわしゅう』アナトール・ル・ブラーズへん 国書刊行会こくしょかんこうかい 2009
  • 『La lune et moi(馬醉木あしび選句せんくフランス語ふらんすごやくしゅう)』ともやく、Éditions Points, 2011
  • 『Bashō Seigneur ermite(せい隠遁いんとんしゃ)(松尾まつお芭蕉ばしょうぜんフランス語ふらんすごやく))ともやく、La table ronde, 2012
  • 『Le Campherier Irradie(被爆ひばくしたくすのき)』(山口やまぐちつよしちょ人間にんげんいかだフランス語ふらんすごやくともやく、Les Éditions du tanka francophone, 2013

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 読売よみうり年鑑ねんかん 2016年版ねんばん』(読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ、2016ねん)p.449
  2. ^ a b 1989ねん9がつ7にち朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさか夕刊ゆうかん 2015ねん10がつ24にち聞蔵きくぞうⅡビジュアルにて閲覧えつらん
  3. ^ a b 1991ねん10がつ12にち毎日新聞まいにちしんぶん東京とうきょう朝刊ちょうかん 2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  4. ^ a b c d 2012ねん8がつ21にち読売新聞よみうりしんぶん阪神はんしん地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にちヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  5. ^ a b c d 1991ねん9がつ2にち毎日新聞まいにちしんぶん大阪おおさか朝刊ちょうかん 2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  6. ^ a b c 1993ねん1がつ11にち毎日新聞まいにちしんぶん大阪おおさか夕刊ゆうかん2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  7. ^ 1994ねん1がつ5にち 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさか朝刊ちょうかん 2015ねん10がつ24にち聞蔵きくぞうⅡビジュアルにて閲覧えつらん
  8. ^ 1994ねん5がつ27にち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん兵庫ひょうご地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にち聞蔵きくぞうⅡビジュアルにて閲覧えつらん
  9. ^ 1998ねん1がつ25にち毎日新聞まいにちしんぶん東京とうきょう朝刊ちょうかん 2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  10. ^ 1998ねん1がつ27にち東京とうきょう新聞しんぶん夕刊ゆうかん 2015ねん10がつ24にち中日新聞ちゅうにちしんぶん東京とうきょう新聞しんぶん記事きじデータベースにて閲覧えつらん
  11. ^ a b 1999ねん2がつ6にち毎日新聞まいにちしんぶん兵庫ひょうご地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  12. ^ 1999ねん2がつ11にち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん兵庫ひょうご地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にち聞蔵きくぞうⅡビジュアルにて閲覧えつらん
  13. ^ 2004ねん8がつ6にち毎日新聞まいにちしんぶん兵庫ひょうご地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にちごとさくにて閲覧えつらん
  14. ^ 2004ねん8がつ7にち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん兵庫ひょうご地方ちほうばん 2015ねん10がつ24にち聞蔵きくぞうⅡビジュアルにて閲覧えつらん
  15. ^ 2013ねん7がつ19にち長崎ながさき新聞しんぶん [1]