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谷中たになか五重塔ごじゅうのとう放火ほうか心中しんちゅうの事件じけん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
往年おうねん谷中たになか五重塔ごじゅうのとう
現在げんざい五重塔ごじゅうのとうあと

谷中たになか五重塔ごじゅうのとう放火ほうか心中しんちゅうの事件じけん(やなかごじゅうのとうほうかしんじゅうじけん)は、1957ねん昭和しょうわ32ねん7がつ6にち早朝そうちょう東京とうきょう台東たいとう谷中たになか霊園れいえんうち五重塔ごじゅうのとうが、心中しんちゅうのによる放火ほうか焼失しょうしつした事件じけんである。

事件じけん概要がいよう[編集へんしゅう]

この五重塔ごじゅうのとうは、幸田こうだ露伴ろはん小説しょうせつ五重塔ごじゅうのとう』のモデルにもなった天王寺てんのうじ五重塔ごじゅうのとう[1]1908ねん明治めいじ41ねん)に当時とうじ東京とうきょう寄贈きぞうされたもの。東京とうきょう名所めいしょのひとつで、谷中たになか霊園れいえんのシンボルになっていた。

は7がつ6にち午前ごぜん345ふんごろにがり、とうから50mはなれた地点ちてんにもそそぎ、しんばしらのこしてすべてちた[2]焼失しょうしつあとしんばしら付近ふきんから男女だんじょ区別くべつかないほど焼損しょうそんした焼死体しょうしたい2たい発見はっけんされた。わずかにのこされた遺留いりゅうひん捜査そうさ2人ふたり都内とない裁縫さいほうみせ勤務きんむしていた48さい男性だんせいと21さい女性じょせいであることが判明はんめいした[2]遺体いたいからかねゆびつかり、当時とうじそうしたゆびきは洋裁ようさいしか使つかっておらず、そこから身元みもとがわかったという。

現場げんばには石油せきゆめたいちしょうビンとマッチ、睡眠薬すいみんやくのこされており、捜査そうさ結果けっか男女だんじょ不倫ふりん関係かんけい清算せいさんはかるために焼身しょうしん自殺じさつはかったことがわかった[2]

とう再建さいけんされず、現在げんざい礎石そせきだけがのこるのみである(2007ねんとう再建さいけん計画けいかく報道ほうどうされている)。

映画えいが監督かんとくの舩橋じゅんどう事件じけん取材しゅざいちゅう台東たいとう谷中やなか明王みょうおういんもと住職じゅうしょく塩田しおだ隆雄たかお当日とうじつ記録きろく映像えいぞう所持しょじしていることをり、その過程かていをもとにしたドキュフィクション映画えいが谷中たになか暮色ぼしょく』を2009ねん公開こうかいした。塩田えんでん住職じゅうしょくは、事件じけん当時とうじ消防しょうぼうだんふく団長だんちょうで、消火しょうか活動かつどう合間あいまに、コダックエクタクロームのカラー8mm撮影さつえいしていた[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日外にちがいアソシエーツ編集へんしゅうへん へん日本にっぽん災害さいがい事典じてん 1868-2009』日外にちがいアソシエーツ、2010ねん、121ぺーじISBN 9784816922749 
  2. ^ a b c 明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ平成へいせい 事件じけん犯罪はんざいだい事典じてん p.564
  3. ^ Deep in the valley 谷中やなか暮色ぼしょく PRODUCTION NOTE 5

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]