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五重塔ごじゅうのとう (小説しょうせつ)

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五重塔ごじゅうのとう』(ごじゅうのとう)は、幸田こうだ露伴ろはん1892ねん明治めいじ25ねん)の小説しょうせつ最初さいしょ新聞しんぶん国会こっかい』に連載れんさいされた。

あらすじ

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うではあるが愚鈍ぐどん性格せいかくから世間せけんからかるんじられる「のっそり」こと大工だいく十兵衛じゅうべえ。しかし谷中たになか感応寺かんのうじ五重塔ごじゅうのとう建立こんりゅうされることをいたときから、一生いっしょう一度いちどあるかないかの、その仕事しごとをやりげたいという熱望ねつぼうくるしめられ、ろうえん上人しょうにんいてもらいたい一心いっしんいにく。

本来ほんらいならば、感応寺かんのうじ御用ごようつとめる川越かわごしみなもとふとしうというはなしである。世間せけんから名人めいじんよ、器量きりょうしゃよとめられるみなもとふとしはそのとおりのおとこであり、さらに十兵衛じゅうべえ日頃ひごろからみなもとふとし世話せわになっていた。十兵衛じゅうべえ女房にょうぼうなみ心中しんちゅうのくるしめられ、みなもとふとし女房にょうぼうきち利口りこうおんなだが、のっそりの横着おうちゃくぶりにいかりをおぼえる。

上人しょうにん十兵衛じゅうべえ熱意ねついり、模型もけいてその技術ぎじゅつ反面はんめん不遇ふぐう同情どうじょうする。十兵衛じゅうべえみなもとふとしてらんだ上人しょうにんは、技術ぎじゅつにおいても情熱じょうねつにおいてもくらべられない二人ふたりだからこそどちらが仕事しごとをするか二人ふたりはなってめるようにさとす。

ひとれるむずかしさと、それゆえのとうとさをつたえる上人しょうにんおもいやりにこたえようとみなもとふとし十兵衛じゅうべえいえたずね、職人しょくにんよく不義理ふぎりへのいかりも一緒いっしょつくろうと提案ていあんする。おなみなみだながして源太げんた感謝かんしゃするが、十兵衛じゅうべえ無愛想ぶあいそうにその提案ていあんことわる。てらからのかえりにすべてをあきらめた十兵衛じゅうべえだが、それでも自分じぶんつくるか、つくらないか、どちらかしかないのであった。

じょうとことわりをくしたみなもとふとし言葉ことばにもいやでござりますとしか返事へんじをかえさない十兵衛じゅうべえみなもとふとしむなしさをかんじ、五重塔ごじゅうのとうおのれてるとかえっていく。いえには弟分おとうとぶん清吉せいきちっていた。誠実せいじつやさしい兄貴あにきくすことを甲斐がいとする清吉せいきち十兵衛じゅうべえへのいかりをかくさないが、みなもとふとしいつぶれた清吉せいきちながらさきほどのおのれかえる。

葛藤かっとうてにみなもとふとし上人しょうにんのもとへかい先日せんじつ顛末てんまつかたり、十兵衛じゅうべえまかせても自分じぶんまかせても一切いっさいのわだかまりをたないため上人しょうにんめてほしいとねがいでる。上人しょうにん十兵衛じゅうべえまったおなばなしをしていったとみなもとふとしつたえ、満面まんめんみをたたえながらてる以上いじょう立派りっぱなことだとめられたみなもとふとしは「あにとして可愛かわいがってやれ」とわれてなみだながす。

みなもとふとし五重塔ごじゅうのとうてることになった十兵衛じゅうべえうたげまねき、すべてをみずながそうともうる。さらおのれえがいた五重塔ごじゅうのとう下絵したえ寸法すんぽうしょ役立やくだててしいとわたすが、十兵衛じゅうべえることもなくことわる。十兵衛じゅうべえ五重塔ごじゅうのとう仕事しごとがやれるのは、みなもとふとしよりすぐれているからでもなく、正直しょうじきさが上人しょうにんからかれたわけでもない。

ただみなもとふとし上人しょうにん言葉ことばによりすべてをむねおさせきゆずったことによる。それが事実じじつである。しかし十兵衛じゅうべえ他人たにんしんむよりも職人しょくにんとしての構想こうそう技術ぎじゅつたそうとするdemonic possession が優先ゆうせんした。もはやみなもとふとしいかりをおさえることは出来できなかった。下卑げびあしりはしないが、いつか失敗しっぱいすることをっているとくちにしてせきった。弟子でし馴染なじみのむすめあつめてにぎやかなうたげをひらくが、ほこたかおとこだけにまわりに愚痴ぐちいかりは毛筋けすじほどもせなかった。

仕事しごと十兵衛じゅうべえまことくし、すべてにしんれておのれささげる。しかしじょうにぶい「のっそり」だけに、源太げんたへの応接おうせつわすれていき純粋じゅんすい仕事しごとよろこびにひたる。おきち十兵衛じゅうべえ仕打しうちをまわりかららされ、清吉せいきちどくづいてしまう。清吉せいきち十兵衛じゅうべえころそうとして重傷じゅうしょうわせるがみなもとふとし兄貴あにきぶんであるたまするどつぎおさえつけられ散々さんざんなぐられる。

清吉せいきちあずかったするど源太げんたいえたずねると、主人しゅじん不在ふざいわりにおきち応対おうたいた。するどみなもとふとし十兵衛じゅうべえのもとにあたまをさげにかっていたとり、ひところそうとした清吉せいきちあさはかだが、十兵衛じゅうべえにもがあったためみなもとふとし上人しょうにんさまにおびをしたうえでははなしもつく、心配しんぱいのしすぎはするなとおきちいたわりの言葉ことばのこしてる。

みなもとふとし十兵衛じゅうべえのもとをおとずれてあたまげるが、先日せんじつよりのいかりはふかかたく、気分きぶんれない。世話せわをかけたするどのもとにかうつもりでいえもどると清吉せいきちははたずねてくる。おろかなまでにおもおやしんふかさにみなもとふとしかんじるものがある。一方いっぽう、おきちかね工面くめんするためにいえをでるとするどのもとにかい、みなもとふとしいかりがとけるまで上方かみがた清吉せいきちかわせるため身銭みぜにをきり路銀ろぎん工面くめんしてきたと事情じじょう説明せつめいする。清吉せいきちはは面倒めんどうもみるつもりである。

片耳かたみみとされる重傷じゅうしょうった十兵衛じゅうべえやすむことなく仕事場しごとばかう。十兵衛じゅうべえ職人しょくにんたちが自分じぶんかるんじていることを承知しょうちしており、はたらいてもらうには身体しんたいろうることも無用むようだった。とう完成かんせいする。

落成らくせいしきまえにして江戸えど暴風雨ぼうふううおそう。ひゃくまんひと顔色かおいろ恐怖きょうふおそわれるなか、感応寺かんのうじ世話せわやく倒壊とうかい恐怖きょうふから十兵衛じゅうべえすが、使者ししゃ寺男てらおとこ十兵衛じゅうべえたおれるはずはさわぐにおよばずとことわる。しかし世話せわやくからのふたたびのしは上人しょうにんからのしといつわりのものだった。上人しょうにんさま自分じぶん信用しんようしてくれないのか、はじらずきるおとこおもわれたならきる甲斐かいなしとなげきながらもあらしなか谷中たになかかう。とうのぼあらしかう十兵衛じゅうべえ。そのころとうまわりを徘徊はいかいする源太げんた姿すがたがあった。たしてとうこわれればはじらずきる職人しょくにんとして十兵衛じゅうべえゆるさざるはらだったのか、叙述じょじゅつはない。

ひとためせぬあらしったのちひとしたとう一寸ちょっといちぶんゆがみがかった。落成らくせいしきのち上人しょうにんみなもとふとしび、十兵衛じゅうべえとともにとうのぼり「住人じゅうにん十兵衛じゅうべえこれをつくり、川越かわごえみなもとふとしこれをなす」としる満面まんめんみをたたえる。かつておさな兄弟きょうだい2人ふたりだけで大河たいがわた寓話ぐうわ十兵衛じゅうべえ源太げんたかたった上人しょうにんは、いま職人しょくにんたちが言葉ことばくせぬ苦悩くのう葛藤かっとうはてこうぎしにたどりいたといわっている。十兵衛じゅうべえみなもとふとし言葉ことばなく、ただあたまげて上人しょうにんおがむだけだった。

評価ひょうか

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  • できあがった五重塔ごじゅうのとう暴風雨ぼうふううおそうところの描写びょうしゃがすぐれているという評判ひょうばんがある。
  • 小森こもり陽一よういちは、「風流ふうりゅうほとけ」とあわせてこの作品さくひんを、「芸術げいじゅつ小説しょうせつ」と位置いちづけ、近代きんだい国民こくみん国家こっか成立せいりつ重要じゅうよう役割やくわりたす作品さくひんおおきなじくであると指摘してきしている(『樋口ひぐち一葉かずは幸田こうだ露伴ろはん代表だいひょうさくなおす』p63、かもがわ出版しゅっぱん、2020ねんISBN 978-4-7803-1129-7)。

書籍しょせき

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  • 五重塔ごじゅうのとう岩波いわなみ文庫ぶんこ[1]、1927ねん初版しょはん、1994ねん改版かいはんISBN 4003101219

映画えいが

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1944年版ねんばん

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1944ねん8がつ17にち公開こうかい製作せいさく大映だいえい

スタッフ
キャスト

2007年版ねんばん

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2007ねん3がつ31にち公開こうかい配給はいきゅうカエルカフェ

スタッフ
キャスト

テレビドラマ

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1958ねん

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1958ねん6月23にちから同年どうねん7がつ7にちまで、「前編ぜんぺん」「中編ちゅうへん」「後編こうへん」の3かいわたって、KRT(げん:TBSテレビ)の『ウロコ』(月曜げつよう21:15 - 21:45。武田薬品工業たけだやくひんこうぎょういちしゃ提供ていきょう)で放送ほうそうされた。

キャスト
スタッフ

1962年版ねんばん

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1962ねん4がつ8にちに、NHK総合そうごうテレビの『こども名作めいさく』のだい1かいとして放送ほうそう

1968年版ねんばん

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1968ねん4がつ9にちに、毎日放送まいにちほうそう制作せいさくNET(げんテレビ朝日てれびあさひ系列けいれつの『テレビ文学ぶんがく -名作めいさく日本人にっぽんじん-』(火曜かよう22:00 - 23:00)で放送ほうそう。1958年版ねんばん出演しゅつえんした小池こいけ朝雄あさおが、ほんさくでは主演しゅえんしている。

キャスト
スタッフ
KRT ウロコ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
五重塔ごじゅうのとう(1958ねん
NHK総合そうごうテレビ こども名作めいさく
(なし)
五重塔ごじゅうのとう(1962ねん
NHK総合そうごうテレビ 日曜にちよう10だい前半ぜんはんわく
日曜にちよう映画えいが劇場げきじょう
(9:00 - 11:00
五重塔ごじゅうのとう(1962ねん
けの世界せかい
毎日放送まいにちほうそう制作せいさくNET系列けいれつ テレビ文学ぶんがく
五重塔ごじゅうのとう(1968ねん

舞台ぶたい

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劇団げきだん前進ぜんしん舞台ぶたい脚色きゃくしょくうえただし。1965ねん12月初演しょえん。その上演じょうえんかさねており2008ねんにも上演じょうえんしている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 岩波いわなみ文庫ぶんこでは、本文ほんぶんぜんとびらは「五重塔ごじゅうのとう 蝸牛かぎゅう露伴ろはんちょ」となっている

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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