道成寺
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5170005004479 | |
歴史
[創建 時 の伽藍
[伝承 「宮子 姫 髪長 譚 」
[
応神天皇 の時代 、9人 の兵士 に日 高 の浦 が下賜 された。9人 は漁 を生業 としたため、周辺 地域 は「九 海士 (くあま)の里 」とよばれるようになった。
九 海士 の里 に住 む夫婦 である早 鷹 と海女 の渚 は、子宝 に恵 まれないことから氏神 の八幡宮 にお祈 りしたところ、女 の子 を授 かった。そこで名前 を八幡宮 にちなんで「宮 」と名 づけた。ところが、成長 しても宮 には髪 の毛 が生 えてこなかったため両親 は悲嘆 にくれていた。ある
年 、九 海士 の里 は不漁 に見舞 われる。その原因 は海底 から差 す不思議 な光 であった。宮 の母 である渚 は、「娘 に髪 の毛 が生 えないのは前世 の報 い」と考 え、里 の人々 を救 おうと罪滅 ぼしのために自 ら海 に飛 び込 んだ。
海中 深 く潜 っていると、光輝 くものがあった。それは黄金 色 の小 さな観音 像 であった。渚 は持 ち帰 った観音 像 を大切 に祀 った。光 の消 えた海 は大漁 続 きとなったため里人 たちは渚 のことを尊敬 したが、彼女 は謙虚 に祈 りを続 けた。ある
夜 、渚 の夢 に観音 が現 れる。夢 の中 で髪 の生 えない娘 のことを訴 えると、にわかに宮 の髪 が生 えはじめた。年頃 になると髪 も伸 び、宮 は「髪長 姫 」と呼 ばれるようになった。ある
日 、宮 が黒 くて艶 のある髪 をすいていると、雀 が飛 んできてその髪 を一本 くわえ、飛 び去 った。その雀 は、奈良 の都 で勢力 を誇 っていた藤原不比等 の屋敷 の軒 に巣 をつくった。巣 から垂 れ下 がる長 く美 しい黒髪 を見 つけた不 比 等 は髪 の主 である宮 を探 しだし、養女 に迎 え入 れた。
不 比 等 の養女 となった宮 は「宮子 」という名 を授 けられ、やがて文武 天皇 に見初 められ后 となり、奈良 の東大寺 を建立 した聖武天皇 の母 となった。
宮子 は奈良 に行 っても故郷 の九 海士 の里 が忘 れられず、特 に残 してきた観音 のことが気 になっていた。その悩 みは文武 天皇 に届 き、「宮子 に黒 い長 い髪 を授 けてくれた観音 様 をお祀 りする寺 を造立 せよ」と紀 道成 に勅命 を出 した。その寺 があの道成寺 だという。
この『
境内
[本堂 (重要 文化財 )
入母屋 造 、本 瓦葺 き。桁行 (間口 )7間 、梁間 (奥行 )5間 (「間 」は長 さの単位 ではなく、柱 間 の数 を意味 する)。壁 板 に南北 朝 時代 正平 12年 (1357年 )の墨書 があり、同年 頃 の竣工 と推定 される。ただし、天授 4年 (1378年 )銘 の鬼瓦 が残 ることから、細部 の造作 の完了 はその頃 までかかったものとみられる。明 暦 元年 (1655年 )、徳川 頼宣 の援助 により、屋根 葺 き替 えを中心 とする修理 が行 われた。その後 、文化 9年 (1812年 )から同 12年 (1815年 )にかけて3年 がかりで行 われた修理 は改築 に近 い大 規模 なもので、梁間 を約 1.9メートル広 げ、壁 板 や床板 を取替 え、間 仕切 りも変更 された。1985年 (昭和 60年 )から1991年 (平成 3年 )にかけて解体 修理 が実施 されたが、この際 、間 仕切 りや屋根 内部 の小屋 組 などの改変 部 を中世 の姿 に復旧 した。小屋 組 は近世 の修理 で大幅 に改変 されていたが、古 材 が屋根裏 に格納 されていたり、他 の場所 に転用 されていたものも多 く、ほぞ穴 などの痕跡 から、当初 の屋根 構造 を復元 することができた。柱 は全 46本 のうち、中世 ・近世 の修理 で取 り替 えられたものが4本 、うち2本 は屋根裏 から元 の柱 が発見 されたため、これを再 利用 し、46本 中 44本 が当初 の柱 である[8]。
三重 塔 (和歌山 県 指定 有形 文化財 ) -宝 暦 14年 (1764年 )再建 。安 珍 塚 鐘楼 跡 -基壇 と礎石 が残 る。安 珍 ・清姫 事件 で消失 した鐘楼 を再建 した二 代目 の鐘楼 跡 。二 代目 鐘楼 と梵鐘 はいわゆる「道成寺 もの」の題材 となった由緒 ある建物 であったが、羽柴 秀吉 軍 の全 山 焼 き討 ちにあい他 の堂宇 とともに焼失 。梵鐘 は仙石 秀久 に奪 い取 られて京都 の妙満寺 に安置 されている。また、正平 14年 (1359年 )3月 31日 に梵鐘 を再 鋳 し鐘 供養 を行 ったところ、災厄 が続 いたために梵鐘 は山林 に捨 てられてしまった。その話 を聞 いた仙石 秀久 がそれを拾 って持 って行 ったのだともいう。十王 堂 -宝永 4年 (1707年 )建立 。庫裏 書院 (和歌山 県 指定 有形 文化財 ) -元禄 15年 (1702年 )建立 。念仏 堂 - 2005年 (平成 17年 )再建 。護摩堂 -弘 化 4年 (1847年 )建立 。鎮守 三 社 稲荷 神社 縁起 堂 - 1982年 (昭和 57年 )建立 。宝 佛殿 - 1982年 (昭和 57年 )建立 。仁王門 (重要 文化財 ) -元禄 13年 (1700年 )再建 。奥 之 院
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仁王門 -
本堂 -
三重 塔 -
十王 堂 -
護摩堂
本尊
[木造 千手観音 立像 1躯 ・木造 菩薩 立像 2躯 (伝 日光 ・月光 菩薩 ) -国宝 本堂 内陣 厨子 内 に南 (正面 )向 きに安置 されていた千手観音 像 とその両 脇 侍 像 で、1994年 、国宝 に指定 された。1982年 に収蔵 庫 (宝 仏殿 )が完成 してからはそちらに移 されている。像 高 は千手観音 が291.0センチ、伝 ・日光 菩薩 が242.1センチ、伝 月光 (がっこう)菩薩 が241.7センチ。3体 とも頭 ・体 の根幹 部 から蓮 肉 (蓮華 座 の中央 部分 )までの主要 部分 を一 材 から造 る一 木造 で、作風 から平安 時代 初期 ・9世紀 の作 と推定 される。彫像 の千手観音 像 は、42本 の手 で千 手 を代表 させるのが一般 的 だが、道成寺 像 は2本 多 い44手 を有 するのが特色 である。[9]木造 千手観音 立像 及 び木 心 乾漆 千手観音 立像 -重要 文化財 前記 の国宝 の千手観音 像 の背後 に北 向 きに安置 されていた、秘仏 の千手観音 像 とその胎内 仏 である。木造 千手観音 像 は長年 秘仏 とされていたが、前述 の本堂 解体 修理 に際 して像 を移動 した際 、像 内 に破損 の激 しい木 心 乾漆 千手観音 像 が納 められているのが発見 された。木造 千手観音 像 は像 高 299.8センチ。南 向 き本尊 と同様 、44手 を有 する。現 ・本堂 の建立 と同 時期 の南北 朝 時代 の作品 と推定 される。抑揚 のない円筒 状 のプロポーションに造 られ、像 内 に胎内 仏 を納 めることを想定 して造 られた鞘 仏 (さやぼとけ)である。胎内 仏 の木 心 乾漆 千手観音 立像 は発見 時 に破損 が甚大 で、面部 を含 め、像 の前半 部 はほとんど朽 損 していたが、背面 の頭部 から背 、腰 にかけては比較的 当初 の造形 が残 っており、作風 から奈良 時代 の作 と推定 される。この像 に属 していた脇 手 の残片 多数 が像 とともに発見 された。また、寺内 の蔵 に別途 保管 されていた手首 、腕 等 も本 像 に属 するものと確認 された。この木 心 乾漆 像 はその後 、顔 などの欠 失 部分 を補 って復元 され、本堂 に安置 されている。復元 後 の像 高 は236.0センチ。鞘 仏 、胎内 仏 ともに1989年 に重要 文化財 に指定 された。[10][11]
文化財
[国宝
[木造 千手観音 立像 1躯 ・木造 菩薩 立像 2躯 -解説 は前出 。
重要 文化財
[本堂 仁王門 紙 本 著 色 道成寺 縁起 2巻 [12]木 心 乾漆 千手観音 立像 ・木造 千手観音 立像 (鞘 仏 )-解説 は前出 。木造 毘沙門天 立像 2躯 - うち1躯 は東京 国立 博物館 に寄託 。木造 十 一 面 観音 立像 木造 四天王 立像 4躯 色紙 墨書 千 手 千 眼 陀羅尼 経 1巻
和歌山 県 指定 有形 文化財
[三重 塔 -高 さ 21.82m、1971年 3月 22日 指定 。書院 - 1971年 3月 22日 指定 。木造 釈迦如来 坐像 及 び両 脇 侍立 像 3躯 附 :木造 仏 手 1対 木造 五 劫 思惟 阿弥陀如来 坐像 銅鐸 1口
国 指定 史跡
[道成寺 境内
前後 の札所
[拝観
[拝観 時間 :9:00 - 17:00(境内 のみの見学 は時刻 の制限 無 し)拝観 所要 時間 は宝 仏殿 ・縁起 堂 に約 20分 、絵 説 き説法 に約 40分 が標準 である。
交通 アクセス
[芸能 への影響
[脚注
[- ^
梅原 猛 (2011) - ^
鳴海 (1991)pp.96 - 98 - ^
菅原 (1991)pp.110 - 117 - ^
和歌山 県 (2012) - ^ “
宮子 姫 物語 /御坊 市 ホームページ”. www.city.gobo.wakayama.jp. 2021年 6月 11日 閲覧 。 - ^ “
道成寺 -平城京 の母 宮子 姫 ”. dojoji.com. 2021年 6月 11日 閲覧 。 - ^
小野 宏海 述 、藤原 成 憲 画 『道成寺 絵 とき本 』道成寺 護持 会 、1970年 。 - ^
鳴海 (1991)pp.99 - 110 - ^ 『
月刊 文化財 』370号 の解説 - ^
田村 (1991)pp.117 - 121、及 び『月刊 文化財 』310号 の解説 - ^
本 像 の復元 前 の写真 は『月刊 文化財 』310号 に、復元 後 の写真 は特別 展 『祈 りの道 吉野 ・熊野 ・高野 の名宝 』図録 (大阪 市立 美術館 ほか、2004)にそれぞれ収録 されている。 - ^ 『
続 日本 の絵巻 24.桑実寺 縁起 道成寺 縁起 』(小松 茂美 編 、中央公論社 、1992年 )に詳 しい。
参考 文献
[鳴海 祥 博 ・菅原 正明 ・田村 寛 康 「道成寺 本堂 」『仏教 芸術 』195号 、1991- 「
新 指定 の文化財 」『月刊 文化財 』310号 、第 一 法規 、1989 - 「
新 指定 の文化財 」『月刊 文化財 』370号 、第 一 法規 、1994 梅原 猛 『海人 と天皇 』中 巻 , 2011,朝日 文庫 , ISBN 978-4-02-264621-7和歌山 県 教育 委員 会 『道成寺 調査 報告 書 』2012, url=https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500700/bunkazaihoukokusho_d/fil/doujyoujihoukokusho.pdf伊東 史朗 編集 『古寺 巡礼 道成寺 の仏 たちと「縁起 絵巻 」』東京 美術 、2014年 9月 、ISBN 978-4-8087-1010-1
関連 項目
[外部 リンク
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