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野殿のどのえき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
野殿のどのえき
のどの
所在地しょざいち 茨城いばらきけん真壁まかべぐん大田おおたむら大字だいじ野殿のどの
北緯ほくい3616ふん13びょう 東経とうけい13957ふん51びょう / 北緯ほくい36.27028 東経とうけい139.96417 / 36.27028; 139.96417 (野殿のどのえき)
所属しょぞく事業じぎょうしゃ つねそう筑波つくば鉄道てつどう
所属しょぞく路線ろせん 常総線じょうそうせん
えき構造こうぞう 地上ちじょうえき
開業かいぎょう年月日ねんがっぴ 1938ねん昭和しょうわ13ねん12月1にち[1]
廃止はいし年月日ねんがっぴ 1950ねんころ
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野殿のどのえき(のどのえき)は、茨城いばらきけん真壁まかべぐん大田おおたむら大字だいじ野殿のどの[2]にかつて存在そんざいしたつねそう筑波つくば鉄道てつどう常総線じょうそうせんえきはいえき)である。

歴史れきし

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1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月1にち黒子くろこえき-大田おおたごうえきあいだ野殿のどの停車場ていしゃじょう開業かいぎょうとうえきより西にし台地だいちじょうにかつて下館しもだて飛行場ひこうじょう位置いちしたことから、「飛行場前ひこうじょうまえ乗降じょうこうじょう」とばれた時期じきがあった[3][4][5]。 1950ねんごろ廃止はいしされる。

えき周辺しゅうへん

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えき構造こうぞう

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騰波ノ江とばのええききゅう待合室まちあいしつは、野殿のどのえきのホームの待合室まちあいしつ移築いちくしたものだという[6]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 関東かんとう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃしゃ編集へんしゅうしつ (1993.03), 関東かんとう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ70ねん, 関東かんとう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ, p. 83 
  2. ^ 下館しもだて大字だいじ野殿のどの現在げんざいの筑西市野いちの殿どの
  3. ^ 調しらべてみようえきのこと・飛行場前ひこうじょうまえ”. せきてつレールファンCLUB. 2020ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  4. ^ 白井しらい茂信しげのぶ,しょう石田いしだ多助たすけ,中川なかがわ浩一こういち常総線じょうそうせん沿線えんせん住人じゅうにんへのプレゼント」『鉄道てつどうピクトリアル アーカイブセレクション 29 私鉄してつ車両しゃりょうめぐり 関東かんとう(I)』、電気でんきしゃ研究けんきゅうかい 鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、1964ねん3がつ 
  5. ^ 常総線じょうそうせん沿線えんせん住人じゅうにんへのプレゼント」(鉄道てつどうピクトリアル アーカイブセレクション 29)にははい駅名えきめいとして「野殿のどのきゅう飛行場前ひこうじょうまえ)」とかれていること、せきてつレールファンは「「飛行場前ひこうじょうまえ乗降じょうこうじょう]をき」(原文げんぶんママ)と言及げんきゅうしていることから、とき系列けいれつとして「飛行場前ひこうじょうまえ」「野殿のどの」に改称かいしょうされたと判断はんだんできるが、関東かんとう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ70ねんでは"野殿のどの停車場ていしゃじょう開業かいぎょう"とあること、開業かいぎょうには下館しもだて飛行場ひこうじょう前身ぜんしんである飛行ひこう学校がっこう建設けんせつはじまっていなかったことから、まず「野殿のどの」として開業かいぎょうし、その飛行場前ひこうじょうまえ」に改称かいしょう戦後せんご野殿のどの」にもどしたというからだほんこう記述きじゅつした。
  6. ^ つねそう鉄道てつどうさんしょ支線しせんレールしがらみ - 下妻しもづま”. 常陽じょうようリビング. 2020ねん5がつ31にち閲覧えつらん