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阿部あべけんおっと

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あべ しずお

阿部あべ けんおっと
生誕せいたん 1894ねん4がつ13にち
北海道ほっかいどう札幌さっぽろ
死没しぼつ 1972ねん1がつ2にち(77さいぼつ
北海道ほっかいどう札幌さっぽろ
墓地ぼち 平岸ひらぎし霊園れいえん
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがく土木どぼく工学科こうがっか
職業しょくぎょう 官僚かんりょう北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ社長しゃちょう北海道放送ほっかいどうほうそう社長しゃちょう
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阿部あべ けんおっと(あべ しずお、1894ねん明治めいじ27ねん4がつ13にち - 1972ねん昭和しょうわ47ねん1がつ2にち)は、日本にっぽん技術ぎじゅつかん実業じつぎょう

逓信ていしんしょう東京とうきょう鉄道てつどうしょう勤務きんむしたのち北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ社長しゃちょうとなり、北海道放送ほっかいどうほうそう設立せつりつして初代しょだい社長しゃちょうつとめた。

経歴けいれき業績ぎょうせき

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阿部あべ宇之はち三男さんなんとして札幌さっぽろまれる[1]札幌さっぽろ創成そうせい尋常じんじょう小学校しょうがっこう[2]札幌さっぽろ創成そうせい高等こうとう小学校しょうがっこう[2]北海道庁ほっかいどうちょうりつ札幌さっぽろ中学校ちゅうがっこう[3]て、1911ねん明治めいじ44ねん第一高等学校だいちこうとうがっこうだいかぶとるい無試験むしけん検定けんてい入学にゅうがく[4]、1914ねん大正たいしょう3ねん同校どうこうだい工科こうか卒業そつぎょう[5]。1917ねん大正たいしょう6ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがく土木どぼく工学科こうがっか卒業そつぎょう[6]

同年どうねん逓信ていしんしょう入省にゅうしょう[7]よく1918ねん大正たいしょう7ねん)に九州きゅうしゅう逓信ていしんきょく水力すいりょく課長かちょうとなり[7]九州きゅうしゅう各地かくち河川かせんすい発電はつでん利用りようするための水量すいりょう調査ちょうさおこなった[8]。1923ねん大正たいしょう12ねん)に東京とうきょう道路どうろきょくてんじた[9]ところ、同年どうねん関東大震災かんとうだいしんさいきたため、震災しんさい復興ふっこう事業じぎょう一環いっかんとして、道路どうろのアスファルト舗装ほそうたずさわる[10]。1926ねん大正たいしょう15ねん)、鉄道てつどうしょう入省にゅうしょう[11]国鉄こくてつ電化でんかのため信濃川しなのがわ発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかくたずさわる[12]かたわら、丹那になトンネル工事こうじちゅうだい出水しゅっすい原因げんいん調査ちょうさおこな[13]。1939ねん昭和しょうわ14ねん)からは信濃川しなのがわ電気でんき事務所じむしょ所長しょちょう[14]として、信濃川しなのがわ発電はつでんしょだいいち工事こうじだい工事こうじ完成かんせいした[15]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)に当時とうじ北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ社長しゃちょう滝本たきもとしずりょうから要請ようせい[16]同社どうしゃ取締役とりしまりやくとなる[17]よく1946ねん昭和しょうわ21ねん社長しゃちょう就任しゅうにん[17]同社どうしゃ労働ろうどう争議そうぎ収束しゅうそく成功せいこうする[18]

1951ねん昭和しょうわ26ねん)に、北海道ほっかいどう最初さいしょ民間みんかん放送ほうそうきょく[19]となる北海道放送ほっかいどうほうそう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ[20]社長しゃちょう就任しゅうにんする[20]。1957ねん昭和しょうわ32ねん)のテレビ放送ほうそう開始かいし[21]たっては、札幌さっぽろNHKすすめた大通だいつう公園こうえんさっぽろテレビ塔てれびとう建設けんせつ計画けいかく[22]への参加さんか拒否きょひ[23]、よりひろ地域ちいきをカバーするため、よりたか場所ばしょ送信そうしんしょもうけるべきであるとして、当時とうじ未開みかいであった手稲山ていねやま山頂さんちょう送信そうしんしょ建設けんせつした[24]同年どうねん、それまで兼任けんにんしていた北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ社長しゃちょう辞任じにんし、北海道放送ほっかいどうほうそう社長しゃちょう専任せんにんとなる[25]

本業ほんぎょうのかたわら、北海道ほっかいどう総合そうごう開発かいはつ委員いいんかい委員いいん共同通信社きょうどうつうしんしゃ理事りじ会長かいちょう北海道ほっかいどう肢体したい不自由ふじゆう福祉ふくし協会きょうかい会長かいちょう北海道ほっかいどう更生こうせい保護ほご協会きょうかい会長かいちょう日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ北海道ほっかいどう支部しぶふく支部しぶちょう北海道ほっかいどう社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい会長かいちょう全国ぜんこく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい理事りじ札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん理事りじちょう北海道ほっかいどう老人ろうじんクラブ連合れんごうかい会長かいちょう北海道ほっかいどう社会しゃかい復帰ふっき事業じぎょう協会きょうかい理事りじちょうなどをつとめた[26]

1972ねん昭和しょうわ47ねん食道しょくどうがんにより死去しきょ[27]墓所はかしょ平岸ひらぎし霊園れいえん[28]

札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん

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1959ねん昭和しょうわ34ねん)、札幌さっぽろ文化ぶんか会議かいぎ[注釈ちゅうしゃく 1]札幌さっぽろにプロのオーケストラ創設そうせつすることを発議はつぎした[29]どう会議かいぎふく会長かいちょう荒谷あらや正雄まさお親交しんこうがあり、無類むるい音楽おんがくきでもあった阿部あべはこれに協力きょうりょくする[30]。1960ねん昭和しょうわ35ねん)に設立せつりつ世話人せわにんかい会長かいちょうとなり[29]翌年よくねん任意にんい団体だんたいとして札幌さっぽろ市民しみん交響こうきょう楽団がくだん発足ほっそく[31]財団ざいだん法人ほうじんした1962ねん昭和しょうわ37ねん)には札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん初代しょだい理事りじちょう就任しゅうにんする[32]定期ていき演奏えんそうかいにはかさず出席しゅっせきする[33]一方いっぽう赤字あかじ経営けいえいなや財団ざいだん運営うんえい資金しきんとして1せんまんえん以上いじょう貸与たいよし、死去しきょさいにこれを遺贈いぞうした[34]葬儀そうぎでは、さつひびきによりベートーヴェンの「葬送そうそう行進曲こうしんきょく」(交響こうきょうきょくだい3ばんだい2楽章がくしょう)がなま演奏えんそうされた[35]

みず文学ぶんがく

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阿部あべは1926ねん大正たいしょう15ねん)、『土木どぼく学会がっかい』に論文ろんぶん九州きゅうしゅうける河川かせん流量りゅうりょうに就て」[36][37]発表はっぴょうしている[注釈ちゅうしゃく 2]大学だいがく時代じだい恩師おんしである中山なかやま秀三郎ひでさぶろうにはこの論文ろんぶん学位がくい論文ろんぶんにするようすすめられた[38]が、すでに中山なかやま退官たいかんしていたため、後任こうにん教授きょうじゅ提出ていしゅつしたところ、その教授きょうじゅは「学位がくいしいのか」とってったきり、そのなん音沙汰おとさたもなかった[39]。1933ねん昭和しょうわ8ねん)に出版しゅっぱんされた著書ちょしょみず文学ぶんがく[注釈ちゅうしゃく 3]は、日本にっぽん最初さいしょみず文学ぶんがく教科書きょうかしょである[40][注釈ちゅうしゃく 4]。しかし阿部あべはその学界がっかいはなれマスコミかいてんじたため、みず文学ぶんがくしゃあいだでは消息しょうそく不明ふめいとなっていた[41]。ところが、阿部あべくなる1ヶ月かげつほどまえの1971ねん12月(最後さいご入院にゅういん数日すうじつまえ)に、みず文学ぶんがくしゃやま本荘ほんじょうあつし当時とうじ東京教育大学とうきょうきょういくだいがく教授きょうじゅ)が札幌さっぽろおとずれ、北海道大学ほっかいどうだいがく講義こうぎをしたさいに、『みず文学ぶんがく』の著者ちょしゃ北海道放送ほっかいどうほうそう社長しゃちょうどう一人物いちじんぶつであることをって、阿部あべ職場しょくばたずねた[41]会見かいけん時間じかん当初とうしょ15ぶん約束やくそくだったが、はなしきず1時間じかん以上いじょうおよんだ[42]阿部あべはその帰宅きたく家族かぞくに「今日きょうはわが生涯しょうがい最良さいりょうだった。自分じぶんはなしなにからなにまでそのままにつうじた」とってよろこんだ[43]阿部あべ死後しご出版しゅっぱんされた山本やまもとへんみず文学ぶんがく総論そうろん』では、阿部あべわか業績ぎょうせき晩年ばんねん顔写真かおじゃしんきで紹介しょうかいされている[44]

栄典えいてん受賞じゅしょうれき

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 市民しみん有志ゆうし組織そしきされた団体だんたい会長かいちょう 市岡いちおかかちふく会長かいちょう 荒谷あらや正雄まさお
  2. ^ このほか地表ちひょうヨリノ蒸発じょうはつニ就テ」(『土木どぼく学会がっかい』9かん4ごう705-732ぺーじ、1923ねん)、渇水かっすいりょうてい水量すいりょう平水へいすいりょう発電はつでん設備せつび能率のうりつトノ関係かんけいが(『土木どぼく学会がっかい』9かん5‐6合併がっぺいごう903-922ぺーじ、1923ねん)がある。
  3. ^ 岩波いわなみ講座こうざ地質ちしつがくおよ生物せいぶつがく、礦物がくおよ岩石がんせきがくだい23かい配本はいほん1、岩波書店いわなみしょてん、1933ねん
  4. ^ このほかに、土木どぼく工学こうがくポケットブックへん集会しゅうかいへん土木どぼく工学こうがくポケットブック』山海さんかいどう、1936ねん所収しょしゅうだい4へん すい文学ぶんがく」の執筆しっぴつ担当たんとうした。『デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus』著書ちょしょ土木どぼくこうごうポケットブックすいちからがく」とあるのはあやまり。

出典しゅってん

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  1. ^ 『その微笑びしょう』323ぺーじ
  2. ^ a b 『その微笑びしょう』180ぺーじ
  3. ^ 『その微笑びしょう』330ぺーじ、367-368ぺーじ
  4. ^ 『その微笑びしょう』368ぺーじ、『北方ほっぽうのビジョン』193ぺーじ官報かんぽうだい8436ごう94ぺーじ彙報いほう - 学事がくじ - 入学にゅうがく許可きょか」1911ねん8がつ4にち
  5. ^ 官報かんぽうだい576ごう56ぺーじ彙報いほう - 学事がくじ - 卒業そつぎょう証書しょうしょ授与じゅよ」1914ねん7がつ2にち
  6. ^ 『その微笑びしょう』368-369ぺーじ官報かんぽうだい1485ごう265ぺーじ彙報いほう - 学事がくじ - 卒業そつぎょう証書しょうしょ授与じゅよ」1917ねん7がつ13にち
  7. ^ a b 『その微笑びしょう』369ぺーじ
  8. ^ 北方ほっぽうのビジョン』194ぺーじ
  9. ^ 『その微笑びしょう』370ぺーじ
  10. ^ 北方ほっぽうのビジョン』197-198ぺーじ
  11. ^ 『その微笑びしょう』371ぺーじ
  12. ^ 北方ほっぽうのビジョン』198-202ぺーじ
  13. ^ 日本にっぽん地学ちがく展開てんかい その5」852ぺーじ
  14. ^ 『その微笑びしょう』373ぺーじ
  15. ^ 『その微笑びしょう』296-297ぺーじ
  16. ^ 道新どうしん文化ぶんかしょう 受賞じゅしょうしゃ業績ぎょうせき”. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (1971ねん11月3にち) 
  17. ^ a b c d 『その微笑びしょう』375ぺーじ
  18. ^ 『その微笑びしょう』273‐279ぺーじ、『北方ほっぽうのビジョン』203-206ぺーじ
  19. ^ 札幌さっぽろ人名じんめい事典じてん』19ぺーじ
  20. ^ a b 『その微笑びしょう』377ぺーじ
  21. ^ 『その微笑びしょう』379ぺーじ
  22. ^ “テレビ放送ほうそうとう設置せっち軍配ぐんばいはいずれに?NHKとHBCが対立たいりつ”. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (1956ねん3がつ30にち) 
  23. ^ 『その微笑びしょう』347ぺーじ
  24. ^ 『その微笑びしょう』347-348ぺーじ、『北海道放送ほっかいどうほうそう10ねん』208‐223ぺーじ
  25. ^ 『その微笑びしょう』380ぺーじ
  26. ^ 受賞じゅしょうかがや人々ひとびと』325ぺーじ
  27. ^ a b 『その微笑びしょう』385ぺーじ
  28. ^ きたはか 』183ぺーじ
  29. ^ a b 札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん50ねん』41ぺーじ
  30. ^ 札幌さっぽろ音楽おんがく』71ぺーじ
  31. ^ 札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん50ねん』44ぺーじ
  32. ^ 『その微笑びしょう』382ぺーじ
  33. ^ 『その微笑びしょう』207ぺーじ
  34. ^ 北海道ほっかいどう音楽おんがく』559ぺーじ
  35. ^ 札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん50ねん』62ぺーじ
  36. ^ 土木どぼく学会がっかい図書館としょかん戦前せんぜん学会がっかい だいじゅうかん だいよんごう 大正たいしょう15ねん8がつ発行はっこう (1926ねん”. www.jsce.or.jp. 2022ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  37. ^ 土木どぼく学会がっかい図書館としょかん戦前せんぜん学会がっかい だいじゅうかん だいごう 大正たいしょう15ねん10がつ発行はっこう (1926ねん”. www.jsce.or.jp. 2022ねん1がつ25にち閲覧えつらん
  38. ^ みず正体しょうたい」245ぺーじ
  39. ^ 『その微笑びしょう』319ぺーじ
  40. ^ 『その微笑びしょう』317ぺーじ、『地下水ちかすい地形ちけい科学かがく』45ぺーじ
  41. ^ a b 『その微笑びしょう』317ぺーじ
  42. ^ 『その微笑びしょう』318ぺーじ
  43. ^ 『その微笑びしょう』208ぺーじ、318‐319ぺーじ
  44. ^ みず文学ぶんがく総論そうろん』15-16ぺーじ
  45. ^ a b 『その微笑びしょう』374ぺーじ
  46. ^ 官報かんぽうだい10171ごう270ぺーじ官庁かんちょう報告ほうこく - 褒賞ほうしょう」1960ねん11月14にち
  47. ^ 『その微笑びしょう』382ぺーじ、『官報かんぽうだい10601ごう官庁かんちょう報告ほうこく - 褒賞ほうしょう」1962ねん4がつ23にち
  48. ^ 『その微笑びしょう』382ぺーじ、『官報かんぽうだい11063ごう官庁かんちょう報告ほうこく - 褒賞ほうしょう」1963ねん10がつ30にち
  49. ^ 『その微笑びしょう』383ぺーじ、『官報かんぽうだい11670ごう叙位じょい叙勲じょくん」1965ねん11月4にち
  50. ^ 『その微笑びしょう』383ぺーじ
  51. ^ みち文化ぶんかしょう受賞じゅしょうしゃまる”. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (1966ねん10がつ13にち) 
  52. ^ 『その微笑びしょう』384ぺーじ
  53. ^ 開拓かいたく功労こうろうしゃまる 高木たかぎさんらじゅうろく 来月らいげついちにち 札幌さっぽろ創建そうけんひゃくねん表彰ひょうしょう”. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (1968ねん7がつ16にち) 
  54. ^ 北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ 会社かいしゃ概要がいよう”. kk.hokkaido-np.co.jp. 2023ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  55. ^ だいじゅうかい北海道新聞ほっかいどうしんぶん文化ぶんかしょう”. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (1971ねん11月3にち) 
  56. ^ 『その微笑びしょう』385ぺーじ、『官報かんぽうだい13513ごう17ぺーじ叙位じょい叙勲じょくん」1972ねん1がつ10日とおか
  57. ^ 受賞じゅしょうかがや人々ひとびと』272ぺーじ、289ぺーじ
  58. ^ 北海道開発ほっかいどうかいはつ功労賞こうろうしょう北海道ほっかいどう功労賞こうろうしょう歴代れきだい受賞じゅしょうしゃ”. Wayback Machine. 2023ねん3がつ12にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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先代せんだい
滝本たきもとしずりょう
北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ社長しゃちょう
だい3だい:1946ねん - 1957ねん
次代じだい
中野なかの以佐おっと
先代せんだい
-
北海道放送ほっかいどうほうそう社長しゃちょう
初代しょだい:1951ねん - 1972ねん
次代じだい
室谷むろたにくにえびす
先代せんだい
小田嶋おだじま定吉さだきち
共同通信社きょうどうつうしんしゃ理事りじ会長かいちょう
だい2だい:1952ねん - 1956ねん
次代じだい
与良よら
先代せんだい
-
札幌さっぽろ交響こうきょう楽団がくだん理事りじちょう
初代しょだい:1962ねん - 1972ねん
次代じだい
伊藤いとう義郎よしお