隅谷すみやただしみね

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隅谷すみやただしみね
本名ほんみょう 隅谷すみや與一よいちろう
誕生たんじょう (1921-01-24) 1921ねん1がつ24にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 石川いしかわけん松任まっとう
死没しぼつねん (1998-12-12) 1998ねん12月12にち(77さいぼつ
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん 石川いしかわけん松任まっとう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
芸術げいじゅつ分野ぶんや 刀匠とうしょう
教育きょういく 立命館大学りつめいかんだいがく
代表だいひょうさく 伊勢神宮いせじんぐう式年しきねん遷宮せんぐう神宝しんぽう太刀だちじゅう
伊勢神宮いせじんぐう式年しきねん遷宮せんぐう神宝しんぽう太刀だちじゅうろく
受賞じゅしょう だい1かいかおるやましょう(1972ねん
紫綬褒章しじゅほうしょう(1984ねん
重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい日本にっぽんがたな保持ほじしゃ認定にんてい(1981ねん
中日ちゅうにち文化ぶんかしょう(1992ねん
影響えいきょうあたえた
芸術げいじゅつ
桜井さくらい正幸まさゆき
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隅谷すみや ただしみね(すみたに まさみね、1921ねん大正たいしょう10ねん1がつ24にち - 1998ねん平成へいせい10ねん12月12にち)は石川いしかわけん松任まっとう現在げんざい白山はくさん出身しゅっしん日本にっぽん刀匠とうしょう全日本ぜんにほん刀匠とうしょうかいもと理事りじちょう日本にっぽん美術びじゅつ刀剣とうけん保存ほぞん協会きょうかいもと理事りじ本名ほんみょう隅谷すみや 與一よいちろう(すみたに よいちろう)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1938ねん昭和しょうわ13ねん)、金沢かなざわいちなか卒業そつぎょう1941ねん昭和しょうわ16ねん立命館大学りつめいかんだいがく理工学部りこうがくぶ機械きかい工学科こうがっか卒業そつぎょう同時どうじ刀匠とうしょう桜井さくらい正幸まさゆき入門にゅうもん独立どくりつ興国こうこく日本刀にっぽんとう鍛錬たんれんしょ広島ひろしまけん尾道おのみち)へ。その日本にっぽんがたな鍛錬たんれんしょかさかさてい(さんりゅうてい)を松任まっとうひらいておおくの作品さくひん手掛てがけた。昭和しょうわ40年代ねんだいには新作しんさくがたなあたえられる最高さいこうしょうである「正宗まさむねしょう」を3受賞じゅしょう1989ねん平成へいせい元年がんねん)には伊勢神宮いせじんぐう式年しきねん遷宮せんぐう神宝しんぽう太刀たち(ごしんぽうたち)を制作せいさくした。天下てんかさんめいやりである「日本にっぽんごう」のうつしは現存げんそんうつしのなか最高さいこう傑作けっさくわれる。

てつ研究けんきゅうにも熱心ねっしんられた。昭和しょうわ50ねんごろからせいくらいんぞうがたな四天王寺してんのうじぞう刀剣とうけんるい参考さんこう小刀こがたなかたな研究けんきゅう制作せいさくつづける。鎌倉かまくら時代ときよ備前びぜんがたな得意とくいとし、隅谷すみや丁子ちょうじ(すみたに・ちょうじ)とばれる独自どくじ華麗かれい丁子ちょうじぶん(ちょうじはもん)を完成かんせいした。

1981ねん昭和しょうわ56ねん)4がつ3にち人間にんげん国宝こくほう認定にんていされた[1]

皇室こうしつ関連かんれんさくがたなおこなっていることでもられる。1991ねん平成へいせい3ねん)には眞子しんじ内親王ないしんのう1993ねん平成へいせい5ねん)には皇太子こうたいしとくじん親王しんのう雅子まさこ1994ねん平成へいせい6ねん)には佳子けいこ内親王ないしんのうたまものけんで、隅谷すみや製作せいさくしたまもがたな天皇てんのうからさづけられている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 石川いしかわ県議会けんぎかい事務じむきょく へん『4ヵ年かねんあゆみ(昭和しょうわ54ねん4がつ30にちから昭和しょうわ58ねん4がつ29にちまで)』石川いしかわ県議会けんぎかい、1983ねん5がつ31にちNDLJP:9774521 (よう登録とうろく)非売品ひばいひん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]