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かみなりどう

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かみなり どう(らい どう)は、中国ちゅうごくこうかん末期まっき人物じんぶつりゅう配下はいか武将ぶしょう

たてやすし23ねん218ねん)、りゅう備のいのちらんともたけみやこぐん侵攻しんこうしたが、曹操そうそう配下はいか曹洪によって全滅ぜんめつまれた[1]

三国志さんごくし演義えんぎ[編集へんしゅう]

貫中かんちゅう小説しょうせつ三国志さんごくし演義えんぎ』では、はんによっては雷同らいどう表記ひょうきされる。はじめはりゅうあきら配下はいかしょうとして登場とうじょうりゅう備軍の侵攻しんこうたいし、推薦すいせんけてその副将ふくしょうとなり、かれともに雒城をまも[2]ちょうつとむ龐統射殺しゃさつすると、いきおいにって雒城から出撃しゅつげき攻撃こうげきをかけるなど、一進一退いっしんいったい攻防こうぼうひろげた[3]。4にち戦闘せんとうでものべただし相手あいて攻勢こうせいをかけていたが、りゅう備とちょう帰路きろたれて降伏ごうぶく以降いこうりゅう備配しょうとなる[4]

かんちゅう中心ちゅうしんとする曹操そうそうぐんとの攻防こうぼうでは、ちょうしたがってともえ西郡にしごおりまもる。ともえ西にしちょう攻撃こうげきけるが、かみなりどう伏兵ふくへい設置せっち献策けんさくし、またちょうさくしたがっててき支隊したいやぶるなど貢献こうけんいちちょう郃を撃退げきたいする。しかし再度さいど出撃しゅつげきしてきたちょう郃との遭遇そうぐうせんで、けた素振そぶりを敗走はいそうするちょう郃を追撃ついげき。そこを伏兵ふくへいからの挟撃きょうげきい、最期さいごちょう郃によって刺殺しさつされる[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ちん寿ひさしえらべ裴松ちゅう三国志さんごくししょくしょさきおもでんおよしょたけみかどより。なおたけみかどでは、らんら(かみなりどうしるさず)はけんやす22ねんから(たけぐんの)したべん駐屯ちゅうとんしたが、翌年よくねんに曹洪によってやぶられたとしている。
  2. ^ s:zh:さんこく演義えんぎ/だい062かい
  3. ^ s:zh:さんこく演義えんぎ/だい063かい
  4. ^ s:zh:さんこく演義えんぎ/だい064かい
  5. ^ s:zh:さんこく演義えんぎ/だい070かい